2025年8月31日日曜日

涼を楽しむ

    四季のある?国では四季を楽しまなければ!
 ということで、初秋の味「まっか(マクワウリ)」をめしあがれ。
 今シーズン、家庭菜園の隅に「まっか」を一苗植えておいたのが順に実をつけて何回もわが家のデザートを彩ってくれたが、それもこれまで。最期の収穫を行なっておいていたのが熟してきた。
 テレビの番組でやたらに「あま~い」という言葉を連発するのには辟易するが、彼ら彼女らは「まっか」の仄かな甘みをどう表現するだろう。
 辞書を引くと「甘いは美味いと同義」ともあるが、貧しい土地で「甘味が御馳走の印」みたいな時代の文化の流れのようで私は好きではない。
    「まっか」はもちろんメロンと兄弟だから果物でもある。食材にもなるようだが、私はもっぱら果物として食してる。
    孫の凜ちゃんにも出したが美味いと言ってくれた。よしよし味のわかる孫である。

2025年8月30日土曜日

難読でない地名

    大阪の難読地名を検索すると、放出、住道、枚方、交野、私市、四條畷、門真、吹田、箕面、十三、御幣島、柴島、喜連瓜破、住道矢田、杭全、河堀口、中百舌鳥、富田林などが出てくるが、これらはどちらかというと初級コースで、日下などは太安万侶が古事記にわざわざ日下と書いて「くさか」と読むのだと書いている。
 また、同じく記紀で神武が最初に河内湾から大和を攻めようと上陸して楯を立てた地(津)が日下の楯津(たてつ)と書かれているが、その盾津は私の出生地である。
 そのあたりを今は近鉄けいはんな線(大阪メトロ中央線と乗入れ)や阪神高速道路東大阪線が横断していていて駅名(地名)は「吉田」である。
 私は小学校入学前にその地を転出したが、それでも大阪府内でおよそ40年間就業し、仕事柄勤務地も変わり、大阪の難読地名にも数々遭遇してきた。
 そしてつい最近、大阪市内から中央線・近鉄けいはんな線で生駒駅を目指して帰ってきた。
 がらんとした昼間であったので地下鉄が地下から地上(高架)に出て車窓などを見ながら車内放送を聞いていて私は驚いた。この線に乗ったことも数知れないが、その日初めて「吉田」が「よしだ」でなく「よした」(YOSHITA)であることを知って驚いた。難読以前の問題である。
 帰ってからその驚きを妻に語ると妻も「YOSHIDAやと思っていた」と驚いた。
 今でも勝手な思い込みを捨てきれず「駅名の表示板を誰か間違えたんとちゃうのん」と半分疑っている頑固ジジイである。

2025年8月29日金曜日

テルアビブで35万人

    トランプやプーチンのニュースを見たり、内外の排外主義政党の伸長などを見ていると「歴史だとか人類は退化するのか」と気が滅入るが、それは限られた窓口からニュースを見ているからかもしれない。
 そんな折、しんぶん赤旗がイスラエルで大規模な反政府の集会が行われたことを報じていた。一般紙やテレビなどが報じないので、参考のために以下にしんぶん赤旗の記事(要旨)を紹介する。
 
    【カイロ=米沢博史】イスラエルの商都テルアビブ中心部にある人質広場で26日夜、人質の即時解放と戦争の終結を求める集会が開かれ、主催団体の「人質・行方不明者家族会」によると35万人以上が参加しました。
 閣議でガザ市制圧計画が議論されるこの日を家族会は「全国闘争の日」と位置づけ、午前7時から全国各地の交差点で抗議を始め、デモ、集会、座り込みなど多様な行動が終日、展開されました。
 米国が5月に提示し、イスラエルが7月初めにいったん受け入れた停戦案とほぼ同じ内容に、今月に入って仲介国とハマスが合意。しかし、イスラエルがこれを無視していることに国民の間に強い反発が広がっています。
 家族会は声明で「35万人超が集まったことは明確なメッセージだ。政府は提示された停戦案に署名しなければならない。国全体が戦争の終結と人質の帰還を求めている」と強調しました。
 自身は人質から解放されたものの、夫がなお拘束中のシェロン・クニオさんは集会で「娘たちが毎晩『お父さんは帰ってくるの?』と聞きます。目の前に、米国が支持し、ハマスも合意した停戦案があり、国民も同じ声をあげています。私たちはあきらめません」と訴えました。 
 ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者コレット・アビタルさんは午前に行われた対話企画で「50年後、人々は『なぜ行動しなかったのか』と問うでしょう。今こそこの悪夢を終わらせる時です」と語りました。
 イスラエル紙エルサレム・ポストは同日、世論調査を発表。国民の73・8%が「人質返還と戦争終結の合意」を支持し、戦闘継続を望むのは26・2%にとどまりました。政権与党リクード支持者の半数以上も合意を支持しています

(写真)26日、イスラエル・テルアビブの人質広場で行われた35万人の抗議集会(アミル・ゴールドスタイン氏提供)

2025年8月28日木曜日

登山の季節

    「梅雨明け十日」というように、日本列島の山岳地帯ではその時期が一番天候が安定していて登山にうってつけといわれているが、今年の天候は無茶苦茶になっていて「言い習わし」も出る幕がなくなっている。
 それでも中部地方や近畿周辺では天候も比較的よい日が多く、友人知人から山の便りが届いている。
 「ならば自分も」と言いたいところだが、家の近辺を小一時間出ただけでふらふらになっているから、みんなの山行を聞いて楽しむだけにしている。
 そんな折、秋の行事の集合場所候補を確認しておきたくなって、心機一転、ついでに天保山を登ってきた。
 天保山は名前のとおり天保2年から3年(1832~3)に安治川の大川浚えで完成した山。歌川広重の絵にも花見が描かれていて歴史ある?大阪の庶民の遊興地。海遊館や観覧車がその雰囲気を引き継いでいる。

