2012年3月23日金曜日

春のメランコリー

   気候のせいで例年よりも遅れていたが、沈丁花(じんちょうげ)の蕾が膨らんできた。
 沈丁花は和名であって中国では瑞香というらしい。なるほど、名は体を表している。
 和名にしても、沈香(じんこう)と丁子(ちょうじ)に比肩するところから命名されたであろうことは容易に想像できる。甲乙つけがたい先人たちである。
 鶯が春を告げる鳥であるように、沈丁花は春を知らせる花である。

 「嗅覚(きゅうかく)は視覚や聴覚に比べて格段に記憶を呼び起こす」と言われているが、ほんとうにそのとおりだ。

 しかも、匂いフェチという言葉があるように(いや、ちょっと違うか)、嗅覚は、記憶と一緒にその頃の「気分」までもを連れて帰ってくるから不思議である。

 私の場合、沈丁花の香りが漂うと「人事異動の季節だなあ」という記憶と一緒にちょっとしたメランコリックな心象風景がよみがえる。
 人事異動の憤懣を訴える相談を傾聴した記憶や、歳がいってからは自分自身が新しい仕事に慣れるまでの不安など、沈丁花の香りの季節はちょっと重たい季節であった。

 しかし、この国の勤労者の現職は、常軌を逸した人員削減や成果主義の下で、私の時代よりも格段に気の重い季節になっているのではないだろうか。
 そういう中で、メンタルの不調を訴える職員が増大していないだろうかと心配する。
 自由主義などという美名?の下に市場原理主義者が大きな顔をしだしてから、この国は確実に劣化していっているように私は思う。
 その昔、私は講演の際に「メンタルの患者は坑道のカナリアですよ」と繰返してきたが、残念ながら私の指摘は当たっていたように思う。

 此の頃思うことは・・・、悲しいけれど、人は往々にして自分が弱者になったとき、「だから助け合わなければ」と考える一方で、自分だけが助かろうと試みたりもすることである。あの時(蜘蛛の糸)の杜子春(とししゅん)のように。
 人員削減や成果主義は、単なる業務の問題に止まらず、人間(人生)を蝕むという側面を持っていることが恐ろしい。
 利潤や効率の呪縛から心が解き放たれなければならないのでは・・・などと言うと、他人(ひと)は時代遅れの戯言と嘲笑(わら)うだろう。
 かく言う私も、偉そうには言えない凡人で、どっぷりと「その時代」に浸かって来たのだが、しかし、政府やメディアの、“信じて疑わないその種の主張”の大洪水を目の当たりにすると、「あえて逆らってみたい」と前期高齢者は反省しつつ思うのである。

3 件のコメント:

  1. 「メンタルの患者は坑道のカナリヤ」とはどんなお話ですか?

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  2. !スノウさん 講演風に言えば・・・、
     皆さん、オーム事件の時に警察が鳥籠を持っていたのを憶えておられますよね。
     つい昔まで、ガス中毒、ガス爆発を怖れるイギリスの炭鉱や鉱山では、必ずカナリアの鳥籠を幾つか持って入っていたんです。ほんとうです。
     1羽でも異常を示したら「逃げろ」ということです。判りますよね。
     だからメンタルの患者が発生したら「あいつは特別や」と考えないでください。
     その方はカナリアで、貴方の職場にメンタル病の毒ガスが溜まりつつあるのを教えてくれたと考えてください。
     メンタルの患者は坑道のカナリアです。放置すると次は貴方の番になるかも知れません。
     ・・・・という様な事を、仕事がら「ええかっこ」をして語ってまいりました。お笑いください。

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  3. 長谷やんさん解りました。有難う御座いました。

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