2012年6月8日金曜日

また会う日まで

  このブログは、尾崎紀世彦さんの追悼文ではないので誤解のありませんように・・・・・・。

  先日のブログのとおり同窓会に出席してきた。そして、その散会のときに、そういうシーンにぴったりの、下に掲げた「また会う日まで」を合唱した。
  その出来栄えは、・・・クラス対抗の合唱大会で音楽のN先生の担任クラスを抜いて学年優勝した我がクラスだけのことがあった。・・・と言って、その事実を私はすっかり忘れていたのだが・・・

  さて、この歌だが、これは半世紀前の毎年の体育祭のフィナーレで合唱したもので、だから皆が歌えたのだが、この歌詞を準備する際にネットを検索しまくったが結局正しい歌詞を入手できなかった。
  そんなにすぐに出てくるとは思ってはいなかったが、二人や三人は少しは書いているだろうと予想していたのだが、予想外の結果に愕然とした。だから記憶だけで歌詞を用意した。

  だから、このブログを読まれた方の中でご存知の方がおられたら、是非とも正しい歌詞を教えていただきたい。
  また、ネットで出てこないことについても・・・ご存知の方は何らかの情報を教えていただきたい。

  というのも、同窓会後も・・・、図書館で古い唱歌を探したり、丸山妙子氏の「戦後中学校音楽教科書に見る日本音楽の扱いの変遷」という、およそ全教科書掲載の題名を網羅した著作を当たってみたりしてみたが出てこなかったのである。不思議である。
  思うに、きっと当時の音楽担任のN先生がどこからか入手してガリ版で配付したものだろう。まさかN先生の作詞(替え歌?)でもないだろう??
  曲は賛美歌の「神ともにいまして」である。
  とすると、その後、「賛美歌に勝手な詞をつけないで」というクレームでもあって、消滅してしまった幻の唄なのだろうか。
  何人もの(といっても限られた数の)クリスチャンの方々に「こんな歌詞で歌われたこと、聞かれたことはありませんか」と尋ねたこともあったが何れも否だった。
  半世紀以上前のことごとを昨日のように語りつくした同窓会には、この化石のような唄が似合っていたのだが、存在した事実さえ手がかりがなくなっているのは妙に気になることである。
  この広い世界で全く存在感のない歌詞を、同窓会出席者が全員歌えたのも、考えてみるとちょっと可笑しい。
  もう一度言うが、どなたか、この歌詞がどのように作られ、そしてどのように社会から退場していったのかをご存知ありませんか。「私も唄ったことがある」という情報もお寄せいただければ幸いです。 (コメント(〇)の欄をクリック願います。)

  全く情報がない場合は、N先生の作った替え歌説がクローズアップされることになる。案外真実はそうかも知れないという気分になりつつある。
  だとすると、そんな替え歌を私たちは大事に大事に半世紀も憶えていたことに??。怒る気など全くない。歌というのは案外そんなものかも知れない。元歌よりも嘉門達夫の歌のほうを憶えていたりして。

7 件のコメント:

  1. 「神ともにいまして」の歌であればこの曲の原曲はアメリカの音楽家ウイリアム・トーマ(1832~1896)の無名時代の作で作詞者はジェレマイヤ・ランキン牧師(1823~1904)が送別の歌を賛美歌に仕立てたようです。ですから元はアメリカで作られた送別の歌で日本でも外国航路の出帆の時必ず聞かれたようです。日本語の訳詞は不詳です。(賛美歌解説から)ルーツはこの辺りにあるのではないでしょうか。

    返信削除
  2. !スノウさん 早速のコメントほんとうにありがとうございます。
     なるほど、賛美歌以前の元歌があったのですね。(賛美歌の日本語訳に捉われすぎていました。)
     調べてみます。

    返信削除
  3. 子どものころキリスト教の日曜学校や幼稚園で習った賛美歌には早春賦など歌曲の替え歌が多かったと憶えています。

    返信削除
  4. !yukuriさん 全くの門外漢ですが「早春賦(の曲)が賛美歌に」というのは本当でしょうか。思い違いではないのですね。だとしたら、どんな歌詞で歌われていたのか教えてください。事実は小説よりも奇なり・・・なのですね。
     今私は「神ともにいまして」の元歌の歌詞を探しています。ジェレマイヤ・ランキン氏の「神ともにいまして」的な歌詞(英語)は出てきますが、その元歌にはたどり着けないでいます。

    返信削除
  5. このコメントは長谷やんさんに還って混乱を招くかも知れませんが・・・賛美歌405番が「かみともにいまして」で404番が「山路こえて」でこれは明治末期日本人作詞者で松山市出身の「西村清雄」(1871~1764。?解説書ママ)京都の同志社に学んだ人で郷里に帰り一生を勤労青少年の教育に捧げた人です。宇和島教会を応援し好きな賛美歌を作詞し編集中の明治36年(1903)版「賛美歌」に採用されたようです。この辺りも・・・・?

    返信削除
  6. 私が、今現在考えていて調べていることは・・・、
    仮説1 ジェレマイヤ・ランキン氏が讃美歌風に変更する前の送別の歌を日本語に訳したものであるかどうか。疑問点は、それなら何故現在痕跡もなく消滅してしまっているのか。ちょっとぐらい記録上出てきてもいいのではないか。
    仮説2 讃美歌「神ともにいまして」(明治36年版)が元歌であるが公立学校で歌うには宗教色が強すぎるので堂々と別の歌詞を当てたものかどうか。疑問点は、仮説1の疑問点と基本的には同じ。讃美歌の曲にごく普通の歌詞を付けて一般的な愛唱歌になったものは少なくないのに、どうしてこの歌詞は痕跡もなく消滅してしまったの。
    仮説3 仮説2の作業を母校のN先生等ごく少数の先生(または単独)でおこなったのかどうか。これなら基本的に疑問はないが、それにしてはよくできている。
    ゆっくりと調べたい。yukuriさん、スノウさんありがとうございます。引き続きお付き合いください。曲は「神ともにいまして」で間違いありません。

    返信削除
  7. 讃美歌の歌詞をかえた曲は沢山在りますね。讃美歌のメロディーにこの様な歌詞をつけて下さった方に感謝します。
    讃美歌の歌詞では無くとも、どうかこの曲を歌いたかったので、助かります。

    返信削除