2025年8月27日水曜日

秋というか夏というか

    これは気候の話か高齢化の話か判らないが、街中が不安感を抱かせるように静かである。
 「外出を控えろ」という熱中症情報を守って皆が巣ごもりしているのか、夏休みの最終コーナーまたは早い2学期がスタートしたのか、私自身が若かったときは夏は子どもらの活動の季節だったが、近頃の夏にはどこか生気が感じられない。
 それは人間様だけのことでなく、あまりの暑さのせいか、例年に比べて蚊も毛虫も非常に少ない。例年なら今頃大葉(青紫蘇)にはオンブバッタがいっぱいいるものだが、それも少ない。
 元気なのは雑草だけだから、朝の早いうちに雑草を少しぐらい刈払いしておこうかと急いだら、せっかく伸びたコスモスまで刈ってしまった。おっちょこちょいというかイラチというか、まあ、いつものことである。

2025年8月26日火曜日

宇宙気候学

    8月24日付け赤旗日曜版に宇宙気候学という太陽活動の変動に関する解説記事があった。
 社会問題ではロシア、イスラエル、それにトランプの理不尽な振る舞いが大手を振っていて、さらには国内では排外主義やフェイクニュースが相当な得票に結びついているなどうんざりすることも多いが、自然科学の分野の話は解らないことだらけながら精神的には悪くはない。

 「南極の氷から過去の太陽活動を復元する」では17世紀ぐらいまでは復元されているようだが、40年以上前のことになるが、後に京大総長になられた松本先生とお付き合いがあって、太古?の空気が閉じ込められた南極の氷でオンザロックを楽しんだことがあったが、宇宙太陽光発電所の話などに感心しただけで、そこ(氷)に気候危機に通じるデータがあるとは考えも及ばなかった。

 太陽活動はいま最も活発になる「極大期」に達したらしい。気楽な話では日本各地でオーロラが見られるかもしれないが、日本の平均気温が2.5度低下するかもしれない。そうしたら「気候危機何するものぞ」と言い出す者も出てきそうだ。
 先の松本先生は、「化石燃料などは未来の地球人に残すべきだ」「現代人が何もかも消費してしまうのはよくない」とおっしゃられていたが同感だ。
 現代人は、目先の利便のための科学や技術でなく、もっと桁違いに大きな課題を考えるべきだろう。それらの欠片を読むだけでも楽しくなってくる。

2025年8月25日月曜日

花虎の尾

    この花をいつ植えたのか記憶がない。
 きっと母親が誰かからもらってきたのだろう。
 宿根草のハナトラノオ、毎年勝手に伸びてきて秋の訪れを教えてくれる。写真は色が悪いが本物は紫が美しい。
 今まで全く放ったらかしだったが、ふと思いついて植物図鑑を見ると紫蘇科とあった。なるほど、葉といい花の形といい紫蘇科に納得。
 猛暑が落ち着けば私の好きなオオスカシバもやってくるだろう。
 鳴く虫はキリギリスからツヅレサセコオロギに役者が交替している。
 23日は、太陽黄経150度、処暑だった。
 少しは秋らしくなるだろうか。

2025年8月24日日曜日

土の謎

    藤井一至著光文社新書『土 地球最後のナゾ』のサブタイトルは、「100億人を養う土壌を求めて」で、結論を言えば、地球には広い土地があちこちにあるが、人類の食料を賄える農業に適する土、土壌は極めて限られているという話であった。
 全くの門外漢で、ただ書店で手に取っただけの本だったが、門外漢の分だけ新鮮な知識に追い回された。

 地球の土はたったの12種類しかない。その中には永久凍土や砂漠土もあり、肥沃な『チェルノーゼム(黒土)』はウクライナからロシアの南部、そして南北アメリカ大陸の一部にしかなく、次いで肥沃な『黒ぼく土』は日本列島にしかないというのには驚いた。

 そんな貴重な『黒ぼく土』の地で農業は嫌われ、耕作放棄地が広がっている。孫や曾孫などの人類はどうなるのだろうと心配する。付け加えれば「ヨーロッパのパン籠」と称されるウクライナには爆弾が撃ち込まれている。

 本としては、世界中の土壌を訪れ研究する経験談も面白い。
 「土を掘って調べるのだ」と言っても入国審査で信じてもらえなかったり、「あの日本人が土を掘っているのだから、ほんとうはものすごく貴重なものを探しているに違いない」と現地の人が掘り始めるなど、けっこう笑えながら勉強になった。

 自然農法だなどと勝手に標榜して、基本的には枯れ葉や枯草で家庭菜園をしている私は宇宙の中でとは言わず、世界中でごく一握りの特権階級の貴族らしい。どうだ都会人! 植物工場で100億人が賄えるなどと夢を見ていてよいか。

2025年8月23日土曜日

地蔵盆

    戦後、昭和20年代30年代の堺の中心街では8月23日~24日に各町内で地蔵盆が行われた。
 わが町内には銘木店(材木店)があったせいか、お地蔵さんの前の道路に立派な桟敷のようなものが造られた、周囲には提灯も飾られたから、道交法以上の慣習法みたいだった。
 当時は大寺さんの秋祭りには会社も休みになっていたから、当然のことだった。
 祭りは町内の長老や主としておかみさん方が運営していて、といっても簡単に読経するだけで、後は子どもたちにお菓子やジュースがふるまわれて、桟敷は子どもの遊び場になった。レコードプレーヤーを据えて炭坑節の盆踊りもあった。
 今から思うとなんということもない行事だったが、夏休み最終コーナーの一大イベントで、これが終わると積み残していた宿題に追われるというゴングのようなもので、複雑な気分が記憶に残っている。
 この行事も次世代に伝えたかったが、転居先にはお地蔵さまもなく、街全体が少子高齢化で継承できていないのが残念。
 最近のことでいえば、コロナ禍で急速に伝統行事めいたものが途絶えた。
 復興しようにも、高齢者は体力がついていけず、働き盛りは仕事に気力も体力も搾り取られ、地域共同体などへの協力心も急速に失せている。
 つまらない年寄りの愚痴になってしまった。

