2012年5月30日水曜日

同窓会があった

   同窓会があった。
 どういうわけか皆んな同世代である。(当り前である。友蔵
 だから落ち着くところは髪の話、病気の話、孫の話、介護の話かなと思って行ったら、介護はほぼ過去形になっていて、ペットの話が割り込んでいた。なるほど・・。それが正しいシニアのあるべき姿なのだろうか。「時間は公平やなあ」と言った同窓生の言葉に妙に納得した。

 さて、季節は律儀に繰返してやって来た。
 1 ヒヨドリの雛が庭のシマトネリコで忙しく鳴いている。近くには雀の雛もいる。鳴き声の忙しなさは変わらない。ベビーブームが来た。
 同窓会に、ブログを読んだ同窓生が「冬鳥減少」の新聞記事を持参してくれたが、このように我が家周辺ではどうにか一定数を維持しているようだ。
 2 歩道沿いのスイカズラが咲いた。そもそもの種は野鳥が運んできたのだろう、ユキヤナギの垣根の中から生えているのだが、そのうちにユキヤナギと肩を並べるかもしれない。可愛い花である。
 これが、サザエさんに登場する空き巣の定番の風呂敷の模様に「進化」したのが不思議でならない。
 そして、「忍冬唐草文様」と聞くと正倉院の御物を思ってなにやら有難く感じたりするのもまた不思議である。

 3 モミジのヘリコプターが色づいた。
 去年、老人施設に持っていったときにはみんなに喜ばれたなあという記憶がよみがえってしんみりしないこともない。
 散っていく時もほんとうに「竹とんぼ」だ。
 今年は義母に話してあげよう。
 だが、話に興味を示すかどうかはわからないし、「この知識を忘れてはならない」という強迫感を与えないかというのも心配だ。高齢者のリハビリも一筋縄ではいかない。

 4 同窓会のとき、「そこの住吉・大鳥頓宮でこんな美味しそうな実を摘んできたよ」と同窓生が差出した。それが例の『楝(おうち)の実』だったので笑った。
 「子どもなら6粒で死亡するらしい」と過日のブログの解説を行なった。
 近所の楝の木も薄紫の花を咲かせ始めている。
 「その顔で有毒果実をつくるか!」と言いたいが、得てして魔女の素顔とはこんなものなのだろう。

 5 家で5月28日夕昏に初時鳥(ほととぎす)を聞いた。写真はない。
 古の俳人・歌人たちには絶賛に近い鳥なのだが、その声は何か思い詰めて訴えかけるような憂愁を秘めているように私は感じる。
 実母からの伝言でもあるのだろうか。「おおきに」という伝言なのだろう。悔いはない。

2012年5月27日日曜日

あやとりは音楽のようなもの

   数週間前の探偵ナイトスクープ。かすかな記憶ながら・・・、お祖母ちゃんに教えてもらった「あやとり(道に蝶)」を再現したい孫からの依頼。
 蓋を開けてみると、できないはずのお祖母ちゃんの手が無意識のうちに動いてあっという間に依頼が叶ってジャンジャン!
 同じことを外泊許可の義母にぶつけてみたところ、「わからへん」「忘れた」と言いながら手のほうが勝手に動いてこちらも同様にジャンジャンとなったものだから、我が家でも大びっくり。

あやとりは勝手にできる
   子である我が妻や、孫にあたる長男のお嫁さんが必死になって覚えようとするのだが、義母の勝手に動く手のリズムを止めてしまうとできなくなる。
 こういうことには最初から不戦敗になる不器用な私は、ただただ感動するだけ。
 で、書架の丸谷才一氏著「綾とりで天の川」という本を取り出してみたところ「『あやとり入門』といふ文庫本を大事にしてゐる。」と書き出してあったので、すぐに書店に問い合わせても「ホンヤネット」で探しても注文不可であったのだが、恐るべし!アマゾンに中古本149円があった。国内の普通の本屋さんごめんなさい。
   昭和56年初版のその本の1頁目には「今では、リハビリテーションにも使われるようになりました。」とあるから、私の認識が30数年時代遅れであっただけのこと。
 これからの「こおつと大学」の有力な教科がひとつ増えたことになる。
 なお、あやとりは、それぞれ別々の起源を持つあやとりがほんとうに世界中にあるらしい。
 私には、その理由と民族による差異というか特徴の方にも興味が湧いて来た。
 左の写真はその本の中の「とんぼ」。
 解説を見ながら妻もすぐに作ったが、ほんとうによくできている。

