A 古墳の場所と副葬品の形式から考えると被葬者は4世紀末の葛城氏と関連するだろう。
B 前方部の被葬者は女性であり、質素な副葬品から見て生前の地位等は高くはなかった。
C 粘土槨内の質素さに比べて粘土槨外の豪華さは「異常」であり、よって「喪主」は超大物だろう。
D それらの条件で記紀等を調べると、「喪主」は天皇扱いをされている神功皇后、後円部被葬者はその父の息長宿禰王、前方部被葬者は母の葛城高顙媛(たかぬかひめ)と考えられる。
以上は、小笠原好彦先生著『古代豪族葛城氏と大古墳』のダイジェストのダイジェストである。
ただ、記紀に書かれている神功皇后は非常に潤色されていて史実とするには疑問点が多いとされている。
それ故に戦前の皇国史観では現代のヘイトスピーチの女王のような扱いをされ、戦後はその反動で「神功皇后は全て架空の物語だ」となっている。単純な言い方をすれば「今頃神功皇后などというのは科学的でない右翼ではないか」ぐらいの雰囲気がある。
しかし、古代史学者の圧倒的多数は、応神や仁徳といわれる大王(後の天皇)が存在したことは事実だとしている。
神功皇后はその応神の母である。応神は認めるがその母神功はまっかな嘘で存在しなかったのだろうか。潤色がひどいということと存在が全く認められないということとは別である。
百舌鳥古市巨大古墳の時代の直前の話であり、富雄丸山古墳築造の時代である。
考古学的物証主義で文献資料を読み解くと次から次へと疑問が湧くので大変だが、学びは楽しい。
(写真はホンに島・の・山だ)

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