2025年8月22日金曜日

月のデザイン

    先日から未明の東の空に新月(三日月の反対)と明けの明星が美しかった。 
 一般にイスラム文化圏でよくみられる国旗(例えば写真のトルコの国旗)などを連想した。
 ここから先は俗説というか都市伝説のたぐいの話だが、日本の日の丸が太陽であるのに対してなぜ中東各国の国旗が月と星かという話がある。
 巷間、灼熱の砂漠では太陽は好まれず、隊商は涼しい夜に月と星を頼りに歩んだからだという説がある。
 そこで「はてな」だが、歓迎すべき夜の始まりのデザインなら月は三日月であるはずだが、アラブの多くのデザインは26日~28日の新月間近である。これだと「涼しい夜はもう終わり、まもなく暑い昼が始まる」でないかと、未明の東の空を見ながら思った。
 検索してみると、太陽を嫌い月を賛美する説、夜の砂漠から来た説などは俗説、都市伝説と出てくる。
 しかし捨てるには惜しい説のような気もする。
 ユーラシア大陸の東の果ての島国で太陽をシンボル化している一方、西の端の方では月をシンボル化しているという俗説もいろいろ夢が膨らむが。

2025年8月21日木曜日

そうめん イタリアン

    暑気払いのときにそうめんの話題になったが、三輪そうめん派と揖保乃糸派に分かれたのが可笑しかった。「そうめんならどっちでもよい」派はいなかった。 で、私はというと「三輪そうめんの細いのがよい」派である。
 実は孫の夏ちゃんはそうめんが好きである。そしてこの頃の推しは『土井善晴さんのそうめんイタリアンレシピ』で、わが家では調理を夏ちゃんに任せている。
 レシピの要点を言うと、少し深いフライパンにオリーブオイルとニンニクを入れてたっぷりのトマト数センチ角を入れる。そこそこ熱がまわったらそうめんの束を入れ水を入れる。そうめんが茹で上がったようなら溶き卵を入れて適当に掻きまわす。コショウを振る。以上である。
 如何にも土井善晴さんらしく「簡単で美味しい」。
 大人たちは冷たいビールとも合う。
 

2025年8月20日水曜日

急いで何処へゆく

    この地は、千里NTや泉北NTほどではないが、けっこう大きな丘陵を開発した、昔の名前でいえば住宅公団が開発(土地区画整理事業)した、いわゆるニュータウンである。その核になる駅の近くには、開発当初頃からそこそこ大きな近商ストアを核にしたショッピングビルがあった。
 そして開発が進んだ頃に、イオンのショッピングモールがででーんと進出した。
 なので私などは近商ストアの閉鎖、撤退は時間の問題だろうと感じていたが、面白いことに隣接に近い両店が今も共存?を続けている。
 感想を言えば、日常生活の食材などに遜色はないし、私の感想では近商の商品は少し高いが品質は良いように思っている。まあ、この共存が面白い。

 観察したところの感想を言うと、明らかに近商の方がお客の年齢層が高い。それははっきりしている。
 当然に、人流(人の流れ)は明らかにゆっくりしている。つまり、速度×距離=多くの商品を選ぶことができるというような「法則」は価値を認められていない。
 反対に言うと、広くて人の流れも速いイオンの方が買い物がし難いということなのだろうと推測する。
 というような感想を抱けるように、わが家もけっこう近商へ行っている。要するに高齢者に親和性がある。
 「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」は70年代、昭和真っ只中の標語であったが、時代は変わった。のんびりと店内を見ながらそんな風に思った。

2025年8月19日火曜日

平城宮跡の戦後史

    私の齧っている古代史というと大雑把には奈良時代(平城京)以前で、平安京からは中世史となる。
 だから古代史好きのものにとっては平城宮跡は聖地である。

 さて、朝日新聞の奈良版が戦後80年ということで14、15、16日に『古都の不夜城』という大きな連載を行った。
 戦後、朝鮮戦争のとき、平城宮跡の一角にRRセンター(Rest and Recuperation Center)という慰安施設が、朝鮮戦争従軍米軍兵士の「元気回復」のために日米両政府によって建てられていたという記事である。
 1952年当時、パンパンと言われた慰安婦(売春婦)が2500名いたといわれている。
 また、一帯では道を歩いている一般女性にも抜き打ちで性病検査が実施されたという。

 この、古代史好きにとっては「堪らない」近現代史は、奈良の恥というようにあまり触れられずに来たが、奈良RRセンター調査報告書『古都の弔旗』が奈良や京都の学生たちによって編集されて今に残っている。
 私は以前に、その代表者の一人故浜田博生氏(小学校教師)の講義でそれを知ったが、沖縄の米軍基地周辺同様の婦女暴行事件もあったし、近くの学校では先生方が早朝に出勤し、学校内外に散らかっていたコンドームなどの清掃をするのが日課だったと。

 先の選挙では、日本軍は侵略などしなかったかのような言説が大手を振って語られたし、「従軍慰安婦はいなかった」というような主張も一部あるが、この奈良RRセンターは安保条約に基づき日米両政府によって堂々と?つくられたものだった。
 そういう意味でも、戦後80年ということで朝日が大きく取り上げたことには意義がある。