2012年5月24日木曜日

にんまり紅李酒

   紅スモモというと私は浄瑠璃寺の参道を思い浮かべ、その花も葉も実も美しかった思い出に曳かれて庭に植え、ご近所からも「いいですねえ」などと言われてきたものの、その代わり、毎年毎年毛虫との格闘また格闘で、そしてついにはギブアップして、泣く泣く抜いてしまったという曰く因縁のある思い出の樹木である。
 それが、今は、近所の歩道上の街路樹で、正に「ただの街路樹」であるので複雑な気分でいる。

 晩春から初夏には綺麗な実をたわわにつけるのだが、誰も振り向きもせず落果するままというのも、良くも悪くもこれがニュータウンなのだろうか。
 それはあまりに可哀相なことなので、昨年、自治体の農薬散布が無いのを確かめて、摘まんできて「紅李酒」(べにすもも酒)を漬けてみた。

 そして、ほぼ1年。 ・・・香りと味は梅酒そっくり、実を齧ってみるとこれは青梅の方に軍配が上がるが、色は格段に紅スモモが美しい。
 外泊の義母が「美味しい 美味しい」と呑みすぎて酔っ払ってしまった。

 今年も未だ実は小さいが街路樹が賑やかになりつつある。写真のとおり「スモモも桃も桃のうち」というが、紅スモモはそんなことは無く、はっきりと自己主張をしている。

 この冬は、有毒の楝の実を食べたという失敗もしたが、まあ、この紅李酒は成功例である。

 こういう風に見てみると、 季節は理屈抜きでめぐり巡り1年が経過した。
 木々の下の芝生にも去年同様「芝の?花」が咲いた(これは庭石菖)。
 生来怠け者の私だがブログのおかげで1年前が鮮やかによみがえる。

 そういえば、1年前はそういう季節の変化を実母や入所している人たちに教えてあげなければという使命感で、五感をビンビンに張って季節や自然を眺めていた。そしてそれは、ある種日々の生きがいだったのだなあと、後で気がつく何とやらである。
 しかし、介護のど真ん中はそんな気分には心底からは思えなかった。人間は悔やむ動物なのだろうか。
(写真は何れも5月16日撮影)

2012年5月21日月曜日

如墨色無光(日本紀略)


 京都では282年ぶりの金環日食らしいから記録(ブログ)に留めておこう。
 京都府最南端の朝の天気は曇り。次々に分厚い雲が湧き出してきて「今日は無理かも・・」と思っていると、日食の進行に併せて雲が薄くなり、金環の頃(午前7時30分前後)には薄い雲を通して、あるいは雲の切れ間から金環が顔を出した。
 平安時代、975年8月10日の金環日食では『日本紀略』に「群鳥飛亂」と記されたようだが、確かに、カラスを始とする鳥たちの騒ぎ声も確認できた。
 雲のせいだろう星は判らなかった。(今回の金環は明るすぎて星は無理だった??)
 上の写真は、アストロソーラー太陽フィルターシート¥2,800で作ったセルを使用して撮影し、PCで少し青い色方向に補正した。
 全国的には精確な金環が撮影されているようだが、返って雲があって、少し中心がずれていて、手づくり感の溢れる写真だと自分で気に入っておればそれでよい。
 「木漏れ陽の影もそうなる」とかいろいろ言われていたが、そんなあれこれを試してみるほどの余裕の無い俄か天文家で終わってしまった。


22日追伸  してはならないことをしたので掲載を躊躇したが、左の写真は雲を通して現れた金環をノンフィルターでそのまま撮影したもの。記録のためにやはり掲載する。

2012年5月19日土曜日

しんこ団子再現 (こおつと大学)


