2012年3月2日金曜日

肉なんか食べたことない

ネットから
   バターもチーズもあった奈良時代の高級貴族の豊かな食材ぶりは数々の木簡で驚かされるが、主役であった貴族たちが平安京に去った後にこの地に残った農民はどんなものを食べていたのだろうかと義母に尋ねてみた。新こおつと大学の始業である)
 時は下って昭和の前半頃の“肉けの食材”に関する“娘”の記憶である。
 「自分とこの畑で採れた野菜しか食べたことない」「肉や魚なんかひとつも食べたことない」と言い切っていた義母であったが、ビールがまわるうちに、「どじょうたにしは美味しかった」「からす貝はお汁に入れた」「沢がにザリガニイナゴ蜂の子はおやつやった」「田圃の虫捕りに入れておいたを味噌汁にした」と、確かにそれは田畑の周辺で自給したものばかりだが、現代風に言えば結構な珍味が揃っていた。
 これ以外の肉けの食材はというと・・・、先日のブログで十三峠を書いたが、「おおこ(天秤棒)に籠をぶら下げて河内のおっさんが峠を越えて来た」「身欠きにしんころエイの肝を運んできて玉子と交換した」というのもあったらしい。
 そして、年に数回ふもとのよろず屋でエソを買うて美味しかった」と言い、「特別の日のご馳走は絞めたの料理やった」と語ってくれた。
 確かに、成長期にそれらしい“今風の”肉や魚を食べてはいないが、「どじょうイナゴで90何歳まで来ましたねえ」と言うと「ほんまやなあ」とちょっと誇らしそうだった。

どじょう・・・・・・・玉子とじは美味しかった。(玉子を食べられるのは余程のこと)。
たにし・・・・・・・・さっと湯掻いて身をとり出して野菜と煮た。
からす貝・・・・・・お味噌汁に入れた。
沢がに・・・・・・・湯掻いてバリバリとそのままおやつに食べた。
ザリガニ・・・・・・湯掻いておやつに食べた。
イナゴ・・・・・・・・串に刺してカマドの灰の中に入れ、醤油を付けて食べた。
蜂の子・・・・・・・アシナガバチの子。そのまま食べたり蜂の子ご飯にした。
鯉・・・・・・・・・・・味噌汁(鯉こく)にした。
身欠きにしん・・野菜と煮た。
ころ(鯨の皮)・・・・野菜と煮た。
エイの肝・・・・・・きらず(おから)を作った。大好きだった。
エソ・・・・・・・・・・煮魚にした。
鶏・・・・・・・・・・・すき焼きにしたが、絞めた祖父は絶対に食べなかった。

5 件のコメント:

  1. 河内のおっさん、こち(自分たち)の食べたもの、
    たにし=ほとんど食べた事なし。あの独特の苦みの所為か。
    イナゴ=油で炒め、醤油と砂糖で甘辛く味付けして食べた。
    鶏=「かしわ」と言っていました。筑前煮が主でした。
    ザリガニ=エビガニと呼んでいた。子供の釣りの対象であっ     たが食べれるという事を知って空き缶で煮て食べ     た覚えがあるが親に叱られた。
    以上、あくまで子供の食生活です。
     河内では、なんといっても「おかゆ」(おかいさん)です。冬も夏も、朝昼は茶がゆでした。熱いのを食べるから胃が焼けて、胃がんになる人が多い、と実しやかに言われていました。今でも母親が作ってくれた「茶袋」(ちゃんぶくろ)に粉茶を入れて茶がゆを作ります。昨日の晩の御飯(わざと保温のスイッチを抜いておき冷たくなったご飯)にアツアツの茶がゆをかけて食べます。「黄色こうこ」があれば言う事なし。

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  2. !奈良も「大和の茶がゆ」と言われる文化がありますが我が家には伝承されておりません。その上に私は猫舌です。そんなことで夏季に白がゆを冷蔵庫で冷やしておいて食べるのが好きです。冷えた麦茶でお茶漬けも。邪道でしょうか。
     それはそうと質問ですが、「粉茶」とありますが「番茶」ではないのですね。何か高級料理のように感じます。
     なお、このブログの内容は、教授である義母が娘であった昭和前期の思い出です。私たち夫婦が現在もなお田畑周辺に食材を採取に走り回っているわけではありません。

     **追伸**この頃Googleの様子がおかしく時刻表示も狂ったりしています。無視してください。

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  3. !鴻池の先輩から「エソなんか釣人が捨ててるで」と電話をいただいた。
     そうなんです。昭和の前半のことですが、生駒の純農村では泉州や河内の方々が見向きもされないような魚が御馳走だったらしいのです。
     今では、外泊の度に「サーモンのお刺身を食べるのが楽しみだ」と言うので出しています。
     この・・親の世代に比べると、私たちは確実に飽食の時代を歩んで来たと、しみじみと感じます。

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  4. エソ  確か かまぼこ の材料では。上等なものは鱧 鯛ですが100パーセントは。混ざっていると思います。

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  5. !堺愛好者さん そうなんです。エソは蒲鉾の材料です。
     だから「エソがおいしかった」というのは非常に恥ずかしい事実です。
     しかし、ほんの少し前の庶民の現実だったんですね。
     若いときには戦前なんか遠い昔のように感じていましたが、この歳になると「ほんの少し前」というのが判るようになりました。
     「電力が不足してもいいのか」と脅す人がいますが、「ええやないか」という感じも同様です。

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