2015年1月26日月曜日

椎の樹見つけた

  23日の記事のコメントに引用した永田和宏氏の短歌ではないが、私の植物の先生は妻である。その先生が「椎の樹を見つけたで!」と言って葉っぱと数粒のドングリを持って帰ってきたので、そのまま殻を破って食べてみたが一切の渋みがなかった。椎の実に間違いない。
 30分ほど歩いて行ってみたその場所は、街路樹ではなく、昔のままの木々がそのまま残されている史跡公園(平城京の瓦窯跡)で、いろんなドングリの樹に混じって大きなスダジイの樹が隠れるように立っていた。
 ネット上のレシピを見ると、炊き込みご飯がよいとか、きな粉のようにとかというものもあったが、もっと手軽な方法として「封筒に入れて電子レンジでチンする」というのがあったのでやってみた。

スダジイの袴はこれで
普通の団栗と大いに異なる
  結論的には不味くはないがイマイチだった。やっぱりと言うべきか、胡麻炒り器で炒って食べるのが一番だった。

 さて、日本の土器は世界的に最も古い歴史を持っていると言われている。縄文土器である。
 貯蔵用以前に煮炊きに使用されたと考えられており、上田正昭先生は「ドングリのあく抜きに必要だったとみなす説がある」と書かれている。
  三内丸山遺跡では栗畑が作られていたという説もあるし、このように椎の実もあるのに、あくのある栃の実やどんぐり類を食べていたのだろうか。
 先日は飛鳥時代に夢を馳せたが、今度は椎の実を食べながら縄文の先人たちに夢は飛んでいく。

 採集や狩猟が文句なしに楽しいのは、生き物としての人間の生に繋がるものだからだろう。
 そして、その自然界と折り合いをつけて生きることが、いま見直されているように思う。
 土のついた野菜に眉をひそめ、魚の顔を見ては怖いという、そんな「現代人」が増えていることと、ゲーム感覚の戦争が繰り返されていることを重ねてイメージするのは考え過ぎだろうか。

 この椎の実、山間の農家出身の義母は喜ぶだろうが、ここ数週間、インフルエンザの発生で外出できなくなっている。
 施設のインフルエンザが収まるまで椎の実を干しておこうと思っている。

  友人たちと会う機会に炒って持参したら、丹波出身の友人は一目で「椎の実!」と言った。
 ナッツ好きの友人は「美味しい美味しい」とパクパクと食べてくれた。

 後日、やってきた孫にはガスコンロの上で炒るのを全面的に任せてさせた。
 孫は自分で炒ったことでもあり、そして剥く作業も楽しそうで、これも大喜びで食べてくれた。 

 椎の実沢山拾うて来た息をはづませ 碧梧桐
 わけ入りて孤りがたのし椎拾う 久女

2 件のコメント:

  1.  こちらは山に行けば、雑木は椎の木がほとんどです。椎の実は長谷やんの写真と違って、もっとまるいのが主流です。子供の頃は皆、椎の実やシャシャブ(グイノミ)を食べていましたが、今は食べている人を見かけることは無くなりました。今度裏山で椎の実を拾ってきて、縄文人に想いを馳せながら一杯やってみようかと思いました。

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  2.  「山の雑木は椎の木がほとんど」とは驚きです。私の今回の木はスダジイ(ナガシイ、イタジイ)ですが、バラやんのところのはツブラジイ(コジイ)でしょうか。
     昔、生駒聖天(宝山寺)の露店で売っていたのを買って食べました。今では救荒食物ではなく、ハレの日のお菓子です。

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