2012年9月8日土曜日

八朔は雨?

ネットから
  堺などの、蒲団太鼓(ふとんだいこ=太鼓台)を担ぐときの唄の中の「それゆえ八朔(はっさく) 雨じゃいな」というのがよく判らない?
  当り前だが旧暦の八月朔日(ついたち)・・今年は9月16日・・頃は台風シーズンだから雨が多いというのであれば味もシャシャリもない。
  八朔というからには元々八朔祭の唄だとしたら、堺の中心部の開口神社(あぐちじんじゃ)(大寺さん)の八朔祭の蒲団太鼓がルーツかと思われるが、ここは古くからの都市のド真ん中であるから刈入時の天候への期待とも思われないし、だいたいが晴天祈願の歌詞とは思えない。刈入時に雨乞いはないだろうし。
  国性爺合戦の和唐内から中山清閑寺と言葉を掛けてきてこうなっているので、歌舞伎か人形浄瑠璃あたりの当時の庶民の「常識」に乗っているのだろうが、その「常識」が私には判らない。
  ご存知のお方にご教示を賜りたい。

  泉州において教員生活の経験がある宮本常一氏の著「ふるさとの生活」によると、大阪平野などでは半夏生から八朔の間は太鼓を叩いたりして全員昼寝をすると決まっていた・・・とある。
  また別の書物には、近畿一帯では八朔のことを「日の辻の取り上げ」と呼んでいた・・・とあり、日の辻とは正午のことで、八朔は昼寝の終了イコール夜なべ仕事の開始日だった。つまり、この日から秋の厳しい労働が始まる日だったので、この日の食べものを涙飯、泣き餅、涙饅頭などと呼んだ・・・とある。広辞苑にも一部(日の辻、日の辻の取上げ、涙飯、涙饅頭)登載されている。
  吉川弘文館の「日本の年中行事事典」には、「大阪泉北地方では八朔の苦餅(にがもち)として牡丹餅を奉公人に食べさせた」とある。
  とすれば、祭りの囃し唄らしくはない??が「それゆえ八朔 涙雨」の意だろうか。判らない。

  今日では八朔祭も前後の週末に開催されるところが多い。有名な百舌鳥八幡宮は月見祭であるが同様に「八朔~」と唄っている。他の神社でも八朔でなくても同様である。
  なかには現暦の8月1日や月遅れの9月1日前後に八朔祭をするところも多い。
  いうまでもなく旧暦(太陰暦)の朔日は絶対に新月である。当り前である。
  8月末に満月(望月)を見ながら外出先から帰ってきたら、テレビが「明日は松尾大社の八朔祭です」と言っていた。う~む難しいことである。

      牡丹に唐獅子 竹に虎
      虎追うて走るは和唐内
      あとないお方に知恵貸そか
      知恵の中山清閑寺
      清閑寺のおっさん 坊さんで
      それゆえ八朔 雨じゃいな
      ベーラ ベーラ ベラショッショイ

          どんどんどん ヤーエ
          どんどんどん ヤーエ
          ヨンヤマカッソコジャイナ
          ヨーンヤセー
   
  う~む 何から何まで難しい。

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  出島の同窓生の言うには、出島の太鼓ではその歌詞は歌わず、もっともオーソドックスな・・・
  石山の 秋の月  月にむら雲 花に風  風の便りは 阿波の島  縞の財布に 五両十両
  ゴロゴロ鳴るのは ナンジャイナ  地震 雷 あと夕立  ベーラ ベーラ ベラシャショイ
だという。
  それにしても夕立だ・・・・・・・。#$%&? なんでやろう?
  お便りありがとう。

  御陵前の同窓生は、「ルーツは大寺さん(開口神社)の八朔祭やろう。経験的には八朔祭は必ずと言って良いほど雨が降る。だから太鼓を担ぎながらヤケッパチで「それゆえ八朔 雨じゃいな」と歌ったんと違うやろか?」と言う。
  結局一番それらしいが・・・。ご返事ありがとう。  

5 件のコメント:

  1. !衝撃の事実を言えば、昭和2~30年代の大寺さんの八朔祭の太鼓からはこのような唄を聞かなかった。
     普通は草津節を歌いながら担いていた。
     あるいは「〇〇の太鼓 よう担く太鼓。△△(鉢合わせた相手)の太鼓 よう落とす?太鼓」のような囃子言葉だったように覚えている。悪口の方の言葉は記憶が曖昧。
     つまり開口神社(大寺)ルーツ説は???かも知れない。

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  2. 百舌鳥八幡布団太鼓のブログでは「それゆえ八朔雨じゃいな」と唄っていますね、河内では「よいやさー」の掛け声だけで歌はありません。八朔の事は河内の友達(農家だった)に聞いてみます。

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  3. !河内では「よいやさー」ですか。
     とすると、堺周辺の「ベーラショ」が不可思議ですね。「米良し(こめよし)」で「べーら」である書いてあるのを読んだことがありますが、ちょっとねえ!
     「べーら べーら べらしょっしょい」について、出島さん、御陵前さん、そして堺周辺の皆さん!そのイワレを教えてください。

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  4. !本文の最後で「う~む難しい」と言ったのは、満月の夜に新月祭と言っているからです。ナンデモアリの世の中にアリエヘンと思うのはきっと時代遅れなのでしょう。

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  5. このふとん太鼓の担ぎ歌は。堺の郭の馴染みに逢うために。お店のお金五十両を黙って拝借した若旦那が。船に乗って出奔して。淡路をすぎるころにはバレて親父は怒っているだろうけど。あとは地震雷どしゃ降りでも知ったことかと。で、逢瀬のあそびの後、遊び過ぎて郭から出られない。で、そやつをからかって。知恵あるはずの偉いお坊さんに知恵借りましょうかと。ここからは花札の知識が必要。すすきに坊主の札に。雨の札。これでせっかく役も雨流れ。旧暦の八朔は雨の日も多い。これで道楽若旦那の算段はあかんようになったと。この後は、ベーらベーらっしょしょ。重いふとん太鼓もこれで軽くなると。

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