2011年12月18日日曜日

鬼の末裔

   その昔、道教から繋がる種々の宗教は、今日のイメージでいえば薬学であり医学であり土木工学、建築、水利、鉱工業等々の科学であり技術であった。
道修町の神農さん
 そのため、大阪・道修町の薬の神さんが道教の薬神・神農さんであることはあまりに有名であるが、それもまた理由のないことではない。

 また、起源が道教にあるとされている修験道には「陀羅尼助」等の伝統薬が伝えられてきており、我が家でも常備しているほど今も人気がある。私は正露丸よりもよっぽど陀羅尼助の方が好きである。

   その修験道の開祖・役の行者は生駒山で夫婦の鬼を捕まえ弟子にした。
 生駒山で鬼を捕まえたその地は「鬼取(おんとり)という地名で今もある。
我が家から数百米の
小山の中の役の行者像
 その鬼の髪を切った場所を「髪切(こうぎり)といい、山を越えた東大阪にある。何れも暗峠(くらがりとうげ)沿いである。
 暗峠奈良街道は謂わば当時の幹線道路で往来する商売人や旅人も多かったが、医者などいなかった時代、突然の病に対して、修験の弟子たち、いうならば鬼の弟子たちによって伝えられてきた秘伝の妙薬を旅人に施してくれる技能者は、きっと神様のように有難がられていたであろうことは想像に難くない。

 幕末から明治時代、その暗峠奈良街道沿いに住んでいた曽祖父(義父の祖父)は「疝気や腰痛に苦しむ旅人に家伝の妙薬を施して多くの人から感謝されていた」と市史に載っている。
 それは「松葉、ブクリョウ、シメシナ白南天の実、まむし、せんぶり、甘草、ダイダイの皮などを材料とした煎じ薬」(市史)とあるが、その秘伝は残念ながら途絶えて義父や私には伝わっていない。
 繰り返しになるが、役の行者の弟子である鬼のいた地(鬼取)に程近い地にいた曽祖父が、農業の傍ら、きっと役の行者から鬼たちに秘伝されたに違いない伝統薬を作って人々に施していたというのである。
 そうであるなら、実は・・曽祖父は鬼の後裔、わが妻はもしかしたら鬼の末裔ではないだろうか。(そういえば、妻は、時にシバシバ私に向って鬼になる)(これはナイショ)

 このように、古代史と仄(ほの)かに繋がる小さな事実を夢のように広げてみる冬の夜も楽しい。・・・来年からは「福は内、鬼も内」と豆撒きをしなければならないかも???

 ちなみに、夫婦二人の鬼の直系子孫が下北山村の秘境・「前鬼(ぜんき)で行者をしながら宿坊を営んできた。今も1軒だけ残っているようだ。昔から一度行って見たいと思ってるが叶っていない。

8 件のコメント:

  1. 近所のおじさんが突然、山伏の姿で出かけられるときは、びっくりしました。何か近寄りがたい雰囲気がありました。河内の村では、青年団で大峰山参り(実際に登ったのは山上ケ岳だったようだ)がありました。長兄は「のぞき修行」も経験したそうです。

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  2. 山の世界は独特のものがありますね。山上ヶ岳は今でも女人禁制のため隣の稲村ヶ岳に登ろうと赴いたことがありますが、入山口の洞川で「ここは登山家(アルピニスト)の世界ではなさそうだ」と思って引き返したことがあります。木曾の御嶽山もそうでした。
     山伏は大護摩を焚きますが、覚醒作用のある植物を含む大護摩の煙に包まれて読経を続けると、煙の中に神々が顕れるに違いないと考えるのは冷ややか過ぎるでしょうか。

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  3. 長谷やんさんのブログについては、更新数の多さとともに、その博学ぶりに驚かされています。
     地名に残る伝承のいわれや、家に残る僅かな事実から古代につながる壮大なロマンを思い浮かべるなど、確かな表現力も魅力的です。これからも楽しみに読ませていただきます。

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  4. 和道さん コメントありがとうございます。ただし、私のインチキな大法螺に騙されないようにお願いします。「盲蛇に怖じず」です。(「盲」は単語を捉えて差別語だというのは正しくないと考え使用しました。)
     可能な範囲で父母たちの生きた証しを子や孫たちに中継できたら・・と思って、愚にもつかない「?」を好き勝手に書いています。

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  5. 大昔、「労山」の友達と洞川から稲村ガ岳に登って弥山から前鬼まで奥駆けをしたことがあります。元気だったなア!!テント泊の行程で朝食の当番でありながら真っ暗闇と大風で怖くて起きられなかった事を思い出します。
    今、宵の口、東の空に「木星」が輝いています。この間「隠居所」で25年ぶりに60㎜望遠鏡を引っ張り出して観測してみました。1日目は捕らえられず失敗しましたが2日目はバッチリ見えました「横縞2本」と4衛星を確認できました。でも感動より寒さのほうが強く30分で終了!
    昨夜は真夜中から朝方まで「ピュー」と口笛のような鳴き声が聞こえていました。「鹿」だと思います。百人一首の読み人の境地です。

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  6. スノウ仙人 こんばんは。① 前鬼に行かれたのですね。どんなところでしょう。② 木星の衛星はフィールドスコープでも見えるのでしょうか。双子座流星群を見ていたときには「木星が明るすぎて邪魔だなあ」と思っていたのですが。見直してみます。

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  7. 奥駆けをしたのは昭和40年後半、今から40年ぐらい前の事です。今と隔世の感があると思います。谷間にバラックの様な建物があり前を通っただけでした。水が豊富な所だというのと、そこからバス停のある「前鬼口」迄の道行きが遠かったのを覚えています。その後昭和50年代にNHKが奥駆けのドキメンタリーの放送があり「関西思い出シヤター」の再放送を録画していますがVTRが行方不明です。番組では前鬼の子孫が山小屋を再開していたようですが今はどうなっているのか知りません。
    望遠鏡も解説書も隠居所に置いていますので何倍位あれば木星が見えるの此処では解りません。
    それと、私は「仙人」ではありません。この歳になっても家に帰れば様々な世俗の「トラブル」に巻き込まれてストレスが服を着ている様な者です。妻に言わすと「あんたがわざわざ苦労を引っぱって来ている」と言われていますが・・・
    私の息抜き、精神安定剤が隠居所です。

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  8.  長谷やんの古いブログ「鬼の末裔」を読まさせて頂きました。双子座流星群などの懐かしい言葉が書かれていました。私も流星群を見て興奮していました。もっと昔のことであるような感覚ですが、まだ4年少ししか経過していません。
     長谷やんの嫁さんは、「鬼の末裔」に間違いないと思いました。私も今日の節分は「福は内、鬼も内」と言って豆まきをしてみます。

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