日本食生活全集より
   義母に受講する「こおつと大学」は義母の記憶力との競争になっている。
  だから、義母が元気なうちに若い頃作っていたという『しんこ』を再現して食べさせてやりたいものだとこの間から思っていた。
  『しんこ』は、『日本の食生活全集29奈良の食事』の『斑鳩の里の食』から抜粋すると・・・、
  しんこのだんごは、祝いごとや仏事のおりにつくる。
  米の粉ともち粉を水で練ってこしきで蒸す。 
  蒸しあがったものをさいとう(浅い桶)の中に出して、手のひらに力をこめてつきこんで、だんごにする。
  軽くにぎれるほどの大きさにちぎり、鉄のねじり型に入れて形をつける。
  もう一度こしきに入れて蒸しあげる。
  砂糖をつけて食べるとおいしい。
 米の粉八合ともち粉二合を合せて一升で240個のしんこをとる。・・・・とある。
  行事食であること、親戚や近所に配ること、つくり方、その形など義母の記憶(講義内容)のそのとおりである。
  となると、その『鉄のねじり型』なるものを手にしてみたいが、そもそもそれは垣内(かいと)(一区画の集落)の共有道具であったという。

  それから・・つまり鉄のねじり型を手に入れたいと思ってから・・・は、奈良町や大和郡山の旧市街地を歩いた折に、古い荒物屋、古物商、和菓子店に首を突っ込み「しんこ餅のねじりん棒みたいな型はありませんか。知ってませんか?」と尋ねることにしてみたが、「いやあ~ ありません。知りません」という連続だった。

  わずか50年から70年前のことであるがこの有様。
  近現代史というジャンルが存在する意味も納得させられる。
  結論から言うと、その目的は未だ達せられていない。
  しかし、田原本町の古い荒物屋のおばあさんが、「へええ へええ 金のなあ こんな捻ったのんなあ そういやあ ありましたなあ 昔」と、話だけは通じた時には何かむしょうに嬉しくなってきた。
 だから、義母には、『鉄のねじり型』を手に入れるまではどうか元気でいてほしい。

  『鉄のねじり型』は駄目だったが、義母の記憶どおり『しんこ』を作ることにした。
  庭の蓬(よもぎ)を摘んでみた。結果的にはもう少し多かってもよかった。
  「もう忘れたなあ 忘れたなあ」と言いながら、上新粉をこねる手はびっくりするほど力強かった。
  それを蒸して、餡子を挟んで、柏餅ならぬ『柿の葉だんご』にした。
 買い求めた団子よりも10倍も100倍も美味しかった。
  なにせ義母の7~80年前のレシピどおりである。
  『日本昔話』の味がした。 



2012年5月16日水曜日

セッカの二股三股は問題ない

セッカ
   平城宮跡の空をヒバリと二分して歌い上げているのがセッカである。
 ヒバリのホバリングによく似たディスプレイフライトをしながらヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒと鳴き続け、チャチャ、チャチャ、チャチャと言って降りてくる。
 今回実際に見て聞いて知ったことは、上空で雄がヒッヒッヒ・・・と鳴いていると、草叢のあちこちから雌がチャチャ、チャチャ、チャチャと少し小さめの声で答えることである。そんなことは私の持っている本には全然書いていなかった。
セッカ
 ただ、「1羽の雄が数羽の雌とつがいになる」と書いてある本もあったから、私の聞いた(見た)「交信(ラブコール)」も十分にうなづける。
 観察していると、空高く舞い上がっては数箇所の愛人宅を平等に急降下して訪れているように思われた。これも、そんなことを書いてある本は知らないが、実際にそうだった。

 足下のすぐ先からもチャチャ・・が聞こえているから巣があるに違いないが、これを覗くのはタブーだろうと引き返した。
 写真のとおり、ヒタキ科ウグイス亜科というのも一目で了解できる。
 雀よりも相当小さく感じられる可愛い鳥である。

ヒバリ
 だからだろうか、私がセッカばかり撮っていると「私も見向いて」というようにヒバリが降りてきた。


 以上、愛鳥週間にちなんで近所の野鳥たちをご紹介した。

2012年5月15日火曜日

可愛いだけでない鶺鴒

セグロセキレイ
  岩本久則氏のエッセイに「子どもの名前を鶺鴒(せきれい)ちゃんと届けに行ったが不適当として受理されなかった」とあった。
 1994年発刊の本である。
 理由は日本書紀の記述内容にあるというのだが・・・、“何でもあり”の感のある現下のマンガチックな名前の氾濫の中ではちょっと考えさせられる。

