2025年10月31日金曜日

マップメーター

    地図を見て距離を調べたいと思ったとき、
 確か「マップメーター」のような文具があったはずだと検索したら、中国製らしきものが数百円で売られていた。わずか数百円。当然船便だろう。
 ところがこれが相当余裕のあった配達予定日になっても配達されない。手漕ぎボートででも輸送されているのかしらん。

 結局、通販会社に「届いていない」「もういらん」「返金してくれ」とメールすると、通販会社から「返金します」と返事があった。正確には未だカードから落ちていないのだが、一旦落ちて返金になるはずだ。
 少し腹が立ったが、数百円のことであまり気にもならなかった。

 すると、それから相当経ってから現物が配達されてきた。
 二重に購入もしていないから問題はないので「払ってほしい」と言ってきたら「払ってあげる」気でいるが、数百円のことでどう言ってくるだろうか。

 そもそも調べたかったのは、高齢者が天満天神繁昌亭で観劇をした後、パーティー会場まで歩くのに支障がないかどうかである。
 メーターで測ると約1200ⅿ強。非常に悩むところである。というか、私なら「無理だ」と判断したい距離。それはさておき・・

 さて、世はIT時代である。そう思ってそのことを検索してみると、「Google マップで右クリックして距離測定にすると答えが出る」という。試してみると即座に答えが出た。即完了!
 嗚呼!この1か月強の私のネット通販とのやり取りは何だったのだろう。
 ITを思いつく前に昔々の文房具の思い出に乗っかった後期幸齢者を笑って参考にされたい。えっ!そんなことは常識ですか。

2025年10月30日木曜日

オンブバッタ

    毎年なら紫蘇(しそ)の最盛期にはオンブバッタがワンサカいるものだが、今年はほんとうに少なかった。
 もう紫蘇は全て抜いてしまった今頃、ちょいと現れたので撮影した。
 これが異常気象(酷暑)のせいだったのかどうかは知らない。
 昆虫の一般的標準どおり下の大きなバッタが♀である。
 実はオンブしているのではなく、交尾の後も♂が勝手に乗っているらしい。その理由は♀を他の♂に取られないようにということらしいから、ストーカーというか、究極のヒモかもしれない。いやいや律儀な一夫一妻の仲良し夫婦だろうか。
 冒頭に書いたとおり毎年大量に湧いてきて紫蘇の葉を食い散らす。一言で言って害虫そのものだが、なんとなく可愛いのであまり駆除していない。あなたならどうする。

2025年10月29日水曜日

妹尾河童氏の自伝

    『少年H』は著名なグラフィックデザイナーであり舞台美術家である妹尾河童氏の自伝である。
 父親は神戸で洋服のテーラーであったから顧客には外国人もいた。
 紀元二千六百年(昭和15年)の頃、小学生のHはスケッチが好きで家から近い須磨沖の軍艦をスケッチしたこともあったが、父親は「写真や本を見て描いてもええけど、実際のものを見てスケッチするのはやめときよ」と真顔で念を押した。
 当時は、こんなことまでが軍事機密とされていた。
 また、知り合いの消防署長に火の見櫓の望楼に登らせてもらったが、これも父親から「登ったことを絶対に友だちにもいうたらあかんよ。許可されている人以外は防諜法違反になるからな」と本気で怒られた。
 片やメディアは、Hの父母が通っていた教会の牧師が逮捕されたことも、当時父は消防手であって出動した兵庫駅南の空襲で死者が出ていた事実も、それらは一切報道されなかった。これも防諜法(スパイ防止法)の一面だった。
 そんな中、ある朝、私服刑事が父を連れて行った。帰国した顧客から以前に絵葉書が送られていたからだった。それは以前にHが友だちに絵葉書を見せたことがあったからだった。
 この小説(自伝)は映画にもなったが、映画では父親は拷問を受けて帰って来ていた。
 「僕のあの絵葉書のことで、お父ちゃんが引っ張られた」と悲しみながら、翌日学校に行ったHは飛び上がるほど驚いた。Hの机に白墨で、スパイと大きく書いてあったのだ。
 スパイ防止法が声高に語られる今日、この本は自宅の書架に置いておき、適宜読み返すのがよいと思う。講談社の文庫にもなっている。

2025年10月28日火曜日

お前はスパイだ

    高市内閣が発足してから俄かにスパイ防止法を制定せよという声がけたたましくなってきた。
 「よう知らんけど、一般市民には関係ないだろう」という気分も大いにあるが、ほんとうにそうだろうか。
 善良な日本国民を霊感なるもので洗脳して巻き上げた大金を韓国に送金していた旧統一協会関連団体の広告塔(広報誌)に首相自身がなっていながら何がスパイ防止だと思うが、それほどに、ことは政治的なものである。

