2025年9月10日水曜日

鍬形石、車輪石、石釧

    奈良の馬見古墳群の島の山古墳の勉強会があった。
 大量の鍬形石と車輪石と石釧が埋納されていた大古墳であるがその話は後日として・・・、

 鍬形石と車輪石と石釧はもともとは石製品ではなく、琉球あたりの産のゴホウラ貝とオオツタハ貝とイモ貝の加工品であった。
 古墳時代にはそれを真似て石で作った。一種の宝物・・威信財と考えられている。
 上の写真はゴホウラ貝、これを縦にスライスすると鍬形石になるが、けっこう分厚くて重い。
    次の写真はイモ貝だがこれは横にスライスすると石釧となる。これもけっこう分厚い。重い。
 そもそも、弥生時代からけっこうな青銅器や鉄器製造・加工の技術があったから驚くことではないだろうが、これを渡されて、当時の道具で「はい、加工してください」と私に言われると参ってしまう。

 昔、「はじめ人間ギャートルズ」という漫画があったが、古墳時代、弥生時代といわず縄文時代だって、土器その他の技術は漫画のレベルでは決してなかった。
 だから、古墳時代以降と思われる物語の記紀なども頭から馬鹿にしてはならないのでないか。

 「島の山古墳の被葬者は誰か?」小笠原好彦先生の論の進め方には納得するところが多い。しかし、その話は後日。

1 件のコメント:

  1. 元々「貝殻を輪切りにして腕輪を作った」と聞くと壊れやすい貧弱なものを想像される方があるかもしれないが、これらの貝殻は分厚くどっしりとしたものだ。それだけに、その時代の加工技術に感心する。

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