ハクセキレイ
  溝に近いようなごくちっぽけな川の周辺でもよく見る鳥だが、川の無いところでは珍しいらしい。
 「パンダのような鳥を見ました」と年賀状を戴いたこともある。
 白セキレイは背黒セキレイよりも背中が灰色っぽいが『白』と呼ばれるほどの白ではない。
 だから最初のうちは誰もハクセキレイという名前が浮かばないようだ。
 腹などの白い部分が黄色っぽい黄セキレイは名前のとおりと納得する。

冬のハクセキレイ
  一番下の写真の鳥は何か判らないが、スタイルや動きの癖からセキレイだろうと思う。私としてはセグロセキレイの幼鳥ではないかと思っている。間違っておればご指摘をいただきたい。

 最初の話に戻るが、別名トツギオシエドリは日本で一番最初に文献に記された鳥であり、その日本書紀は、この鳥がイザナギ、イザナミ両神に子孫繁栄の道を教えたと言っている。
セグロセキレイの幼鳥
  だから、子どもが将来「エッチな子、エッチな子」といじめを受けるというのが不受理の理由(判例)とされている。

 なお、日本書紀の記す「鶺鴒いなくば日本民族が存在しない」という重大な故実?ゆえに、後の狩猟でも堅く「射まじき鳥」とされてきたらしく、そんなところから、家の庭などに巣を作ると吉兆と喜ぶ地方も多くあり、そういう吉兆感を前提にして伊達政宗もあの有名な鶺鴒の花押を作ったのだろう。

 秀吉の糾明に対して「鶺鴒の目に針の穴の無いのは偽書でござる」と言い張ったあの花押である。

2012年5月14日月曜日

何を語らう河原鶸

   カワラヒワは半田舎の我が家近辺では身近な鳥である。特に冬季には我が家の庭にもよく顔を見せる。
 キリキリコロコロと綺麗な声で鳴いていたかと思うと、突然ジューイ(ギューイ?)とあまり綺麗でもない大きな声を出すのが欠点かもしれない。
 枕草子で「千鳥いとをかし」と書いた清少納言も「ひわ」と名をあげただけなのはそのあたりに理由があったのではないだろうか。
 頭の上を飛んでいく時には羽の黄色っぽいオリーブ色の文様が「透かし」のように綺麗で私は好きだが・・・がその瞬間を撮れずに何時もガックリしている。
 クチバシの形でお解かりのとおり、いろんな木の実が大好きで、秋から冬には“喜んでころこんで”実のなる木に群がっている。
 バードテーブルにヒマワリの種を入れておくと、私が入れるのを見ていたかのように飛んでくる。
 下の写真はバードウィークということからすると、家族計画について話し合っていたのかもしれないが、芸能レポーターみたいな詮索は止めにしておく。
 正確には『求愛給餌』というが、きっとそうだと思う。

2012年5月13日日曜日

何をそんなに仰々しい

   オオヨシキリ(大葦切)の別名は行行子(ぎょうぎょうし)。
 鳴き声はギョウギョウシ ギョウギョウシ以外には聞こえない。
 繁殖期間中は止むことなく鳴き続けている。
 「鳴いて血を吐くホトトギス」ではないがホトトギス同様に赤い口を大きく開けて仰々しい鳥である。
 その騒々しさにも拘わらずどこか哀愁を感じさせるのは「利根の川風よしきりの~」という大利根無情の歌詞が頭の隅っこにあるからだろう。
 写真を見ても、どこか悲壮なまでの歌いっぷりである。
 夏鳥の中には、薫風かおる初夏をイメージさせてくれるものも少なくないが、行行子の場合は蒸し暑い夏を連想する。
 あの小さな体であんな大きな声を四六時中出していて過労死しないのだろうか。
 名前のとおり葦の生えている所では珍しくも無い鳥であるが、都会の庭ではあまりお目にかからない。