2025年8月18日月曜日

死んだふり

    つい最近も羅臼岳で人が食い殺される事件があったがあちこちで熊の被害が報じられている。
 となると、やはり「死んだふりは有効か」の話が出る。圧倒的には「効果なし」だが「効果があった」という経験談も見る。
 そもそも昔は人間の住む里と獣の棲む森は分かれていたが、人間が森を荒らしたから獣が里に下りてきたという有力な説がある。
 もうそういう危険がある山に登ることもないだろうが、奈良市や京都府南部に熊が出たという情報もあるからハイキング、ピクニックだって馬鹿にできない。

    コガネムシのことだが、背中をつかんだりすると「死んだふり」をする。
 同時に脱糞のようなことをするから、可愛くない。
 クロコガネかオオクロコガネだと思うが、けっこう緑色が美しい。これをつまんだら見事に死んだふりをした(驚いて気絶したんだという説もあるが私は死んだふりだと思う)。
 手足も引っ込めて、まったく生き物の気配を消した。
 暑い昼下がり、どれくらいで動き出すかと汗をかきながら見つめていたら、優に10分はそのまま動かなかった。息をひそめていたのだとしたらそれも相当な忍耐力だと感心。
 ムシだって、生き抜くのは大変だ。
 写真は10分以上経ってゆっくり手足を出したところ。

2025年8月17日日曜日

送り火

    16日には京都五山の送り火があった。
 
 大文字に弘法大師堂があったり、日蓮さんの妙法があったり、南無阿弥陀仏の船形があったり、宗旨を超えた仏教行事であるのも愉快だ。
 お盆が終わり、お精霊(しょらい)さんと呼ぶ死者の霊をあの世に送り返す行事と一般には解説されている。
 親鸞さんの教えには既に浄土で仏弟子となっているご先祖に迷いもお帰りも「送り返す」もないのであるが、『去る者は日々に疎し』の言葉もあるように、凡夫という奴は何かの「行事」がなければ先に逝った人を忍んだりすることも忘れるものなので、時々目を覚ますという意味で私は仏教行事を認めている。
 今年は孫の夏ちゃんと送り火を焚いた。
 夏ちゃんは祖母ちゃん(私の妻)の身長を抜いた。
 お精霊さん、夏ちゃん凜ちゃんを見守ってやってね。



2025年8月16日土曜日

ウクライナには大義がある

    トランプがプーチンと会談する。それ自体は悪くはない。ただ報道の範囲ではトランプの考えは「ロシアが暴力(戦争)によって奪取したウクライナの国土をロシアに割譲して戦闘行為を中止する」という「和平案」と想像されているから賛成はできない。
 確かに、戦争というのは「人殺し」以外の何者でもない。だからとりあえず即時停戦は好い事だ。しかし報じられているようなトランプの案は世界の時計を100年は巻き戻すことになる。
世界のルールは「列強」が取り決め、その他の国は従うの図だ。
 人殺しである戦争には反対だ。しかし、現に侵略に抗して防衛するウクライナの人々に「君らの防衛戦も人殺しだから一方的にやめろ」とは私には言えない。
 ゼレンスキーとEU諸国首脳も同様ではないだろうか。
 それにしても、我が国の外交力の弱さには失望している。

2025年8月15日金曜日

8月15日に考えねばならぬこと

 
    80年前の8月15日、敗戦のいわゆる玉音放送があった。
 それを踏まえて今日は多くの敗戦前後の日本人の苦労がテレビで報じられることだろう。
 しかし、それに比べて、どれほど戦地となった地で諸民族に与えた加害を報じるだろうか。少し気になる。

 元日本軍衛生兵本郷勝夫さん(中支派遣軍第十三師団第一野戦病院配属)の短い手記にはこうあった。
 「敗色濃い時期、後方からの食料の補給はなく「徴発」という名のかっぱらいの日々。住民から略奪し食いつないだ。これが中国戦線の実態だった。
 中国人を拉致して荷物を担がせ、100キロも200キロも連れ歩く。ろくに食事も与えず弱ったら捨てる。
 野戦病院とは名ばかりで、負傷したり、死んだ兵隊を処理するところだった。
 コレラ患者が運び込まれたとき、前進命令が出ると、多数の病兵は一つの部屋に集められ、生きたまま火葬にされた」

 他の記録によると、中国湖南省南県廠窖鎮の江玄妹さんは家の中にいたときに日本兵が来て、全裸にして隣家に連れて行き、15歳くらいの少年に江さんを強姦するよう命じたが、少年が恐怖で何もできないのに怒り、木の棒を江さんの下半身に突き刺し、30分以上で気絶した。
 また任徳保さんは、銃剣で頭を殴られ、わき腹を刺された。翌月出産予定であった母親には、母親の腹を2回刺し、腹を切り裂き、胎児を取り出して銃剣の先に刺して高く掲げた。

 こういう記録を読むと気が滅入るのでここまでにするが、気が滅入ったとしても事実を読み、知らなければならない。
 「ほんとう?知らなかった」という日本の若者に言おう。知らないこと、知ろうとしないことは罪である。
 そんな事々を考える一日にしたい。

 (出典:新日本出版社発行赤旗編集局編「語り継ぐ日本の侵略と植民地支配」)

 「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となります」2015年(独)ワイツゼッカー大統領

 日を合わせ精霊蜻蛉のスイスイと


2025年8月14日木曜日

祖父ちゃんのオムライス

【1】    凜ちゃん母子から「明日行くから昼ご飯を食べさせて」ときた。お安い御用である。
 ということで祖父ちゃん特製のオムライスを用意した。
 祖父ちゃんのオムライスはオールドファッション。これが一番だと信じている。
 たっぷり玉ねぎと若干の野菜入りのチキンライスにオムレツを被せる。ただそれだけだが古ぼけたフライパンで大量に作るのは少々難しい。
 それでも凜ちゃんが「ボーノ!」と言ってくれたら苦労など感じない。隠し味は内緒である。
 写真はネットにあったものだが、オールドファッションのオムライスはまあこんなもの。

