時代は閉塞感に包まれている。
中流社会の崩壊、不安定雇用と、底の抜けたセーフティーネットという自公政治はもうまっぴらだと思って政権交代に期待した「世論」は、民主の見事な裏切りっぷりにうんざりしている。
嫌ではあるが現実に、彼等(彼?)のイジメに似た下品で過激な発言が、出口の見えない鬱憤という「世論(気分)」の受皿になっている。
よくイジメの報道の中で「イジメを止めようとしないのはイジメに手を貸しているのと同じです」的な話を聞かされるが、理念的にはそうだろうと思う。しかし、現実社会でこの姿勢を貫くのは極めて難しい。
そこで私は「出来る範囲のことを」「さりげなく」意思表示しようと思っている。
そんなたいそうな話ではない。
例えば、愛用の鞄にさりげなくネームプレートを下げている。
ネームプレートは2つで105円。
中には6月30日の「燕が珍しくなる日」のブログに掲載した写真に「NO NUKES」と入れてある。
ただそれだけである。
自分で言うのも何だが、そんなにダサくもない。
なぜ子燕たちがNO NUKESと叫んでいるかは6月30日のブログを眺めていただきたい。
このブログ、生恵幸子師匠なら「それだけかい!」と言われそうだが、それだけである。竜頭蛇尾ですんまへん。
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