2011年12月16日金曜日

格が違う

   一口に老朗介護と言っても症状も様々であるから家族の有りようもまた様々であるが、有難いことに実母の場合は筆談で会話ができる程度なので、・・・それは、反対に言えば自由が利かない自分が情けなかったり、寂しかったりという感情が溢れてくるので・・・、私としても「食べて寝て排泄する」だけでは悲しいだろうと心を痛めて小さな努力を重ねてきた。

 最初に思いついたことは、花や草や木の枝や落葉や実や虫など、自然や季節を感じさせる実物を持参することだった。屋内ばっかりの生活にパッと気が晴れるようだった。 
 そして、母の属するテーブルを中心とした会話のようなものも始まった。
 その次に思いついたことは、私の趣味の鳥の写真などをアルバムの1ページずつのように持参すること。コメントつきの写真が施設の廊下を飾り、やはり気分を広げるようだった。
 その次は、駅の観光パンフレットや鉄道ニュースの持参で、行楽や行事のニュースは綺麗で楽しい話題が豊富なので、「体を治して行楽や登山に行きたい」と言葉を吐くという、ただそれだけでも活力源のように見えるようだった。
 その次は、思い出に繋がるような本や写真の持参。大正や昭和前半の本。上海日本人租界の本。オールド上海の絵葉書等々。
 「なつかしいなあ」「もう一度上海に行きたいなあ」と言うので「故郷は遠くにありて思うもの」と返すのだが、何週間かすると「また見たいなあ」と所望される。
 その次は、実母の想い出を聴き取ること。ただ、自分の子供時代の〇〇さんを私も知っているはず・・のように話してきたり、詳細不明の話が脈絡なく出てきたりするが、その一部をブログに書いたのを見せたりすると泣き出したりして喜んでくれる。何よりも「質問されている」・・は人格を認められている・・に通じる満足感があるように推察したりする。
 その次は、歌詞と楽譜の持参。早朝合唱団。この「力」についてはこのブログにおいて度々報告した。
 その次は、施設の行事への参加とその補助。

 ところが、ところが、ところが、これらの全てを足しても足下にも及ばない効果的な家族介護の手段が登場した・・・というか、気がついた。それは、曾孫の写真と携帯のムービー。
 私の孫(つまり母の曾孫)の写真などは母の属するテーブル共通の写真の有様で、つまり、他の入所者も曾孫の写真に顔を崩して語りかけたりして、いまや曾孫はテーブル皆んなのアイドルになっている。
 その威力は、コツコツと私が積み上げてきた手作りの家族介護のあれこれを束にしても敵わない。
 ズバリ、「曾孫と子(私のこと)では格が違うわい」とガツーンと思い知らされている。

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