2010年10月29日金曜日

堺の国道上の謎の井戸

 中世に宣教師によって「ベニスの如く執政官によって治められた自治都市」 と驚かれた堺は、医者と薬屋と坊主の町とも言われたらしい。
 その名残を示す文久3(1863)年の堺絵図には、堺の中心部に調御寺(じょうごじ)という大きな寺が記されている。法華宗(真門流)の由緒ある寺である。
 しかし、宿院町の北半分は、今は大阪中央環状線・国道310号線の、片側だけでも4車線に立派な分離帯もついたフェニックス大通りになっていて、調御寺は余程探さないと見つけにくくなっている。
 ただ、調御寺境内にあった井戸だけは今も国道上に堂々と残っていてなにやらホッとする。
 「こんな井戸枠、歩くのにじゃまだ」とばかりに撤去されないでほしいが、願わくば、「黄金の日々、この地にあった調御寺の井戸枠である」ぐらいの説明板がほしいと思っている。
 また、その碑文も、今のうちに解読しておかないと、こんなに凄い排気ガスに晒されると石といえども急速に劣化する。
 堺の国道上の謎の井戸、がんばれ!


1 件のコメント:

  1. 当時は気がつきませんでした。薄れてゆく刻字が寂しいですね隔世の感ありというところでしょうか。

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