2012年5月12日土曜日

愛鳥週間の広報官

   朝早くから・・・、そして、時々は暗くなってからも・・・空の上からケリケリケリケリとうるさいほど愛鳥週間を広報しまくっているのが大型のチドリ類に属するケリである。
 12月29日のブログに書いたタゲリの方は冬鳥だと思うが、こちらのケリはこのあたりでは冬には見かけない。
 私の実感では、鷹よりもカラスのほうが強く、カラスよりもケリの方が強いように思う。              
 鳥の卵や雛を狙ってカラスが来ることがあるが、そして、ほとんどの鳥はギャーギャー騒ぎながらも結局はカラスに獲られてしまっているが、ケリの場合は、当該家族だけでなく仲間が集団で防衛に当たり、ほとんど見事な空中戦を制してカラスを追っ払っている。
 この写真も、写真を撮ろうと近づいた私を半ば威嚇しているように頭上で旋回を繰返した。
 そういう“可愛げの無さ”のせいだろうか目立つ鳥であるにもかかわらず詩や随筆ではあまりお目にかからない。
 写真のとおり、チドリ類に似つかわしくない一寸強面の存在感をあたり一面に発しているから当然かも。
 ただカメラを提げたヒマジンと額に汗している農民の区別は素晴らしく完璧で、田起しの豆トラの後をくっつくように歩いて効率よく餌にありついている姿は微笑ましい初夏の風物詩と言ってもよい。

2012年5月11日金曜日

ミューミューと千鳥なく

    近くの川に夏鳥であるコチドリが帰ってきた。
 千鳥はチンチンと鳴くといわれているがあれは嘘である。
 たしかに鳴きながら飛んでいるときの声はピッピッピッピというか、チッチッチッチというか、ピュピュピュというか、まあ「ちんちん千鳥」でも許せるかもしれないけれど、どちらかというと私にはミュミュミュという感じに聞こえる。
 特に、私のカメラを意識してか、飛んでいない時の警戒警報に似た鳴き声はミューミューで、全く子猫のようである。
 小さくて見つけにくい鳥であるが、鳴きながらツバメの如くカワセミの如くツーッと川面を飛び続けることと、この子猫のような鳴き声でそれと判る。

 私たちの世代では千鳥というと『目ン無い千鳥』という言葉(唄)に反応するが、コチドリは目ン無いどころか写真のとおり目がパッチリ。
 そのしっかりした目で餌を見つけて縦横(左右斜め)に歩いていくので、私の千鳥足とは似て非なるものである。

2012年5月10日木曜日

バードウィーク始まる

   今日5月10日から16日まで1週間がバードウィーク・愛鳥週間だが、丁度鳥たちの婚活の時期にあたるので、夫々が叶う限りの美声を競い合っている。
 で、美声といえば鶯だが、“聞きなし”という意識がなくても「法 法華経」と聞こえてしまうのがありがたい
 近所の川の向こう岸の桜の中で鳴いているのだが、その姿を捉えるのは難しい。
 およそ30分間ほど立ちつくしてようやく右の写真をゲットした。
 小さい頃は肉桂の味がきつすぎるように感じたが、歳を経ると“鶯餅”も好きになった。しかしあれはどう見ても“目白餅”だし、ほとんどの『梅に鶯』の絵もメジロである。
  これだけ徹底して間違われるのも実際になかなか姿を晒さないからだろう。
 で、この程度の写真でお許し願いたい。

