2011年11月20日日曜日

滅びゆく山村は他人事でない

   奈良大学中原洪二郎先生の「吉野の過疎化と文化」と題する講義を受けてきた。
 奈良県野迫川(のせがわ)村をフィールドワークの対象にされてきたその結論は「限界集落ならぬ限界村の状況」であり「あと10年程で村ごと滅びかねない」現実だった。
 また、衰退しきった林業の結果、伐採したあと植林もしないまま土地を手放した山が放置されていて、これが、今般の土砂ダムの一因ともなっている事実だった。(植林とは言っても杉等の針葉樹の単一樹種の人工林が自然災害に脆弱である事実を横においても、そのまま放置とはあまりにひどい)
 この国は、かつては生産性の名の下に照葉樹の森を皆伐して針葉樹の人工林に変え、今は生産性の名の下に禿山を放置しょうとしている。

 この講義から連想したものは、昭和62年に出版された下村治著「日本は悪くない」(文春文庫)だった。
 著者は、池田内閣の所得倍増計画を立案したエコノミストであるが、この本の中で「この日本列島の1億2千万人に十分な雇用の機会を与え、できるだけ高い生活水準を確保する、これが国民経済の根本問題である」と述べ、「それぞれの国には生きるために維持すべき最低の条件がある。これを無視した自由貿易は百害あって一利なし」と主張している。
 
 そう、生産性を唯一の価値基準にして米国の唱える自由貿易を神聖視してきた結論・結果が、現在の山村の実態であり、今後すぐ後の農村であり、一部の多国籍企業を除く産業の空洞化に陥るであろう都市の未来であるように思われる。
 
 原発災害を「国民全体の驕りの結果だ」と言い放った某知事の発言はいただけないが、今般の奈良・和歌山洪水・土砂ダム災害から真の解決策を導き出さないと、自然は再び三度私たちを鞭打つに違いない。
 都市の泡(あぶく)のような利便を享受しながら語るのは気が引けなくもないが、山村や農村の自然や文化が滅んだ先に都市だけが繁栄するはずもない。
 今回の講義は、吉野の素朴な山村文化を語ってもらえるのかと思って出席したが意に反して深刻な実態報告だった。
 ただ、いただいた資料の最後に「自由貿易という名の呪いと戦う必要もある」と先生の決意が認(したた)められていたことに希望の光を感じとった。

2 件のコメント:

  1. 秋から春にかけて隠居所の山仕事が一番はかどる時です。明日から又、チェンソーを持って山に入ります。「植物学者宮脇先生」の話で「その土地本来の木を育てれば災害が防げる」と言って居られました。今までは冬になっても緑色の葉をつけた
    木は伐採しなさいと教えられた事が全く間違いであった事を知りました。学問的理論的には全く解りませんが、松、杉等の針葉樹、ナラの種類の木は土砂災害の「防波堤」にならない。「照葉常緑樹」の「モチ」「楠」等の木々を大切に!と言われて居られます。植物の事は全く苦手で無知ですが何とか、人間と山、木々との共生を出来る里山の復活を・・。猫の額ほどの所ですが試行錯誤しながら荒れた山を優しい山にしたいと思います。勿論、ゴールを見ることは出来ませんが・・・

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  2. 黒姫山麓にアファンの森を創っているCWニコル氏の講演を聞いたことがあります。
     その森が完成するのは100年以上後のことらしいのですが「そのゴールを見ることはできなくても夢を見ることができる」とおっしゃっていたことに感動しました。
     私はスノウさんが木地師になっている夢を見ます。

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