2014年6月20日金曜日

松本サリン事件から20年

  1994年6月27日深夜にオウム真理教がサリンをまいて、8人が死亡、586人が中毒になった松本サリン事件から間もなく20年が経つ。
 事件後すぐに、自身も被害者でありながら第一通報者であり、その上に奥さんが重傷(回復することなく後に死亡)だった河野義行さんが犯人だとする警察主導の報道が大々的に繰り返された。
 当時のその報道内容には説得力があり?、彼が理工学部出身で知識があるとか、写真現像用薬品や農薬が原料であるかのように「論理的で科学的?」な解説が何度も何度も繰り返された。
 そのため河野さん宅には「人殺し」「町から出ていけ」という電話が深夜までかかってきて、町中で氏は誹謗中傷を浴びたという。
 かくいう私も、抗議電話などはしなかったが、彼が犯人だと信じ込んだ。
 私の知る限り私の職場でそれを疑うものは皆無だったように思う。
 彼の容疑が晴れたのは翌年の地下鉄サリン事件後のことである。
 この「誤った情報で他人を疑った」という私自身の体験は、思い返しても情けない苦い思い出である。

 今多くの人々は、いくらマスコミが騒いでも「私だけはたやすく嘘には騙されないぞ」と自信を持っているだろう。
 しかし、私には自信がない。ほんとうに自信がない。
 恐るべき情報化社会の下で、ある答えに向かって積み上げられた情報は、容易く国民を誘導できることを自覚しなければならないように反省している。
 私たちの国ニッポンは、「フセインは大量破壊兵器を持っている」と合唱しながらブッシュの後ろに付いて行ったが、その国の国民は今悲惨な状態に陥っている。
 誤爆、自爆テロ、劣化ウラン弾放置、そして内乱状態・・・、すべて「私は騙されていた」で済むのだろうか。ほんとうに騙された責任はないのか。
 この国では「私は騙されていた」とさえ言えば免罪される風潮があるので、肝心なところで歴史の反省や総括があいまいにされてきたように思う。
 その土壌の上に、集団的自衛権などという言葉の下に海外派兵も武器の輸出も我物顔の国に変身しつつあるが、子や孫が「何でこんなことになったん」と言ったときに、父母や祖父母として「騙されててん」と言ってはならないと心に決めている。

  ツイッター上にこんな文章を見つけた。
 戦争や原発が起こって
 初めて罪が発生するのではない
 戦争前 事故前の平和な時に
 何もしないこと
 無関心でいることは
 罪を犯しつつあることなのです
    臨済宗 妙心寺派 管長 
          河野太通老師
 
 こう述べられた妙心寺の老師にも頭が下がるが、それを「他宗派の管長さんの談話ですが、とても心にひびきましたので掲出させて頂きました」と貼りだした池上本門寺(日蓮宗大本山)にも敬服する。
 片や日蓮上人を口にしながら解釈改憲を容認しようという与党の人々がいる。

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