2012年5月9日水曜日

夏日でないと鳴かない?ハルゼミ

   夏日とはよく言ったもので、5月5日のこどもの日は暑かった。そのせいでパンジーなどは一変に萎れてしまい、反対に矢車草は吾が世を謳歌している。
 『二月堂の舞台から眺めた奈良盆地の北のスカイラインを守るため』我が家の少し離れた南方に歴史的風土保存地域の比較的自然のままの緑のゾーンが残されている。おかげで、この日はこの小山でハルゼミが一斉に鳴きだした。
 その後、月火と、もう一度ハルゼミを確かめに自転車(大きな声では言えないが電動アシスト)で散歩してみたが、気温が25℃を下回るとあの日が嘘のように静まり返り、鶯だけが聞こえてくる春の風景だった。春ではあるがハルゼミは聞こえない。??? 名が体を表していないと怒るべきか、夏日とはよく言ったものだと変なところに感心すべきか、立夏前に鳴いたのでよしとするか。
 一旦地中に出たハルゼミはどうしているのだろう。
 7年ほど地中に居て1日でこれというのも可哀相だが厳しい現実なのだろうか。
 お目当てのハルゼミと再開できなかったので、その緑のゾーンに囲まれた奈良大学の博物館に寄ってみた。
 文化財の保存技術の成果がテーマだった。
 すると、入口にあの「おじさん」が立っていた。要するに文化財の保存技術で今があるらしい。
 しかし、おいおいおい、こんな所に立っていていいのか!
 タイガース打撃陣は極度の空回りを繰返しているぞ。(昨日は久しぶりに打ったようだが)
 あわてんぼうのハルゼミではないけれど、おじさんも24年間泥の中で雌伏していたわりには報われていない。

2012年5月6日日曜日

お誕生日プレゼント

   「窮すれば通ず」?だろうか、長男の誕生日はクリスマスに近く、長女の誕生日は雛祭に近く、孫の誕生日までこどもの日に近い。親や祖父母としてありがたいやら申し訳ないやら・・・。(行事が一つ割愛できるの意)

 だからではないが「孫の初節句に鯉のぼりをあげよう」と妻に進言したが、妻は「女の子は雛祭や」と・・・、私の「そもそも端午の節句は田植え前の五月忌みで女の子のお祭りやった」という解説を「実体がない」と一蹴した。
 そこで、行事らしきものとしては、長男にも長女にも必ずやってきた『菖蒲の鉢巻』だけは孫にも〆させたが、その費用は198円で資本主義社会の基準でいえばそんな廉価なものは『行事』と言わないのかも知れない。

 ・・・・・孫の1歳の記念すべきお誕生日プレゼントをホームセンターで買ってきた。
 「そんな大事な買い物をホームセンターでとはエライケチったなあ」と思われるかも知れないが、経済的にはそのとおりで、費用はおおよそ800円。

 材木売場で物色しながら頭の中で構想を組み立てていくひと時は正に至福のときで、ほとんどは単価45円とか90円とかの木切れである。
 プレゼントは、手押し車というか引っ張り車というか乗り物というかトラックというか電車というか、要するに孫が小さな頭の中でイメージを膨らませてくれれば良い訳で、あとは齧ろうが踏みつけようが投げようが壊そうが自由だと思っている。
 だから、ペイントも飾りもあえて取りやめた。
 最初は「軽いものを」と思って作り始めたが、「これではちょっと強度が足りそうにない」とか、「手押しの際に体重が掛かるとシーソーのように跳ね返ってこないか」とか考えては補強につぐ補強をしているうちにデザインは徐々に低下してしまった。
 全て接着剤にしたことと、サンドペーパーで角を取ったので、製造日数は1週間以上である。

 たしかに、「ここの角で顔を打たないか」とか「思わぬところで指をつめないか」とか「押すつもりが滑って転ばないか」とか心配は尽きないし、そんなときには孫の親夫婦に「お爺ちゃんが余計なものを作ってくれたから」と怨まれるかも知れないが、「いいや、この孫はそんなことぐらいで挫けず逞しく育つに違いない」と狂信してプレゼントを用意した。
 楽しいような、ちょっと心配なプレゼントだった。
 ああ、このブログを爺ばか日誌と名付けずしてなんと言おう。

2012年5月3日木曜日

ダンボ

   スノウさんに「鳥の声はどうして覚えるの?」と聞かれ、「私の場合は“聞きなし”で覚えることが多い」と答えたが、鳥にも相当な訛があるし、そもそも“聞いたそのとき”に名前が解らないと、その声と名前を記憶装置の中にマッチングさせてインプットしようもないから、これは“回答”にもなっていなくてスミマセン。

 アンマッチのついでに話も跳ぶが・・・、山口仲美氏著「ちんちん千鳥のなく声は」(講談社学術文庫)は、古典を紐解きながら“聞きなし”に触れた名著と思っている。
 購入しないまでも図書館ででも読まれることを広く皆さまにお勧めしたい。(趣味の押し売りかも?)

