凡人は元日の2紙に掲載されていた永田和宏氏の歌に震えるような感動を覚えた。
まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあった戦争の前(朝日掲載)
余計なことには関はりたくないといふ意識だれにもあればそれこそが怖い(赤旗掲載)
これをただの文章として語るなら、そのような主旨の文章は私も書いたことがある。
私の友人たちも書いている。
しかし、このように研ぎ澄まされた言葉を私は紡げない。その一方で、この歌は今後何層倍にも拡散されるに違いない。その素晴らしさに私は震えた。
同じことを語っても語る言葉で力は変わる。
私には文学的な素養は全くないが、少なくとも私の言葉で、新聞や雑誌からの借物の言葉でない言葉で、私なりの意見を発信していきたい。
元日の新聞から、そんな決意をさせていただいた。
まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあった戦争の前 永田和宏
余計なことには関はりたくないといふ意識だれにもあればそれこそが怖い 永田和宏
言葉の力をずしりと感じた朝だった。
朝日には、
太郎を眠らせ次郎を眠らせ白き雪ふり積む秘密保護法列島 高野公彦 もあった。
蛇足ながら、三好達治の雪という詩を踏まえているが、この歌では「眠らせ」たのは雪でも母でもなく安倍政権のように思われる。
凡人の感想だから間違っているかもしれない。
ほかには、金子兜太の、
海鳴りの被曝の村を猪(しし)往(ゆ)けり
菅原文太の気骨素朴に花八ツ手
山茶花(さざんか)も水仙も咲く人よ生きよ ・・も心を打った。
永田和宏氏と金子兜太氏は現代日本を代表する歌人と俳人。
返信削除さて、10日の新聞に『高校3教科書で「従軍慰安婦」「強制連行」の文言を削除』という記事が載っていた。
「誤記」を理由に教科書会社が「自主的」に訂正を文科省に申請したという。
そういう記事を前にして、永田氏の二つの歌に私は改めて頭が下がります。