 【2】 会報の原稿締め切り日は一応15日、私が責任者ではないが、集まり具合が気になる。「これだけ来ているよ!」という情報の共有もない。
 それでも私のメールアドレスに送ってくれる人もあるので、適宜パソコンを開けるのだが「入っていない」のが続く。
 気温は下がったがその分を超えて湿度が高い。
 空の「受信」を眺めるたびに蒸し暑さが襲ってくる。

2025年8月13日水曜日

面影

    NHKeテレに『にほんごであそぼ』という短い幼児向け番組があるが、ある日のテーマは『面影』で、「私のことをお祖母ちゃんの面影があると言われる」というような場面があった。
 そこで「孫の凜ちゃんにはどこにお祖父ちゃんの面影があるかな?」と言ってみると妻や娘が「足の指の器用なところに面影がある」と返答があった。

 いま夏真っ盛りだが、私の夏休みは海へ登校していたようなものだった。
 堺の街はその昔、南海本線や国道旧26号線のすぐ西は海で、いくつかの海水浴場があった。
 今から考えると毎日毎日海で何をしていたのだろうかと思うが、波打ち際では砂でお城を作り波と攻防戦をやっていた。海の中では適当に泳いだりしたが、主には貝を捕っていた。お目当ては「もち貝(鏡貝)」で、捕ったもち貝は帰ってから、家のコンロで醤油を垂らして美味しかった。
 きちきちいっぱい背が届く沖まで行って20~30センチ足で底を掘る。だから外から見ると溺れているみたいにあっぷあっぷしている。そしてその穴を横へ横へ拡大していく。全神経を足の指に集中させてそれをする。
 生きているもち貝は縦に立っている。寝ているのは死んでいる。立っているもち貝を潜って捕るのは素人で、我われは立っている貝を足の指先で感じたならば逃げないうちに、それを足の親指と人差し指の間に挟んでとりあげる。
 きちきちいっぱいの深さで半ば立ち泳ぎでこれを仕上げるのはちょっとした技術であった。
 そして祖父ちゃんは、そんな昔話をわが子たちだけでなく、孫の夏ちゃんや凜ちゃんにもした。

 日常の動作にもいろいろ支障のある凜ちゃんだが、足の指で何かを挟んだりするのは難なくできる。いや上手い。それが祖父ちゃんの面影だと妻や娘は笑うのだった。
 (写真はネットにあったもの)

2025年8月12日火曜日

団扇菓子売り切れ

    8月10日付の朝日歌壇にこうあった・・
 茄子に「び」をつけて言ふ日のわが心いささか西にかたよりてあり(東金市)山本寒苦
 東金市は千葉県だから、関西出身の作者が周囲で普通に「茄子」「茄子」というのに心の中で「なすび やないかい」と西(広く関西)での思い出を語ったのだと思う。その気持ちが「夕日」が「かたよる」夕暮れのこころと重なってもいるようだ。(知らんけど!)
 私もズーっと昔に千葉県に住んだことがあるが、サツマイモのことを「川越芋」というのに面食らったことがあった。
 こんな時代になっても西と東はけっこう遠い。

 さて、日頃一番利用している買い物先は全国規模のスーパーだから、例えばお盆の干菓子は7月初めから売っている。上の話でいえば「お盆は8月やないかい」といったところだ。
 おがら(麻がら)など7月から買っておいても支障はないが、どうも7月にお盆の用意という気にはならない。
 そうして、いよいよ8月になると、孫たちと食べようと思っていた「うちわ菓子」が売り切れになっていた。
 (親鸞聖人の教えには種々のお盆行事はないのだが、そのことは別にして)
 あのなんともバカバカしいほどにふわふわの小さい団扇の菓子。ないとなるといささか寂しい。

2025年8月11日月曜日

鉛筆の痕

    河野裕子・永田和宏著『たとへば君——四十年の恋歌』は我が書架にあるが、この度、ひょんなバザーで、
古書の河野裕子歌集『あなた』を手に入れた。
   手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
 河野裕子は2010年8月、この歌を最後にこの世を去った。最期の歌は重く悲しい。
 それにバザーの古書であったため、闘病生活に触れる各所(歌)に先の持ち主の鉛筆の痕がある。その持ち主のことは何も知らないが、すがるようにこの本を読んだであろうことが伝わってくる。わかれは辛い。

 そんな折、旧友のご夫君の訃報があった。決まり文句のあいさつはしたくないが、だからといって気持ちを伝える言葉は見つからない。そうして、結局決まり文句がよいというのも知恵かも知れない。これ以上のことは書けない。

2025年8月10日日曜日

蜻蛉捕るなの言い伝え

    朝ドラ『あんぱん』から、歌自体は昔からよく知っている『手のひらを太陽に』が、
やなせたかし 作詞、いずみたく 作曲であることを知った。今頃!・・恥ずかしい。
 さて今日のテーマはミミズもオケラもアメンボもみんな友だちなのかどうかである。
 子ども電話相談では「死んだら魂はどうなりますか?」というのがあるが、こことも関わる。
 私は、医学的にいえば、魂は意識の問題つまり脳の働きだから、脳が医学的に死亡したら魂も死ぬというか無くなると思うが、文学的というか記憶の世界ではその人のことを思ってくれる、思い出してくれる人の心の中に生き続けると思う。そして自然科学的にいえば亡骸はガスや灰になってまわりまわって他の生物の栄養素になるから、遠い空から眺めていえば全くの「無」になるのではなく「生き続ける」ということもできる気がする。仏教の中の「輪廻」という考えとも似ている。
 だから、ミミズやオケラやアメンボのおかげでできた食材で我われは生きているのであり、我われもまた彼らの食材などになるのだろう。
 そんなことをボンヤリ考えると、やなせたかしの詞は深遠な真理か、あるいは生死の境の戦場体験から嫌味なく引き出された声のような気がする。
 「お盆には蜻蛉(とんぼ)捕るなの言い伝え」
 小さい頃、慶応生まれの祖母は虫捕りに出かけたい私に「あれは家へ帰る途中のどこかのご先祖様だ」と言った。何か全くの的外れでもないような気持になっている。

