以前の「こうつと大学」のブログに書いたが、私は「こうつと大学教授」(義母)から初めて土臼(どうす・つちうす)というものを教えてもらった。
昭和の初期に子供であった義母が籾摺り(籾から籾殻を取って玄米にすること)を行なっていた道具である。
そこで、その耳学問で得た(見たことのない)土臼をこの目で確認したくなって、京都府立山城郷土資料館を訪れたが、・・・そしてそこは結構「農山村」の地にある資料館だったのだが、残念ながら土臼は展示されていなかった。
そのため「こんな田舎の府立資料館でもないのか」とがっかりし、正直に言って土臼の実見は半分以上諦めかけていた。
だから今度は、あんまり期待をしないで・・・・避暑を兼ねて奈良県立民俗博物館を訪れたところ、写真のとおりきっちりと土臼が展示されていた。入館者もほとんどいなかったので妻と歓声を挙げ、係に申し出て撮影を行なった。
考えてみれば、奈良県下の古い農機具を探していたのだから真っ先にここに来るべきだった。何をトンチンカンな時間を過ごしていたのだろうか。
ここには、唐箕(とうみ)等の古い農機具や莚(むしろ)織機等の「こうつと大学」で聞いたことのある品々も並んでいた。
そして屋外には、水車小屋も、主要部分が茅葺で軒先が瓦葺の「大和棟の民家」も、へっついさん等もそのままに移築されていた。
後日、もしかしたら少しは喜ばないかと「こんなのを見てきたよ」と、この日の写真集を義母に見せたところ、予想した以上に懐かしんで道具や家屋の写真を喜んだ。そして、その道具にまつわる幼い思い出を、莚織はこんな風に髭を取るとか、水車小屋へは遊びの途中でも搗き過ぎてないか見に行ったとか、いろんな道具について「ここをガシャンとこう引っ掛けますのや」等々、訥々ではあるが手振りも添えて語りだした。
90何歳相応というか、それ以上に「進行」している義母だが、幼い日々の記憶は全く別の箇所から湧き出てくるようだ。そして、娘婿である私に・・「尋ねられている」・「教えてやらねばならない」・・という使命感がその原動力になっているようだ。
博物館には、小学校の先生らしいグループが校外学習の下見(らしい雰囲気)に来館していたが、「小学生もええけど老人施設のリハビリに活用したらええのに」と妻と言い合った。
しかし、それには人手が必要だ。
いつの間にかこの国では、社会保障や公的な人件費を「無駄」だとして、削減することこそが善であるかのような歪んだ論調が為政者やメディアによって流布されている。困ったことである。
さて、小学校区に田圃がなく、農業をまったく知らずに育った私であるため、こうつと大学で教えてもらうまで、脱粰(脱皮)(だっぷ)=籾摺りというものを考えても見なかったし知らなかった。
漠然と、戦時中の芝居や映画で一升瓶に入れた米を棒で突いていたのがイメージとしては浮かんできただけだった。ご存知の方からすると、軽蔑したくなるだろうほどの物知らずである。
調べてみたところ、現代は、回転率の異なる二つのゴムロールの微妙な隙間に籾を通す機械が主流らしい。
それ以前、江戸中期から昭和10年代までが土臼で摺る時代。
それ以前は臼と杵で搗くのが普通だったらしい。
昨年、実母の入所していた施設で、たまたま稲刈り後の稲を手にしたが、私もスタッフ全員もどうしていいのか解らなかった。ネットで調べて、一升瓶方式よりも効率のよさそうな擂り鉢と軟球方式で試してみたが、基本的には成功したが、気の遠くなるようなしんどい作業だった。
私は小学校の社会の時間に何を学んでいたのだろう。
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