2012年8月25日土曜日

こうつと大学の鳴石学


義母に「鳴石(なるいし)」のことを尋ねてみたが、「こうつと・・」の言葉の先がなかなか進まなかったので、少しリアリティーに欠けるが、義母の話を基にいろいろ文献を調べてみた結果も含めて書いてみたい。
我が家の鳴石
「鳴石(なるいし)」は、生駒山の奈良県側の標高200250mあたりで出土する独特の形をした褐鉄鉱の珍しい石である。
  15千万年前の地層から出土するもので、多くは球状で内部が空洞になっており、中の小さく固まった粘土塊により土鈴のように音を発するので「鳴石」「鈴石」と呼ばれ、そしてその形状からは「岩壷」「壷石」などとも呼ばれている。
  「生駒の鳴石」は天然記念物に指定されている。
奈良県生駒郡平群町福貴畑に「鳴石(なるいし)」という小字があるのはこの「鳴石」が出土したためで、義母の生家はその地からそれほど遠くない。それでも「鳴石」は滅多に出土するものでなく珍しいものだった。
  写真の「鳴石」は義母の生家の玄関横の崖から「義母の父」が昭和初期に見つけたもので、長らく床の間の花瓶になっていた。
  こういう花瓶のような利用方法もこの地では普通にあったらしく、そういうものは「鳴石」というよりも「岩壷」と呼ばれている。
その義母の生家の「岩壷」が、どういうわけか義母の嫁ぎ先つまり私の妻の実家に移動してきたらしい。その経緯・詳細は義母に聞いても今では不明である。
  そして、義母が生家から持ってきた?その「鳴石」が、妻の実家の庭に無造作に捨てられてあったので、孫(これは私の長男のこと)が貰ってきたのが今ある我が家の「鳴石」である。
 同様のものは、全国的には岐阜県土岐市や北海道名寄市などなどでも出土するが、いずれも天然記念物である。
唐古・鍵遺跡
 さて、実はこの「鳴石」が、ヤマト王権発祥の地に遠くない「唐古・鍵遺跡」の弥生時代中期の地層から出土した。
  ここでは「鳴石」が容器(宝石箱?)として、その中に2個の非常に良質の翡翠(ひすい)の勾玉を収納した形で出土している。翡翠は新潟県姫川産と考えられている。
 道教の神仙思想に基づく方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)の銘文に、「神仙界を訪ねて、玉を食べ黄金を摂れば、官位は昇進し子孫は繁栄する」とあり、道教の原典的文書である「抱卜子(ほうぼくし)」には鳴石(褐鉄鉱)及びその中の石(土)が「太乙(一)禹余粮(たいいつうよりょう)」という名で不老長寿の仙薬と記されている。
 「太一禹余粮」は後の正倉院御物の中にも薬として保管され現存もしている。
  これらのことから、弥生時代にすでに道教が伝播していたことが推定されるが、一方、勾玉は日本列島オリジナルの文化・思想と言われているから、弥生人が何故「鳴石」の容器に勾玉を収納したのかは今のところ不明である。
  唐古・鍵遺跡の「鳴石容器入り翡翠」の出土を、考古学の泰斗森浩一先生は「僕はこの50年間で最大の地下からの贈り物だとみている。」と感激されている。
  JR信太山駅近くの「池上曽根遺跡」の復元された高殿を見ても解るように、弥生時代を馬鹿にしてはならない。
  「唐古・鍵」の人々は最新の中華文明である道教を信じ、高い精神世界を共有していたのだろう。
  そんな想像を膨らませると、何げなく貰ってきたこの「鳴石」の向こうに楽しい古代史が踊りだす。
  この「鳴石」、正直に言えば長い間我が家でも庭に適当に転がしていたが、今回いろんなことを調べてみてちょっと驚き、屋内展示?にまで出世させることにした・・・私もゲンキンなものである。 
  いずれにしても「鳴石」は弥生の昔から文字どおり貴石であった。よって、本日このブログを閲覧された貴方にも幸いあること疑いなし。あなかしこ、あなかしこ。 

5 件のコメント:

  1. 見た事も、聞いた事もありません、(そんなん、庭に転がってました?)写真の隣の勾玉は本物?

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  2. *石は人間が造ることの出来ない貴重な物*と祖母から言われた言葉が、鳴る石を見てよみがえって来ました。
     こんな、歴史があったなんて、わくわくしました***

              




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  3. !骨董に造詣の深いひげ親父殿、勾玉の真贋や如何に?

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  4. !みっちゃん、「こうつと大学」は素晴らしいですね。
     悔しいけれど時は有限、教授にいっぱい教えてもらっておきましょう。
     調べる中から天然記念物・家宝にまで昇格した鳴石、母の孫、曾孫に大事に守っていただきましょう。
     よかったら一つ前のイタチのブログにもコメントをよろしく。

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  5. 瑪瑙(メノウ)の勾玉ですね、う~ん、瑪瑙にしては、色も濃く、透明感がないようです。が、真贋はとにかく、私は勾玉に紐を通す穴の開け方で非常に驚いた事があります。玉造温泉の近くの勾玉の博物館で作り方を展示してあったのですが、「エ~ッ」と驚き、目からウロコ状態でした。ところが今、その製作方法が想い出せずにいます。う~ん、遠い先人のヒラメキよ降りてこい。

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