    手のひらを太陽に
        やなせたかし 作詞
        いずみ たく 作曲
 僕らはみんな生きている
 生きているからうたうんだ
 僕らはみんな生きている
 生きているから悲しんだ

 手のひらを太陽にすかしてみれば
 真っ赤に流れる僕の血しお

 ミミズだってオクラだって
 アメンボだって
 みんな みんな 生きているんだ
 友だちなんだ

2025年8月9日土曜日

ナガサキを忘れない

    8月9日はナガサキに原爆が投下された日だ。
 私はこれまで労働組合で一緒になった広島の大先輩が夜中に「ウォー、ウォー」とうなされて絶叫されたことを書いた。同室だった私は心臓病で亡くなりはしないかと眠れなかった。
 翌朝大先輩は「わしは夜中に大声を出さんかったかいのう」「昼間に原爆の話をした夜は必ずうなされるんじゃ」「だからこれまで原爆の話をするのは嫌じゃったんじゃ」というので、文字やその他で知っていたはずの事柄を、強烈な地獄絵としてしっかりと心に刻むこととなった。

 後日のことだが新聞記事で、被爆されたカープ・ミスター赤ヘル山本浩二さんのお兄さんが、同じように「原爆の話をした夜はうなされる」「だから怖くて話てこなかった・・が」とおっしゃっていたのが痛いように解った(解ったなどと書くのは極めておこがましいが)。
 関連するNHKヒロシマ放送局の記事は次にもある。
 https://www.nhk.or.jp/hiroshima/lreport/articles/300/209/27/

 ナガサキでいうと私たちの労働組合の福田副委員長が奇跡の上に奇跡を重ねられて直接の死亡を免れられていた。
 しかし最後まで証人がいないということで被爆手帳ももらえていなかった。
 核兵器は非情なものである。そして戦争も。

 8月6日に書いたが、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下が終戦を早めて多くの犠牲者の命を救ったというのは嘘である。

 最後に去年(2024年)8月18日に『原爆裁判』を書いた。そして戦後の日本には貧しくとも平和や祖国復興の気概があったと書いた。
 「それに比べて昨今の日本は」と愚痴るのは的外れだろう。
 青春とは年齢のことではないはずだ。そう自分自身に言い聞かせている。

2025年8月8日金曜日

長屋王の祟り

    冤罪事件やそれの国賠訴訟のニュースが少なくない昨今だが・・・、724年(神亀元)首皇太子は天皇に即位した。聖武天皇である。
 727年(神亀4)夫人の光明子が皇子を出産。2か月を待たず皇太子に立てられたが、728年(神亀5)幼い皇太子は亡くなった。
 そうした翌729年(神亀6)長屋王が皇太子?を呪詛したと密告があり、藤原4兄弟追及の下、長屋王、妻の吉備内親王、4人の息子たち(膳夫王、桑田王、葛木王、鉤取王)は自殺した。
 この事件は長屋王の変と呼ばれたりするが、藤原兄弟の陰謀であったとするのが定説である。

 平城京の発掘調査で長屋王邸が見つかった際、貴重な木簡等が大量に発見されたので遺跡保存の声が大きく燃え上がったが実現せず、そこには「そごう」が建てられた。
 が、「そごう」は後に撤退し、後を継いだ「イトーヨーカドー」も撤退し、奈良スズメはいろんな場で「長屋王の祟り」だと言いあった。

    この悲劇の主人公、長屋王と吉備内親王の墓が奈良県の平群町にあるので、過日見学してきた。
 表向きは謀反人・犯罪者の墓であるから「御陵」とは程遠いが、予想以上に清美されたものだった。陰謀による弾圧であっただけに「怨霊」を鎮めておきたいという気持ちが天皇側にあったのかもしれない。
 後に聖武天皇は平城京からの遷都を繰り返すが、そこには長屋王の怨霊から逃げたいという感情があったのではないかしらん。

2025年8月7日木曜日

蚊取り線香

    24時間クーラーをつけっぱなしで暮らしているし、あまりの暑さに当の蚊さえ弱音を吐いている※から「蚊遣(かやり)」の出番はほとんどないが、そういう自然界と隔絶したような生活もどうも馴染めず、時々窓を開けて蚊遣(蚊取り線香)を焚いている。

 「自然界と隔絶」と書いたが、昨今の蚊取り線香は薬品が主体の製品だから、その他の殺虫剤と比べてエラそうなことはいえないが、まあ、幾分か情趣というか長閑さを保っているように感じている。
 蚊遣の背面から煙が出て、この蛙君が蚊を食ってくれている。(煙の写りがもひとつだったのでペイントで少し遊んでいる)
 蚊遣といえば豚の形の焼物(蚊遣豚)が有名だが、写真の蛙はズーっと昔に京都五条の陶器市で求めたもので陶芸作家によるもの。私は気に入っている。
 蚊遣蛙とでも言おうか、孫の凜ちゃんは「カエルさん」と言って馴染んでいる。

