2012年1月7日土曜日

海老のお頭

   おせちの必須アイテムではないけれど、少し大振りの海老はお正月らしさを盛り上げる簡単で便利な素材である。
  そこからの連想ゲームではないけれど、以前に見たテレビのドキュメンタリー、「ベトナムでの海老の養殖」は印象深かった。
 それは、マングローブの皆伐、薬漬け、餌の残りや糞や薬による海の汚染、その他途上国での社会問題等々相当深刻なテーマだった。
 もちろん、途上国での養殖事業を「列島改造」的に推進し、その製品を圧倒的に購入しているのは日本である。
 製品と言っても日本に輸出される海老のほとんど全ては頭を取ったブラックタイガー等であり、必然的にベトナムにはおびただしい海老の頭だけが残ることになる。
 そして夕暮れ、ベトナムの女性たちが夕食のおかずにその頭を買いに来るのだと、テレビは報じていた。

 その画面は・・・、ベトナム戦争の出撃基地を提供し、ベトナムの戦後はその地の豊かな自然と労働力を蹂躙しながら「援助」と「投資」を展開する日本国の一員として、ちょっと見るのが辛いシーンであった。
 だからアナウンサーもテーマを掘り下げるべくアオザイの女性にマイクを向けたのだろう。
 きっと、「私たちは朝から晩まで働いても海老の身は食べられない」とか「一生懸命働いて海老の身が食べられるようになりたい」というようなコメントを撮りたかったのではないかと想像する。
 ところがアオザイの女性は言った。「海老は頭が一番美味しいのに、身だけしか食べない日本人って信じられない」。
 申し訳ないがこの一言で深刻なテーマが全て私の頭から跳んでいってしまった。
 けだし名言。モノの本質を忘れ、コマーシャリズムに乗った小奇麗なパターンの料理しか考えられなくなってしまった経済大国国民への正鵠を射た評価である。
 そのとおり、海老は頭が一番美味しい。
 我が家では、甘海老やボタン海老のお造りの際は必ず頭をクシャクシャと食べている。ちょっと塩を振って網焼きにするのも絶品。鮨屋でボタン海老を握ってもらったときには、頭の塩焼きを特注してそこの職人に喜ばれたこともある。
 そういえば、長男が小さいときに志摩で泊まったことがあったが、「伊勢海老のガラのお味噌汁が一番美味しかったから、これから家の味噌汁は伊勢海老にして・・」と注文をつけられた。その味覚は正解である。
 写真の海老たちも、文字どおり徹頭徹尾味わわせていただいた。
 ただ海老養殖の諸問題は何も解決されていない。

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