2017年2月8日水曜日

この世界の片隅に 2

   映画「この世界の片隅に」について、ネット上では「テンポが早すぎる」「判らない言葉が判らない」という声があることを2月1日の記事で触れた。
 そこで思うのだが、「テンポが早すぎる」について私は全くそうは思わなかったが、よくよく考えてみると大雑把ではあるにしても私は15年戦争の「年表」程度のことは知っている。
 もし私がその程度の「年表」を知らなかったとしたら、「テンポが速すぎる」と思ったかもしれない。

 今の学校のことは知らないが、私が中学校や高校で習った日本史は明治維新までだった。
 テレビで「日本は72年前までアメリカと戦争していたのを知っている?」「うっそー!」という会話が流れたりするが、もしかしたら「この世界の片隅に」の背景たる歴史は若い人たちの間で十分共有されていないかも・・・。

 そいえば映画の中に時限爆弾が出ていた。
 飛行機から落された爆弾が時限爆弾で、空襲警報解除、「もう爆撃は終了した」と思って外に出た人々が死んでいった。
 そういうリアルは私の知識(皮膚感覚)の中にはなかったことだ。
 私だって、「うっそー!」の若人と五十歩百歩だ。

 小さい頃家に、叔父が戦地から持ち帰った土産?があった。
 青天白日旗(蒋介石の中華民国の国旗)に包まれた砲弾の破片だった。破片といってもけっこう大きなものだった。
 破片は単なる鉄の塊ではなく、断面全てが幾つもの包丁の刃のようになっていた。
 砲弾は直撃でなくても、こういう破片が四方八方に飛び散ったのだとしたら、手足どころか胴体だって真っ二つになりかねない。
 七十何年前の砲弾でもこうなのだから現代ではもっと人殺しの技術は進歩していることだろう。
 こういうリアル(皮膚感覚)は教科書や授業ではなかなか教わらない。
 
 あの戦争のリアルは多くの人々が語らいまゝ鬼籍に入った。
 特に加害行為については多くの人々は口を噤んで墓場に持って行った。
 そして今「うっそー!」の時代に、海外派兵が進行している。
 だから「戦争の影」程度のことでも知っている世代が大いに語り継ぐ必要があるような気がする。
 北山修・杉田二郎が歌った「戦争を知らない子供たち」は「教えてほしい」と歌っていたが、「教えてほしい」と待っているだけではだめなのではないか。
 テンポが早すぎても言葉が判らなくても、親や祖父母の時代の「時代劇」を観てほしい。

   早春譜口ずさみたくなる心地して

   戦時下の親も見ただろう春日和

3 件のコメント:

  1.  「歴史をリアルにとらえる」ということでは、この映画でロンドン海軍軍縮会議の結果、呉の町が不況になり失業者が軍縮条約をなじる場面が一瞬あったが、非常に大切な事実だと思った。富国強兵の経済の軍事化は庶民の心を人質にしてしまう。映画「小さいお家」のシーンにもあったが、「こうなりゃ戦争でも始めてもらわにゃなりませんな」と庶民が言ったという事実を肝に銘じる必要がある。

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  2. 原発再稼働の地元でも同じような意識があるようですね。

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  3.  「貧すりゃ鈍する」と笑ってはいられない。無視できない事実だろう。しかしそこに心を売ってしまうと人の道を踏み外す。そんな最低限の倫理感をいくら野暮と言われようが語ることが大切な時代に来ているように思う。橋下、安倍、ルペン、トランプなどを見ながらつくづくそう思う。原発再稼働はその典型だろう。

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