(※ 蚊は30度を超えると活動が鈍化し40度を超えると死ぬ蚊もいるらしい。
 そんなもので今夏は毎年なら6個以上吊り下げる「虫コナーズ」も購入せずに来た。
 それでもトマトの収穫に出たりすると、体にまとわりついて家の中に入ってくることがあるから、蚊遣蛙は門番のようなものである。)

2025年8月6日水曜日

歴史に対して真面目であれ

 
    今年、202586日ヒロシマと89日ナガサキのそれぞれの80年前の原爆による被爆の日を迎えるにあたり、はっきりと主張しておきたいことがある。トランプ米大統領の625日の発言についての抗議である。
トランプは625日、アメリカ軍がイランの核施設に行った攻撃をめぐり、広島と長崎への原爆投下になぞらえる発言を2回行なった。
一つは NATO首脳会議出席の際、NATO ルッテ事務総長との会談で、イランの核施設について『被害は非常に深刻だ』などと成果を強調した上で「あの攻撃が戦争を終結させた。広島を例として使いたくない。長崎を例として使いたくない。しかし、本質的には同じだ。戦争を終わらせた」と発言、
二つは、同じ日に行われた別の記者会見で、「広島や長崎をみれば、あれが戦争を終わらせたことがわかる。これは違う形で戦争を終わらせた」と発言した。先に結論を言えばこれは事実ではない。嘘である。

80年前の1945年、後に明らかとなった「アメリカ戦略爆撃調査団報告」によると、「たとえ原子爆弾が投下されなかったとしても、たとえソ連が参戦しなかったとしても、さらにまた、上陸作戦をしなかったとしても、日本は19451231日以前に必ず降伏したであろう」としていたし、事実日本は既にソ連に和平交渉を申し入れていた。
多くの言葉はいらない。アメリカがあの時期に原爆を投下した真の理由は、ソ連の参戦予定日以前に原爆を投下することそれ自体であった。30万人を超えるヒロシマ・ナガサキの死者は「数百万人の生命」を救うためにではなく、占領後の日本におけるソ連との血まみれの権限争いのためであった。

核の脅しこそが戦争を抑止するという「核抑止論」も現実のロシアやイスラエルによる蛮行の事実によって全く崩壊している。
今こそ「チキンレースではなく外交を」という良識ある世論を自信をもって広げたいものである。
原水爆禁止世界大会に注目しよう。
(この記事は家永三郎編『日本の歴史:7』を参考にして記述した)

2025年8月5日火曜日

明けない夜はない

    前の記事のつづき!・・みたいな気分。
 小さい頃、堺の街中に住んでいたのでヒグラシを聞くことはなかった。なので当然、ヒグラシは日暮れに鳴くものだと信じていた。
 だから大人になって高原のペンションに泊まった時、夜明け頃にヒグラシが鳴いたのに驚いて、オーナーに「朝にヒグラシのような声がした」と言うと、「ヒグラシの声を聞くと今日も暑い一日が始まるなあと思うのだ」と返ってきた。それは日常茶飯事のアタリマエのことだった。
 さて、わが家周辺では、夜明け前ごろにヒグラシが鳴き始め、追いかけてアブラゼミが鳴き始め(動画)、少ししてクマゼミが鳴き始めると、ヒグラシやアブラゼミは早々に一旦退場する。あとはクマゼミ一色の世界となり、さらに昼前にはアブラゼミに席を譲る。

 あれこれ考え出すと3時には目が覚めたが、いま外出すると怪しい人と誤解を受けるのでしばし休憩して、夜明け近くに散歩に出かけた。
 動画には何も映っていない。ヒグラシの声だけをお聞きください。
 そして、やはり、明けない夜はない! 


絶望の隣には

絶望のとなりに
 だれかがそっと
  腰かけた
絶望はとなりの
 ひとにきいた
「あなたは
  いったい
   だれですか」
となりの
 ひとは
  ほほえんだ
「私の名前は
  希望です
     やなせたかし

 私を励まそうとしてか、「絶望の隣は希望だ!」というお便りをいただいた。ありがたい。
 ただ私はそんなに絶望はしていない。
 確かに選挙の後半、自覚的なリベラリストが「従来の経験主義ではいかん」とネットでの主張に力を入れたかというとそうではなく(そうであればネット社会の風景は敏感に反映するものだが)、ここまで失敗したらどんな頑固者も議論しようという気になるだろうと、変な勇気が湧いてきたからだ。
 正直に言えば、絶望ではないが大いに失望した、落ち込んだ。
 そういう意味では隣の希望を強く強く信じている。でも、腰かけたままでは隣に来てくれない。
 お便りありがとうございました。

2025年8月4日月曜日

セミ捕りは少し恥ずかしい

    7月28日「セミのおしっこ」で、ネットを検索していたら「外国人が食糧として大規模にセミを捕獲している」という文脈で、関東の某自治体が「公園のセミを大量に獲らないで」という看板を設置したという記事があったということを書いた。
 東南アジアではセミが食材になっていることは常識だが、「在日の外国人の食糧として捕獲されている」というのは本当だろうか。変な排外主義と結びつかなければよいが・・。
 森昭彦著「身近なムシのびっくり新常識100」に「セミのラブソング・・・実はこれ、セミにとっては命がけ。その多くが鳥類やカマキリ、あるいは中国人や長野県民を呼び寄せてフライパンで炒められる」とあるのも、長野県民に絞って検索しても肯定されるような記事は出てこない。一部にある昆虫食文化を全体であるかのように言うのも大いに問題がある。
 食材は文化であるから、事実、私の慶応生まれの祖母などは牛乳も肉も食べなかったし、反対にホヤやナマコを食べる日本人を奇異に感じる人々も世界には多くいるだろう。
 奇異どころか日本の捕鯨に理解を示してくれる国は少ない。その反対の感情で異なる文化を劣った文化だというような態度で語るのは厳に慎む必要がある。
    だから、公園のセミを捕って商売にしているならまだしも、昆虫食文化を持つ人々が喜んで捕って食べても私は怒る気にはならない。
 もっと言えば、昆虫採集も文化だということは度々書いてきた。
 そこで・・・、誰も街を歩いていないのを見計らって、セミ捕りをして遊んでみた。私だって、孫もつれていない時、爺さん一人が捕虫網を振り回しているのは少し恥ずかしい。
 度々言うが、虫捕りもしない子が大きくなって、環境破壊に鈍感な会社人間になったりするのだ。

