梅雨空に額紫陽花もよいけれど、どこからともなく漂ってくるくちなしの花の香りは雨空のうっとうしさを補って余りある。その香りをブログでお届けできないのが残念。
我が家にも矮性くちなしが咲いているが香りまで「矮性」で面白くない。専ら近所の大八重くちなしの植え込みを楽しんでいる。
本によると、日本人が桜を愛するように中国人はくちなしを好み、長江の渡し舟の船着場にはくちなしの花飾りを売る娘がいて、船の中はくちなしだらけになる・・とある。
ただ惜しむらくは、この上品な白さが長持ちせず、すぐに黄ばんで・・なんとかの夢のあと・・という感じになってしまう。
それに我が家の矮性くちなしにはオオスカシバのでっかい幼虫がついて、忽ちのうちに裸にしてしまう。オオスカシバが可愛いので最初は放っておくのだが、そのうちに耐えられなくなって摘まみ出すのを毎年の行事にしている。
渡哲也のくちなしの花が流行ったのが1970年代。私は東京にいて長男が生れた頃だった。
カラオケはほとんどなく、アカペラか、レコードを廻してマイクで歌うか、洒落たところならピアノバーだった。
くちなしの花は宮崎出身のK田さんの十八番で、ボリュームのある体格で歌うこの歌には皆が一目置いていた。
だから、毎年この花を見ると、マジックインクのように大きな指をしたK田さんが「今では指輪も廻るほど・・」と歌った姿を思い浮かべて一人で笑っている。
植え込みの奥の方の花を妻が手折ってきた。
いっぺんに家中の湿度が下がったような気にさせる芳香が拡がった。
K田さんの低音で聞く「くちなしの花」聞いてみたいですね、マイクを握る、「その指のはかなさを,,,」エ、違いました?。
返信削除梅雨時にくちなしの香り!倭のくちなしの香りきっと優しい香りがするのでしょうね。想像するだけでほっとします。さすが奥ゆかしい伴侶さんですね。
返信削除!春の沈丁花、夏のくちなし、秋の金木犀は、身近なところの三大香木ではないでしょうか。
返信削除以前のブログに書きましたが、私は、沈丁花には年度替りの憂鬱が思い出され、金木犀には安直な芳香剤が連想されますが、くちなしにはそういったマイナスイメージがありません。
花期の終わるまで、ほんの少しの間、家中でこの香りを楽しみたいと思っています。
カサブランカなどとは程遠い清楚な香りです。
長谷やんのブログ暫く開いていなくて乗り遅れの感じ。「くちなしの花」唄った記憶がありますが、うまくもないのに何となく乗せられていたかも。ひげ親父に聞かせる力はとてもとても。
返信削除クチナシは花の匂いがいいことと、黄色くなる実が漢方薬に使われ、宮崎では踵などの「ひび」「あかぎれ」の手入れには欠かせない貴重な品だったことを思い出します。
同世代の友人が、癌、脳梗塞、糖尿、腰痛などで、これまでのように付き合えなくなってきており、他人ごとではないとの感が強くなっています。
宮崎の「K田」さん(前回はカっさん)
!カッさん コメントありがとうございます。
返信削除① コメント後段の「老い」について、私は兵庫の和道おっスさんのように「親は最後に自分が死ぬことによって子や孫に無常を教えるのだ。」というほど達観はできておりませんが、逆算をして今をしっかり生きなければと自戒し反省する毎日です。
②「ひび」「あかぎれ」に対して山梔子を具体的にどのように使用されたのかは興味津々です。
③ ヒマジンのブログにこれ以上のお付き合いは結構ですが、気が向いたら四半期に一度程度コメントいただければ幸いです。お馴染のコメント仲間も歓迎されるでしょう。