2017年2月24日金曜日

教育勅語はなぜ良くないか

 豊中市にあった国有地をただ同然で手に入れた学校法人森友学園が運営している塚本幼稚園では、園児に教育勅語を暗唱させ軍歌を歌わせている。
 その教育方針に感動したと述べている安倍晋三夫人昭恵氏が、その疑惑の土地に建設中の小学校の名誉校長だ。
 そもそもその小学校の名前は当初「瑞穂の國安倍晋三記念小學院」であったらしい。

   安倍内閣が圧倒的に右翼団体日本会議所属議員によって構成され、現憲法を含む戦後民主主義(戦後レジーム)の否定、戦前回帰を目指しているという指摘に対して、「いくらなんでもそれほどの時代錯誤の考えではあるまい」という漠とした不同意が残っていたが、先の指摘を見事に証明したような気がする。

 一部には、教育勅語の文言の中には親孝行とか友達は信じあえとか良いことも書いてあるという発言があるが、そういうのは「木を見て森を見ない」議論だろう。
 文脈上もそれらが次の一行の飾りでしかなかったことは歴史が証明している。
 「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」、国のために命を差し出せである。

 よく、「戦後民主主義の結果、世の中の秩序が乱れている」「戦前の方が秩序正しかった」とか、中には「青年を鍛えるためには徴兵制が良い」とテレビで語る人物がいる。
 しかし、暮しの手帖編「戦争中の暮しの記録」をみても、教育勅語を暗唱した学校校内で、貧しさ故に弁当の盗難は頻繁であったし、「せめて空き箱は返してほしかった」というのが現実だった。
 いじめも暴力も日常茶飯事だった。
 あまり言いたくはないが、側室が5人もいた明治天皇に「夫婦相和シ」と説教されるのもおかしなものだった。

 ナチス政権下のドイツにはレジスタンスの大きな運動もあったが、わが国のそれは治安維持法によって弾圧が重ねられたこともあるが、徹底して押さえ込まれていた。そこに戦前教育の影響を見ない者は歴史に対して誠実ではない。
 多くの国民があの戦争の狂気を批判できずに戦後を迎えた歴史を反省すれば、戦前教育が果たした負の遺産はとてつもなく大きく、「自虐史観」の悪罵の下に反省に頬かむりして戦前を賛美することは許されない。

 〽海ゆかば を歌い教育勅語を暗唱させる幼稚園の映像を見て、こんな幼稚園や「小學院」は造ってはいけない・・という声を理性ある人々は声を上げるべきではないだろうか。

   春寒し昭和がテレビに映ってる

2 件のコメント:

  1.  23日衆院予算委員会分科会で共産党の宮本岳志議員が「教育勅語そのものを教材として使うということは考えられない」という従来からの文科省の立場に変わりはないかと質したことに答えて文科省初等中等教育局長は「変わっていない」と答え、文科相も「教育勅語を教育の源泉として扱うことは適切でない」と答えた。
     しかし塚本幼稚園ではこれを朗誦させているし、問題の小學院でも朗誦させると言っている。
     問題は、総理大臣夫人という肩書の安倍昭恵氏がそういう教育方針を絶賛している(HPから今般削除)ことである。
     教育勅語は昭和23年に国会両院で「排除・失効」決議がされたものである。そのようなものを総理大臣夫人の肩書で講演し意見を表示して絶賛することを不問に付してよいものだろうか。

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  2.  23日の衆院予算委員会で民進党辻元清美議員は稲田防衛相に対して月刊誌で「文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました」と擁護していたことを質したところ稲田氏は「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う。どういう教育をするかは教育機関の自由だ」と反論した(24日朝日朝刊)。
     私は稲田氏が「一旦緩急アレバ・・」も肯定していると思うが、それでは本音が丸分かりになるから「親孝行・・」を引いたのだと考えるが、こういう論理のすり替えが多々あるのであえて反論すれば、そういう木を見て森を見ない議論をすれば、戦争によって科学技術は進歩した、戦争によって医学は進歩した、よって戦争の全てが悪いわけでなく良い面もあるという主張と同じになる。
     ポスト真実、つまり嘘や論理のすり替え、情緒的で劇場型の宣伝文句で政治が語られ歪んでいっている現代社会を理性的に見れば、稲田的、安倍昭恵的教育勅語擁護発言を絶対に軽視してはならないと私は思う。

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