2012年5月15日火曜日

可愛いだけでない鶺鴒

セグロセキレイ
  岩本久則氏のエッセイに「子どもの名前を鶺鴒(せきれい)ちゃんと届けに行ったが不適当として受理されなかった」とあった。
 1994年発刊の本である。
 理由は日本書紀の記述内容にあるというのだが・・・、“何でもあり”の感のある現下のマンガチックな名前の氾濫の中ではちょっと考えさせられる。

ハクセキレイ
  溝に近いようなごくちっぽけな川の周辺でもよく見る鳥だが、川の無いところでは珍しいらしい。
 「パンダのような鳥を見ました」と年賀状を戴いたこともある。
 白セキレイは背黒セキレイよりも背中が灰色っぽいが『白』と呼ばれるほどの白ではない。
 だから最初のうちは誰もハクセキレイという名前が浮かばないようだ。
 腹などの白い部分が黄色っぽい黄セキレイは名前のとおりと納得する。

冬のハクセキレイ
  一番下の写真の鳥は何か判らないが、スタイルや動きの癖からセキレイだろうと思う。私としてはセグロセキレイの幼鳥ではないかと思っている。間違っておればご指摘をいただきたい。

 最初の話に戻るが、別名トツギオシエドリは日本で一番最初に文献に記された鳥であり、その日本書紀は、この鳥がイザナギ、イザナミ両神に子孫繁栄の道を教えたと言っている。
セグロセキレイの幼鳥
  だから、子どもが将来「エッチな子、エッチな子」といじめを受けるというのが不受理の理由(判例)とされている。

 なお、日本書紀の記す「鶺鴒いなくば日本民族が存在しない」という重大な故実?ゆえに、後の狩猟でも堅く「射まじき鳥」とされてきたらしく、そんなところから、家の庭などに巣を作ると吉兆と喜ぶ地方も多くあり、そういう吉兆感を前提にして伊達政宗もあの有名な鶺鴒の花押を作ったのだろう。

 秀吉の糾明に対して「鶺鴒の目に針の穴の無いのは偽書でござる」と言い張ったあの花押である。

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