「こおっと」というのは少し考え込む時に口走る懐かしい関西弁の感動詞である。
私は90歳を超えた義母にリハビリを兼ねて昔の生活を尋ねたりするのだが、そういうときには「こおっと」と言ってから答えが返ってくる。
その会話、つまり戦前の義母の実生活の思い出は、柳田國男や折口信夫や宮本常一等の著した民俗学の本に匹敵するほど、いやそれ以上に聞いている私を楽しくさせてくれる。(・・・それほど大層なものでもないし、だいたいが学術的な価値は全くない。ただ、楽しいだけである。)
この楽しいやりとりを、私は勝手に「こおっと大学」と名付けた。少しく精確には実母のリハビリの際に開校=スタートしたのだが・・・。
5月19日のブログに書いた「しんこ団子」もその「こおっと大学」なのだが、そのとき(19日の前)には「義母が小さい頃食べていたしんこ」までは辿りつけていなかった。
ところが、念ずれば通ずというか、いや現代インターネット社会は偉いもので、私のブログに匿名のお方から「大和郡山の甲子堂
(ママ)にある」とのコメントを戴いた。匿名さん!ほんとうにありがとう。
で、義母の次の外泊に合わせて私は行動を再開した。
お店は、正しくは『甲子屋(こうしや)』さん。大和郡山市白土町504の2 TEL0743(56)1547で、事前に注文しておけば20本から用意してくれる。ここはお店というよりも工場のほうである。
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私は、義母の思い出の「しんこ」であること、だから「しんこの型」も見せていただきたいと事前にお願いしておいた。
その甲斐があって、甲子屋さんで楽しい「しんこ談義」に花が咲いた。
注文の多くは仏事である。
元興寺ではお寺の行事に供えている。
(大安寺の火渡りのときにも供えられて配られるらしい。)
仏事のときは黄色と青(緑のこと?)の線を色づけることが多い。
祝い事の際は赤と青の線にする。
この鉄の型(鋳物)(写真)は職人さんの私物を使っている。
型は、昔は個人の家にあったものだが今はどこにもない。
型屋さんに尋ねてみたら20万円と言われた。
甲子屋さんでは米粉だけで作ってほんの少しだけ砂糖を入れている。
日持ちしないから今日明日中に食べない分は冷凍して、その後焼いたり蒸したり、お汁に入れたりする。などなどなど・・・・・・・・
甲子屋さんの皆さんもいい方ばかりで、通常は「3個入りのパックを20個」と言うような注文が多く、仏事の後にそれぞれ持って帰ってもらうのが多いとか、奈良の古いしきたりのようなことまで話が弾み、「お母さん、お達者に」と送られた。楽しい買い物だった。
義母はことのほか撮ってきた「ねじり型」の写真が気に入って、「そうや これや これや」と何回もうなずいて、「こういう昔どおりの型で作った「しんこ」をもう一度食べられるとは思わなんだ」と喜んだ。
そして、「こういう風に蒸しましたんや」「堅さは耳たぶぐらいで」「大阪の親戚にも配って歩きました」と再び三度思い出を語ってくれたあと、
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「そういえば祝い事のときには食紅で短い線を二つ書いたなあ」「ヘタのところは三つの耳のようにしたなあ」と新たな事実を思い出したので、食紅代わりに梅干を使って、ヘタのところを記憶のとおり義母に加工してもらったのが右の写真・・・・そしてブログの本論はここまで。
このブログ、読者の皆さんには「それがどうした」「だからどうなん」ということだろうが、私たち夫婦は飛び上がるように喜んで書いている。
なぜなら、義母の「しんこ」の思い出を聴き取ったのは2011年1月13日のブログ。それから1年4か月の間、それほどたいしたことはしてこなかったが、それでも図書館を巡ったり、司書の方に相談したり、古いお店を覗いたりして、こういう形の「しんこ」と「鉄のねじり型」を探し続けて今日に至ったわけ。
それが、テレビの「新日本風土記」ではない・・、書籍の「一億人の昭和史」でもない・・、親の子供時代のそのままを実際に私たちはついに昨日見て触って食べることができたのだ。だから、ちょっとだけエヘンと言わせてもらいたい。
付記 義母によるとこの「しんこ」は自分たちのおやつではなく、赤ちゃんの生れた親戚に持参するような少しばかりたいそうなお祝いの品だったらしい。そういえば、5月19日のブログのコメントに記載したが、江戸幕府は旧暦6月16日の吉祥祝の行事に「捻り(ひねり)餅」を用いたというからその名残かも。それに昔の自作農家はお金はないがお米(正確には一寸欠けた様なくず米?)はあった。そして、歴史上最古級の南都の大寺院の行事にも残っている。正直に言って飽食の時代になんと言うことはない素朴すぎる味のものだが、そんなことごとと重ね合わせるとじわ~と味わい深い「しんこ」である。
6月2日昼追記 ・・・昨日の「しんこ」を義母の言うとおり火に炙って砂糖醤油に付けて驚いた。「あっ みたらし団子や!!!」である。製造過程を考えることもせずに出来上がったものばかりを手軽に入手している薄っぺらな現代人(私のこと)のコペルニクス的新発見に、義母は「しんこも、ちまきも、みたらしも、いっしょだんねん。だんごやから。」と淡々と呟いた。そうか、この方が普通の食べ方だったんだ。「何でこんな素朴すぎる味のものがお祝いの品だったのか」という疑問が氷解した。うん、これは美味しい。当り前である。
6月11日追記 「こおっと」についてスノウさんから葉書をいただいた。「このとおりサザエさんに載っている」との“証拠物件”なのでここに掲載する。その後「こうつと」としてネットを検索したら思いのほか多くの“証言”が出てきたが、ここ10年以内に完全消滅しそうな死語のように思われる。できれば皆さん、この言葉・・子や孫に引き継ぎませんか。その子たちが大きくなったとき、お酒の席あたりでちょっと自慢げに語らう姿を想像するのも愉快ではありませんか。写真の上でクリックすると拡大されます。