2015年11月23日月曜日

それをいっちゃ・・・

  大阪W選挙の結果は残念だったが、その分析は後日のこととして・・・。
 大阪府民市民は高い授業料を暫く払うことになるだろう。
 なかでも、口汚く福祉を攻撃する橋下維新の行政の先行きは心配だ。
  そんな中、先日、茨城県の教育委員が会議の席上で、障害児教育の予算が大きいという文脈につなげて「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか」と発言し、知事もその発言を「問題ない」と発言した(後日、批判が大きくなる中で両者とも発言を撤回したが)。
 その考えは、障害を持った児を厄介者、社会の損失とみなして「わかったならば産むな」といういうもので、公人がこのような発言をするようになった現代の風潮を私は深く悲しむ。

 今年、私の孫は相当重いハンディを背負って生まれてきた。
 湯水のごとき原発予算や軍事費の一方で後退に後退を重ねる福祉予算のことを考えると、一瞬たりともある種の絶望感に襲われなかったかというと嘘になる。胸の奥底から悪魔のささやきが聞こえたことも正直にいえばなかったわけではない。
 しかし、寅さんの台詞ではないが口に出していいことと悪いことがある。
 それが人の道だと私は思う。
 それをタテマエ論議だ、ホンネを言って何が悪いという風潮には、馬鹿にされても私は反対する。

 病院と薬のお世話になって、他人の何倍かの時間をかけてそれでも少しずつ成長する孫はとても可愛い。
 その児を必死に育てる母(私の娘)も可愛い。児の父母の誠実さには頭が下がる。
 そもそも客観的に見てみると、この世には障害者と健常者がいるのではなく、既に障害を負った者とこの先障害を背負う者がいるのではないか。
 世の中を損得で図り、効率だとか無駄だとかの言葉の裏でハンディのある者を排除しようとする社会にはドン・キホーテと笑われても抗って生きていきたい。

2 件のコメント:

  1.  長谷やん、昨夜のショッキングな大阪ダブル選挙の結果に、重苦しい気分が晴れないまま日課の早朝ウオーキングに出かけ、帰宅後ブログチェックをして、貴方の記事を読んでいます。 
     早くも選挙結果の感想などの記事かと思いきや、お孫さんがハンディを背負って誕生したという衝撃的な出来事が淡々と綴られているのを読みました。
     貴方がこの心境に至るまでの葛藤の大きさと長さを思うと、選挙結果に落ち込んでいる自分が恥ずかしくなりました。
     「障碍者と健常者の違いは、自分ができる範囲の違いに過ぎない。健常者にはできなくて障碍者にはできることがいくらでもある」という意味の言葉を聞いた覚えがあります。
     健常者と障碍者を区別し、選別する橋下イズムを大阪から排除できなかったのは残念ですが、だからこそ今後の運動の広がる条件が拡大したともいえるのでしょう。

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  2.  娘が今後主治医になってもらおうと思っている小児科に予防接種に連れて行ったときに「救急車がタマタマあの大学病院に運んでくれたので助かったのですね」と言われたと話していました。有難い巡り合わせでした。
     今はRSウイルス感染症が命にかかわると言われていますので、人ごみに連れていくことができません。だから楽しみは後にとっておこうと思っています。楽しいイクジイを夢みています。
     励ましのコメントありがとうございました。

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