2015年1月17日土曜日

今日、1月17日

  阪神淡路大震災から20年が経ち、あの日を振り返る放送も多い。
 悪意ではなく、「あれほどの大災害には消防も太刀打ちできず、住民自身の、住民どおしの助け合いが如何に大事か」が語られているが、そのとおりだと思う。
 しかし、周りを見回してみると、勤労者の労働組合未加入率が増え、街では自治会未加入者が増え、卑近なところではゴミステーションのマナー違反もある。
 縦型の企業の論理にはモラルも忘れて従い、儲けに直結する業界団体には帰属するが、目先の利益だけではない先のような連帯は薄れている。労働組合の名に値するかどうかという問題もあるし、行政の手足のような自治会という問題もあるにはあるだろうが。
 受験競争中心の教育と、金儲けだけが社会の目的であり人生であるかのような企業主義が現状を生み出したのではないだろうか。
 
 そういうリアルな連帯感を知らない現代人は、心の深いところでそれを寂しく思い、バーチャルな連帯感に代替効果を求めているように思う。
 スポーツ愛好家には悪いが、マスコミ先導型のスポーツの熱狂的応援や、他人を攻撃するネット社会の土壌もそこにあるように思ってしかたがない。
 
 確かに、古い農村型の人付き合いには気疲れも感じるだろうが、程よい距離感のコミュニティー活動の必要性は高いだろう。
 そういう話をきっちりしなければ、テレビ画面のお偉いさんの「住民どおしの助け合い」のサゼッションも絵に描いた餅で終わるような気がする。
 胸に手を当てて反省しつつそんな感想を抱いてみた。

 震災20年で胸を打つ独白を見つけた。
 日本共産党書記局長山下芳生氏の非常に率直なルポである。
 下のURLを左クリックでドラッグして反転させて右クリックで「http://t.co/wvjS78FNaGに移動」してほしい。
   http://t.co/wvjS78FNaG

7 件のコメント:

  1. 阪神大震災についてのご意見、全く同感です。今日は私にとって、特別な日です。20年前、私は神戸市に住んでいました。そして、阪神大震災に遭遇しました。その日、近所で火事がありました。消防車は来ませんでした。多くの人々が亡くなりました。多くの人々が助け合いました。私は今夜、神戸市で行われるチャリティーコンサートに行きます。そして、多くの亡くなった方々のご冥福をお祈りしたいと思います。

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  2.  dyougoziさん、コメントありがとうございます。
     こんな記事を書いてみましたが、阪神大震災本体の記事を書くのはなかなかできません。
     確かに大きな揺れ、交通機関のマヒ、職場(古い古いビルの9階)の相当な損壊、その外いろんな経験があり思い出すことも多いのですが、それでも、淀川のこちら側は嘘のように日常があり、私はこちら側で何をすべきか悩みました。
     そのうちに、業務本体で対処しなければならない課題が押し寄せ、例えば、休暇をとってボランティアに行くようなことはできませんでした。
     そんないろんな事々をもやもやと考えると、20年経った今でも、阪神大震災関連の記事は重くて書き辛いのです。
     それで、こんな少し横道のような記事になりました。

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  3. 2年ぶりに参加しましたが20年目という事もあって参加者も多く、特に子供連れの方が多かったのが印象に残りました。身近に経験したものとしてやはり、語り、伝えていくことが何よりも大切ではないかと思います。私自身、当時労働組合の委員長としてどれほどの支援が出来たのか、今も悔やむことが多いのですが。山下さんのルポも実感としてわかるような気がしています。

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  4.  山下さんのルポも非常に人間臭い悩みが吐露されていて立派だと思います。

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  5.  ひげ親父さん、何を語り、伝えていけばよいのでしょう。耐震構造や家具類ですか、非常用具ですか、ギブアップしない精神ですか、住民や行政のネットワークですか、援助の必要な方々と優先的に援助する体制ですか、災害に強い自治体と国づくりですか、ボランティアの受け入れ態勢と運営ですか、・・・・・
     私はあの時まで関西に大地震がやって来るとは思ってもいませんでした。本当に想定の外でした。だから、大災害などすべて想定できるという方の意識が解りません。そういう前提に立てば、この列島に原発を置いておくなど狂気の沙汰だと思います。福井地裁判決ではありませんが、電気料金やエネルギーコストで議論することは論外です。その上に、稼働ゼロでも電気は足りていますし、原発ゼロの沖縄電力と電気料金が違わないのですから、シェークスピア風に言えば悪魔に魂を売った人間の所業だと思います。

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  6. 子供連れの若いお父さんは幼い子供に「お父さんが子供の頃にここで大きな地震があったんやで、怖かったで、」と話していました。その隣では歳とったおばさんが「姪が死にましたんや、可哀想でした」と呟いておられた。幼い子供がこれから先、覚えていてくれるか、お年寄りのつぶやきが誰かに伝わっていったのか、わかりません。わかりませんが、東日本大震災では、政府は都合の悪いことは隠し、原発事故も済んだことにしようとしています。事実を語り、伝える事を妨げようとしているのでしょう、それだけは何としても防がなくてはと思います。

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  7.  事実を伝えること、祈ることは原点だと思います。異議ありません。
     同時に、20年経過したわけですから、この中で学び取った種々の教訓を整理して引き継ぐことが大切なような気がします。
     そういう中のひとつとして、山下さんの感想は値打ちがあるように思います。

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