
ということで、「ALWAYS三丁目の夕陽」をシルバー割引で観に行ってきた。
そして、ストーリーではない細部が目につくというのも、これもまた明らかに老化現象に違いないのだが、その一つが『ろくちゃんの東北弁』。
映画の時代よりももう一時代新しい頃東京で働いていた私たち夫婦の感想を言えば、「あんなマルマルの東北弁を使う娘はいなかったよなあ」である。
大阪人には理解できないほど東京における東北人の東北弁コンプレックスは大きく、誰もが必死に標準語を話していたように憶えている。
だから、ろくちゃんだって「東北弁」と「東北訛りの標準語」のバイリンガルであったはずである。
そもそも原作が漫画である映画にこんなツッコミを入れるのは大人気ないが、・・ヤクザとお笑いは大阪弁、男らしい男は九州弁、田舎者は東北弁・・的なステレオタイプはうんざりするほどテレビや映画の画面で踏襲され、それどころか増幅されているように思う。
そしてこの頃気になることは、この、主として在京テレビ局が作ったデフォルメだらけの「ステレオタイプ」が、名指しされた当人たちの意識をも操り、例えば、ある種冷静さが求められる地方自治のあり方を考える時に、あえて非理知的に振舞い、テレビで名の売れたタレントを「ノリ」という感覚で異様に賛美するのが大阪人的だと一部の大阪人自身が言うような風潮の源をここに感じるのは思い過ぎだろうか。
「あんな映画なんか綺麗ごとや」「うそっぽいわ」と言う前に、抑制と寛容を忘れた露悪的な下品さが大阪人だ・・・的に(メディアに)マインドコントロールされ、「他人の不幸は蜜の味」というフレーズに笑い転げているうちに何かを忘れてきた一部大阪人ほど「三丁目の夕陽」を観てほしい。
何でも「昔はよかった」という気などさらさらないが、市長や知事の品のない暴走を目の当たりにして、ちょっとそんな気になった。
某芸能人のマインドコントロール騒動は他所事だろうか。
この国のメディアの歪みは度し難い。