2015年2月4日水曜日

鬼追い式

  節分の豆まきのルーツは古く道教にあり、中国の宮廷行事(周礼)、日本の宮廷行事(延喜式)を経て神社やお寺の行事になり、ついには家庭の、幼稚園・保育園の微笑ましい年中行事に至っている。
 そのように広く支持されてきた遠因には素朴な正月行事として、春から始まる向こう一年の安寧祈願と重なるという解りやすさがあったからだろう。
 私の親は比較的こういう行事を大切にする人であったので、毎年「鬼は外、福は内、戌亥の隅にどっさりこ」と叫んで豆をまいてきた。
 なぜ「戌亥の隅にどっさりこ」というのかは解らなかったが、「そういうこと」となっていた。
 戌亥の方角は、丑寅の鬼門に対して、道教=陰陽道の神門といい、この方角に蔵を建てるなど福を迎え入れる大事な方角だったからだろうと勝手に理解している。
  妻の遠くない祖先が、鬼取という地名もある生駒山暗峠の街道で漢方薬を旅人に施していたと郷土史に載っているので、、役行者から製薬法を教わった鬼の末裔ではないかと想像する。
 そんなものだから孫に「福は内、鬼も内、戌亥の隅にどっさりこ」と教えたら、しっかりと大声でそのように発してくれた。
 ちなみに、恵方巻は昭和30年頃、大阪の鮓商組合や海苔組合が古い風習の復活に取り組んだもので、我が家では父の仕事柄その頃からこの行事を行い始めていた。
 だから私は、約60年前に最初に恵方巻を食した少数のトップグループの一人である。
 その後スーパーやコンビニまでもがイベントに組み入れて今日があるから感慨深い。
 
 今年は興福寺の追儺会(ついなえ・鬼追い式)に行ってきた。
 3匹の鬼が暴れまわり、毘沙門天が調伏し、大黒様が「福は内」と言って豆をまく宗教劇である。
 始まる前に道路で鬼と出くわしたから孫はびっくりしたが、その後徐々に慣れて、そのうちに大声で鬼を応援していた。
 お嫁さんが恵方巻を作ってくれたので、恵方に向かって作法どおり丸かぶりをした。
 鰯を食べて、柊の枝に刺して門口に飾った。
 どうか今年もよい年でありますように。

7 件のコメント:

  1.  4日に、絵に描いたようにキジバト2羽が庭にやってきて豆を食べておりました。

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  2. 鬼の写真はなかなか迫力があります。「旅」の雑誌に出てきそうなショットですね。

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  3. 今年もまた手向山八幡の節分御田植祭と元興寺の柴燈護摩に行ってきました。程よい人の集まりで良かったです。盛岡に居る3人の孫に見せたかったです。

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  4.  スノウさん、火渡りの行をされたのですね。無病息災、無病息災。

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  5.  ひげ親父さん、孫がいるので前の方には行けません。それで、後ろの方から脚立に乗って、孫を肩車してその姿勢のままで写真を撮りましたが、電池が消耗していて上手く動いてくれませんでした。まあ、結果よし!でしょうか。

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  6. 肩車とは!後ろでお母さんがハラハラしてたでしょう。

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  7.  脚立は小型です。天板ではなく上から二段目を跨いでいます。妻が後ろで支えています。
     しかし、高齢者の脚立での事故が多いらしいです。頭の中では「これぐらい大丈夫」と思っても体は昔の体ではないということです。私も自重しなければなりません。

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