27日に考古学者水野正好先生の訃報が報じられた。
平城京の長屋王邸宅等の発掘等で有名で、その地の保存運動もされていたが、残念ながら叶わずその地には「そごう百貨店」が建設された。
その「そごう百貨店」で朝日カルチャーセンターがあったものだから、先生は各地で旺盛な講演活動をされていたが朝日カルチャーセンターの依頼だけは殆んど受けられなかった。
その後「そごう百貨店」は倒産したが、我々の間では「原因は長屋王の祟りだ」で通っていた。
先生の話は考古学に止まらず文献史学にも及び、大胆に独創的な説を提起されていた。
私のような素人には文句なしに面白い話の連続だった。
邪馬台国についても、倭人伝は当然として、裴世清が推古天皇の元を訪れた際の隋書の記事の「則ち魏志の謂う所の耶馬臺なるものなり」を引いて、現天理市の大和神社を掘れば卑弥呼の宮殿が出てくるに決まっている」と断言されていた。
専門は古代のまじない等と言われているが、そういえば、古代の井戸から木製の男性器が発掘されたときに多くの学者は「捨てたのだろう」と言ったが、先生は「井戸の上に吊るしたのだろう」と断定されていた。その理由は「そうすれば水が湧いてくると考えるのが当然だ」というものだった。
このように実証と想像を混ぜて話されるところが面白いのだが、専門家の多くは苦笑する場面も少なくなかった。曰く「先生は今しがた卑弥呼にあって話してきたかのように語られる」と。
あの漫談のような講演がもう聞けないのかと思うと寂しいが、先生は今頃、本当に卑弥呼や裴世清と談笑されていることだろう。合掌。
残念ながら水野さんの話は聞いたことがありませんが、むかしNHKの大和の古塔を歩く、というような番組で土地のおばあさんが「この前の道を聖徳太子さんが歩いたはったんや」と語っているのを見て笑ったのを思い出しました。
返信削除太子が腰かけた石もありましたね。同感です。
返信削除今日、上野誠著「日本人にとって聖なるものとは何か~神と自然の古代学~」を読み終えました。
神と人間が混然となった古代史を非科学的だと馬鹿にするのでなく、人類の精神史だと考えると楽しくなります。
明日香の里も奈良の公園ものどかなものですが、実はおどろおどろしい権力闘争の日々だったのでしょう。
しかし水野先生にかかると、みんな楽しい昔話を聞いているような気になったものです。
先生は大阪府文化財センター理事長でもありましたが、橋下某が知事になり「府立の弥生文化博物館と近つ飛鳥博物館と同じようなものが二つもあるのは無駄だ」「ひとつに統合せよ」と号令をかけた時、「弥生時代と古墳時代の違いも判らないのか」と反対していました。・・・という橋下維新の横暴を思い出しました。
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