2012年11月19日月曜日

猿石は嗤っている

明日香村
  私の散歩先である「石のカラト古墳(奈良市と木津川市の府県境にある)」と、明日香のキトラ古墳、マルコ山古墳、高松塚古墳の横口式石槨が極めて似ていることから、その各古墳の出土品や史料と照らし合わせて高松塚古墳の被葬者を特定しようとする研究がある。
  その内容を書き始めると一冊の本になるので書かないが、私などはA先生の講義を聴くとナルホドと思い、B先生の説を読むとナルホドと思ってしまう。
  著名な学者の見解だけでも、天武天皇、蚊屋皇子、百済王善光、高市皇子、弓削皇子、忍壁皇子、紀麻呂、葛野王、石上麻呂・・・と言ったところである。
  そんな折、明日香村、保存財団、関西大学、朝日新聞社の主催による「高松塚古墳壁画発見40周年記念講演会」が明日香村で開催されたので、40年の研究の成果が聞けるぞと、非常な興味を持って参加した。
  内容は朝日新聞25日朝刊に掲載されるはずであるが、今回の私の関心事であった被葬者の部分だけを言うと、猪熊兼勝大先生が記念講演で「忍壁(刑部)皇子」と発言されたため、二部のパネラーの田辺征夫、米田文孝、森岡秀人各先生が、先の4古墳の石槨の変化や土器や史料を挙げて異説もあるというようなないようなムニャムニャムニャという言い方だったので大いに失望した。がっかり・・・・。
  これでは学問というよりも、古くは親分子分、新しくは物言わぬヒラメ社員ではなかろうか。
  40年というと、当時20歳で網干善教先生の手伝いをしていた森岡秀人大学生がその後就職をしてすでに定年退職したという長さである。
  問題は見解の適否ではなく、大先生であろうが誰であろうが「私はこう考える」と言わない現役先生方の姿勢である。
  だけど・・・胸に手を当てて考えてみると、何事によらず堂々と理性的な議論を行なうことを避ける内向き傾向は、私を含め現代日本の世間一般に蔓延しているように見える。
  そして、そんなうちに東西の品のない「(元)首長」等の弱肉強食の声高な主張だけがマスコミによって拡散していっている。これでいいのだろうか。
  あの明日香の猿石は、そんな現代人を嗤っているのではないだろうか。

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