 妻と散歩していると、「あっ、〇〇が鳴いた!」と私が言っても、「えっ、どこに!」と返ってくることが多い。これは“聞きなし”以前の聴力の問題だが、人間ドックなどで妻の聴力が劣るというような指摘はないし、私の聴力が優れているという検査結果もない。
 しかし、実際にはフィールドで明らかな差が出ている。
 そこで考えられるのは『耳たぶ』だった。
 昭和29年に公開されたディズニー映画「ダンボ」は日本国中を席巻し、小学校に入学したての私の渾名は「ダンボ」に決まった。
 その当時は比較的耳たぶが大きく迫り出していたからである。
 それがこの歳になって、「耳たぶは偉大なり」と初めて肯定的に喜ぶことができるようになった。
 「福耳はお金が貯まるよ」と何回も言われてきたが、この方は全く当たらなかったが、「声の探鳥」には有効だったようである。

 私の好きな“聞きなし”は、
 ホオジロ  札幌ラーメン 味噌ラーメン  (全くそのとおり)
 コジュケイ  ちょっと来~い ちょっと来~い  (これもそのとおり)
 オオヨシキリ  仰々しい 仰々しい  (ほんとうにその声は仰々しい)
 ホトトギス  特許 許許許  (許可局とは聞こえないし、そもそも聞きなしにしても言い難い)

 「これはそのとおりだ」と感心した“聞きなし”の体験があればどうかご教示を願いたい。
 バードウィークは“聞きなし”の絶好のチャンスと言われている。

2012年5月1日火曜日

銅鏡の宿題は進まない

   4月25日のブログで、「倭人が、何故これほどまでに銅鏡を愛用し大量に古墳に副葬したのかは後日のブログへの楽しい宿題」と書いたが、言い訳でなく、今はそれを考えるのが楽しくて宿題を書くのが惜しいと言った心境にある。
 そんな中、古くは松本清張氏の名著「古代史の謎」をはじめいろんな本を読み返している内に、福永光司氏著「道教と日本文化」の中に、「私は前に『道教における鏡と剣―その思想の源流―」(「東方学報」京都第45冊所収)という論文を書きましたが、そこでこまかく論証しておいたつもりですから、それを見ていただきたいと思います。」との叙述を見つけた。
 それで・・・、早速アマゾンや楽天で取り扱っていないか調べてみたが、新刊はもちろん古書としても出てこなかった。
 次に、それなら・・と、国立国会図書館で蔵書検索をすると東京新館にその本があることが判り、さらに、有料だがコピーをして送付してくれるサービスもあったのでクリックした。・・他国の状況など知る由もないが、日本国・立法府もなかなかのものである。検索から注文まではアッという間。
 と、誉めてあげたいところであるが、実際に届いたのは10日近く経ってからだった。

 「そんなスピード感だから公務員批判の材料になるのと違いますか」と言いたかったが、実際の対応はアウトソーシングされた民間(国立国会図書館複写受託センター)だし、そこだって人手不足で大変なんだろうなあと想像した。(彼等の名誉のために付け加えておけば、この申し込みは休館日の前夜に行なったのであり、郵便到着は日曜日の後だったから実際には1週間ぐらいなのだろう。)
 請求書には、B4単価¥24×32ページ(本では64ページ分)¥768、それに手数料、消費税、送料で、合計¥1,203とあった。
 私の感覚からすると安いものだった。
 折角だから表紙を作ってB5に製本した。
 元職時代の「業務概況」作成の要領である。
 といって、製本機はもちろん大型ホッチキスもないから、千枚通しで穴を開け極細針金で背を綴じ糊で補強した。
 自分では気に入ったので、ひげ親父さんから戴いた蔵書印も押印した。
 我が書架の自慢が増えた感じがする。
 で、その内容であるが、それは楽しくて此処では書けない。(ただ、人は「その話のいったい何が楽しいねん」と言うぐらいのつまらん話なのであるのだが・・)