『ペコロスの母に会いに行く』という漫画の本を書評かなんかで知ったのは3年ほど前だったが、書店で尋ねると売り切れていたので結局読まずにいた。
さらには森崎東監督によって映画化されたのも知っていたが観ずに来た。
だから何となくすれ違って縁のない関係だった。
ということだったのだが先日、いつもと違う書店にその本と併せて新書が並んでいたので新書だけ購入した。岡野雄一著【「ペコロスの母」に学ぶボケて幸せな生き方】小学館新書という。
ペコロスという小タマネギに似た禿げ頭の丸顔の著者が、介護先の母に会いに行った折々の小ネタを漫画にした原作に触れたエッセイのようなものだった。
その中にあった文章だが、「ペコロスの母に会いに行く」に返送された読書カードの多くには、開口一番「甘い」と書いてあり、それでも最後に「読んでよかった」と結ばれていたとあった。
この新書の中に再録されたものしか読まずに言うのも憚られるが、その感覚は想像できる気がする。
誰もが、介護の初期は家族介護からスタートするだろうが、その中で生起する辛い出来事を笑ってしまえるまでには相当な月日が必要だ。
また、施設に入居させた後ろめたさのような感情が「母に会いに行く」というタイトルに込められているという話も理解ができた。
著者は全く介護の素人だったし、だから起こったあれこれの出来事も「そうそう あったあった」と思うことが多い。
介護の専門書にはない(と思われる)共感が広がる本だった。
町永俊雄氏との対談の中での遠野地方の民話で有名な「座敷わらし」は認知症の幻視じゃないかという話では、お年寄りが座敷わらしが見えるようになるまで長寿になったことを寿ぎ、だから「座敷わらしが現れる家は栄える」と言われたのではないかという楽しい解釈だった。
「生産性のない人は社会の役に立たない人」というような風潮が生まれて久しいが、この国は、元々このように豊かな風土であったはずだ。
介護生活のための勉強(ノウハウ)などにはならないかも知れないが、心構えを教えてくれる気がする。
著者の場合は胃ろうを選択したが私の場合は「胃ろうはしないでください」という文書にサインした。だが、そんな枝葉末節はどうでもよい。
辛いが楽しいマンガとエッセイだった。
遠い昔の「看護婦の親父がんばる」という漫画を思い出した。
座敷わらしの話は的を射ているのかコジツケなのか解らないが、楽しい一つの解釈のようで笑いました。
返信削除私は仕事として「精神の病」と結構関わってきましたが、罪のない幻視の経験もよく聞きましたので、「そうかもね」と思ったりしました。