80年前の8月15日、敗戦のいわゆる玉音放送があった。 それを踏まえて今日は多くの敗戦前後の日本人の苦労がテレビで報じられることだろう。
しかし、それに比べて、どれほど戦地となった地で諸民族に与えた加害を報じるだろうか。少し気になる。
元日本軍衛生兵本郷勝夫さん(中支派遣軍第十三師団第一野戦病院配属)の短い手記にはこうあった。
「敗色濃い時期、後方からの食料の補給はなく「徴発」という名のかっぱらいの日々。住民から略奪し食いつないだ。これが中国戦線の実態だった。
中国人を拉致して荷物を担がせ、100キロも200キロも連れ歩く。ろくに食事も与えず弱ったら捨てる。
野戦病院とは名ばかりで、負傷したり、死んだ兵隊を処理するところだった。
コレラ患者が運び込まれたとき、前進命令が出ると、多数の病兵は一つの部屋に集められ、生きたまま火葬にされた」
他の記録によると、中国湖南省南県廠窖鎮の江玄妹さんは家の中にいたときに日本兵が来て、全裸にして隣家に連れて行き、15歳くらいの少年に江さんを強姦するよう命じたが、少年が恐怖で何もできないのに怒り、木の棒を江さんの下半身に突き刺し、30分以上で気絶した。
また任徳保さんは、銃剣で頭を殴られ、わき腹を刺された。翌月出産予定であった母親には、母親の腹を2回刺し、腹を切り裂き、胎児を取り出して銃剣の先に刺して高く掲げた。
こういう記録を読むと気が滅入るのでここまでにするが、気が滅入ったとしても事実を読み、知らなければならない。
「ほんとう?知らなかった」という日本の若者に言おう。知らないこと、知ろうとしないことは罪である。
そんな事々を考える一日にしたい。
(出典:新日本出版社発行赤旗編集局編「語り継ぐ日本の侵略と植民地支配」)
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となります」2015年(独)ワイツゼッカー大統領
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