2012年3月13日火曜日

地面の見えた自動車

   スバルが「軽自動車の製造を止めた」という新聞記事があった。
 個人的にはちょっとした感慨がある。
 30有余年前最初に乗ったマイカーがスバルの軽だったからである。
 それは今は亡き友人が職業訓練校で働いていたとき、教材で使った自動車を交換するから税金等の実費だけでいいというので払い下げてもらったものである。(要するに価格は0円)
 有名なスバル360ではないが、1969年製の後部空冷エンジンのスバルR2という8~9年モノの中古であった。
 なお、この時期のR2シリーズは1972年に生産中止になっており、後のR2とは別物である。

 空冷エンジンのため、冬季の朝にエンジンをかけると街中が真っ白になった。
 さらに、夏季は走行中に床下をガバッと開けることが出来、前にエンジンがないものだから全くクーラー不要だった。
 取り付けた扇風機は近所の子どもたちに「このクルマすごい!」と大人気だった。(もちろん子どもたちの親のクルマにはクーラーがあったから・・・・扇風機は珍しくてカッコよかった)(床下がガバッと開くし顔には扇風機・・で全く不満はなかった。)
 何もかもがシンプルで、メカに人間味があった。
 先日、ひげ親父さんから「復活~山田洋次・SLを撮る~」というDVDを貰ったが、そこに通じる暖かさが残っていた。(余談ながら、SLはボイラー検査に合格しないと使用できなかった。知らなかった。燈台下暗し)
 次に買い換えたクルマからは「床下が開いて走りながら地面が見える」という贅沢はなくなった。
 次の次のクルマからは三角窓がなくなった。
 次の次の次の車に代えたときには「チョークはどこ?」って聞いて呆れられた。
 去年買い換えた時には「サイドブレーキはどこ?」と言って笑われた。
 便利にはなった。便利にはなったけれどSLに似た人間っぽさは今はない。
 電気製品同様クルマもブラックボックスになりつつある。
 だが、ここで止れば時代に取り残される。
 で、必死になって子どもたちの会話に遅れないようにしている。ふ~。

2 件のコメント:

  1. 幼い姿と、南海ホークスの野球帽に年月の流れを感じます。スバル(富士重工業)の前身は、あの名機「隼」を産んだ「中島飛行機」です。敗戦後、GHQにバラバラに解散、分割されそのほとんどが自動車産業に向かいました。スバルの「空冷エンジン」の技術は戦闘機のエンジンの技術が生かされたものだっと云われています。

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  2. ひげ親父さんのコメントを読むと、あのポンコツ自動車の空冷エンジンも何かキラキラと輝いて思い出します。そうですか。私は「隼」に乗っていたのですか。
     しかし、「隼」は空を飛びましたが、マイカーは阪奈道路・生駒山を越えるのにヒーヒー言っておりました。
     後部空冷エンジンも南海ホークスも昔話の世界です。

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