2025年8月3日日曜日

はもの皮のざくざく

    「鱧・の・皮」と区切って言うのではなく「はものかわ」と区切らず言うと大阪では食材あるいは料理の「はもの皮のざくざく」のこととなる。
 なんということはない、鰻とキュウリの酢の物である「うざく」の「う」=鰻が「鱧の皮」と入れ替わったものであるが、「うざく」の鰻や「蛸きゅう」の蛸がけっこう主張するのに対して鱧の皮は一歩引いているところがよい。関西の夏はやはり「はものかわ」である。
 それにこの食材、「食材を作るために作った」ものではなく、かまぼこの製造過程で出てきた「余りもの」というのも如何にも大阪らしい。 ケチではなく「始末」の思想である。
 写真の「はものかわ」は写真用に小さく盛りつけたが、実際にはこれの4倍ほどの「はものかわ」を酢の物、一品として戴いた。
 かまぼこ作りは年中しているしそのための鱧も年中あるものだが、やはり「はものかわ」は夏の夕飯がぴったりくる。甘酢か、すし酢あるいはこの頃は「かんたん酢」だけで十分だ。あとはお好みで。

 2022年6月10日『歳時記食堂』にも少し書いている。
 https://yamashirokihachi.blogspot.com/2022/06/blog-post_10.html

2025年8月2日土曜日

日本は対等を主張した?

    607年、推古朝の聖徳太子が小野妹子等遣隋使を派遣し、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」との書を提出したところ、隋帝の煬帝(ようだい)は不快となった(随書東夷伝倭国条)という話は、「日本は以後中国と対等の関係を築き、中国を大国とみなすことはなかった」という通説(常識)へと発展したが、
この本はそういう一部のことだけでなく、倭の五王の時代から、5回の遣隋使、15回の遣唐使、さらにはその後までおよそ500年間の日中間の交渉の軌跡を実証的に、「常識」に疑問を呈しながら描いている。
 2021年濱田青陵賞受賞者である河上麻由子著『古代日中関係史』は休み休みで読んだこともあり、読み終わるのに7月の一か月を要した。
 活字も詰まっていてけっこう疲れた読書であったが、実証的な論の組み立ては気分の良いものであった。
 書店の古代史のコーナーには多くの本があふれているが、著者の気に入った史料だけを抜き出して物語を史実のように語る本も少なくなく、そして実証的と言っても何しろ限られた史料しか残っていない中で、この本は、しっかり書架に残しておきたいと思う本である。
 冒頭の「聖徳太子による対等の態度」というのも実証的にはあり得ず、反対に言えば、明治からの近代日本が列強との戦争に突き進んだ下で、「まわりの国々を見くだして、いばっていた隋(初等科国史)に対して対等関係を主張した聖徳太子」という国策の宣伝によるところが大きい。
 古代史を勉強すると、あちこちで陵墓問題とも衝突するし皇国史観という近代史とも衝突する。
 現実に、政権党の総裁(首相の有力候補)を巡って、学問の世界や言論の世界を政治権力で従わせようという人物らが蠢動している今日、こういう実証的な著作が大いに広まれば好いと思うが・・・。

2025年8月1日金曜日

ウオーツカ

    Google翻訳という機能には脱帽する。きわめて簡単に、単にスペルだけでなく実際の発音も瞬時に確かめられるのがすごい。
 今般の大地震の震源地だが、これまではごく普通に「カムチャッカ」と発音してきたが、テレビでは「カムチャツカ」と徐々に訂正がなされた。それがGoogle翻訳だと「カムチャーツカ」と聞こえる。きっとロシア語の標準語?はこれに近いのだろう。(知らんけど)
 そういえば、全労働の元委員長であった園田氏は「ウォッカ」のことを「ウオツカ」と言っていたなと思い出して翻訳?してみると「ウオーツカ」と聞こえるので変に感動した。元委員長は国際人だった。

 先日書いたが「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳があるし、それをモジれば「シーザーとは俺のことかとカエサル言い」など無限に広がる。
 漢字文化圏では北京語と広東語の発音が全くと言っていいほどに離れていても中国語だし、日本人の氏名が中国ではそのまま(向うの)音読みされるし、日本人が「マオツートン(毛沢東)」氏を「もうたくとう」と呼んでもまったく失礼に当たらない。
 ただ漢字離れをした南北朝鮮では原語的な発音が近年は求められている。
 一般論として、原語に近い発音をする方が礼儀にかなっているとは思うが、日本人同士だって鼻濁音ができる人とできない人がいるし、私のようにRとLがエエカゲンな者もいるから、「カムチャッカ」も「ウォッカ」も日本語訛でいいのではないか。
 現に日本の地名や駅名も、車内放送では英語、中国語、韓国語でみんな異なるアクセントでいるのが普通になっている。「カムチャツカ」にこだわるなら日本の地名や駅名はその土地のアクセント、イントネーションで呼んでくれというべきでないか。
 はい、カムチャーツカです。(それにしては各局アナウンサーも少し日本語訛でしょう)