 さて、2018年10月に警視庁公安部は大川原化工機㈱と社長自宅などを強制捜査し、カッコ付きの任意の取り調べが、社長39回、常務35回、相談役18回、会社関係者47名に291回行なわれた。
 2020年3月、社長、常務、相談役が外国為替及び外国貿易法違反で逮捕され、接見禁止で拘留された。
 その後、弁護士の保釈請求も棄却され、再逮捕、追起訴され、A氏は拘留期間中に十分な治療が受けられない中、胃がんでなくなった。正確には約11か月ぶりに釈放された2日後に死亡。なお、保釈条件に接触禁止があったので、他の2人は最期に立ち会うこともできなかった。
 2021年7月30日、検察官は公訴の取消しを申し立て、裁判は公訴棄却で終結した。???である。
 以上が大川原化工機事件であり、スパイ罪でっち上げ事件である。
 現状でもこれだから、一般市民がスパイ罪だというように逮捕され、「証拠はどこか」というと、「機密事項だから言えない」となるのがスパイ防止法である。
 そしてその影響は第一にメディアに出てくるだろう。そういう性格のものだろう。

 (明日の、妹尾河童著『少年H』につづく)

2025年10月27日月曜日

菜園自慢

    今年は夏の終わりにトマトを抜いてしまったところ、秋にはトマトの値段が高騰しているので、妻に「もっと置いておいてほしかった」と叱られている。プチトマトは例年、木枯しが吹くころまで採れるのに惜しいことをした。
 その一方、夏のキュウリが終わったころ、「秋でも採れるキュウリ」という苗を1本植えたが、それが写真のように大きくなった。あと暫くはキュウリの糠漬けは食べられそうである。
 去年のこぼれ種から伸びてきたツルムラサキは収穫最盛期だから、これもオシタシなどにしている。
 片方では冬野菜のミズナがグングン成長してきたから、必要なだけの葉を摘んでサラダや鍋料理に重宝している。
 菊菜(春菊)やルッコラはそのうちに「つまみ菜」になる。ウスイエンドウは芽を出したところだ。
 猫の額みたいな土地での「放ったらかし農法」だが、農は楽しい。

2025年10月26日日曜日

直木孝次郎氏のこと

    10月19日に直木孝次郎氏の遺稿が本になったことを書いたが、せっかくの機会だからもう少しだけ直木孝次郎氏のことに触れておくこととしたい。 
 私は1960年代前半に高校生であったが、社会の先生が山根徳太郎先生の難波宮(なにわのみや)発掘(遺跡発見)を、その日の科目テーマとは関係なしに熱く語られていたことを覚えている。
 直木先生はその難波宮の発掘とその地の遺跡保存運動を山根先生とともに積極的に進められた。
 時あたかも『高度経済成長政策』の時代であったから、大阪市中心部の超一等地の開発をストップさせ遺跡保存が成ったことは奇跡に近い。諸条件は異なるが、京都の平安宮は遺跡保存されていない。
 難波宮大極殿北西のNHKの南(第二合同調査東隣)も広場として残され、当時あったとされる大きな倉庫が一棟復元され、他の倉庫の柱の後もタイルで残されている。

 直木氏は、その後も各地で起こった遺跡保存運動に関わられ、2000年には文化財保存全国協議会の第1回和島誠一賞を受賞された。
 古代史研究の功績も多くこんなブログでは到底紹介できないが、例えば、671年(天智10年)唐の郭務悰が2000人で訪れたとき、近江朝廷から絁(あしぎぬ)1673匹・布2852端・綿666斤を賜ったと日本書紀が端数まで記すのは、郭務悰が白村江での日本の捕虜を返還しに来朝したことを示すという論など、そのするどい洞察力には感心する。なおこのことなどその他、古代史学者小笠原好彦先生の書かれた追悼文を参考にしてこの記事を書いた。

2025年10月25日土曜日

労働時間の規制緩和とは

    高市首相は就任早々の
21日、初仕事として厚労大臣に、労働時間規制の緩和検討を指示した。
 この指示は、2019年施行の「働き方改革関連法案」で労働基準法に定められた、残業時間の罰則的上限規制などを緩和しようとするもので、まるでブラック企業経営者の発想だ。
 そしてこれまで労働行政が積み上げてきた、長時間労働の是正によって、過労死・過労自死等の健康被害を撲滅し、多くの労働者が苦しんでいる仕事と育児・介護の両立支援促進という理念をも真っ向から否定する悪政だ。

 現在、労働者側代表と合意(36協定)によって設定される残業時間の上限は、原則として月45時間・年360時間。ただし、臨時的な特別の事情がある場合は年720時間(ただし、休日労働を含めば960時間)迄は延長可能。単月100時間未満(休日労働含む)、複数月平均80時間(休日労働含む)を超えられず、限度時間を超え時間外労働を延長できるのは年6ヶ月が限度とされ、この規制の違反には刑事罰も予定されている。
しかも、規制の上限内容は医師等によって検討されてきたいわゆる過労死ラインを超えるもので、規制が浸透せず遵守していない使用者も世の中にはあふれている現状では、これまでの政権与党自らが「働き方改革」として成立させた労基法の罰則的上限規制を一層社会に浸透させることこそ重要なのにである。
重ねて言うが、長時間労働は、脳心臓疾患による過労死や、精神疾患の有力なリスクファクターだということは疫学的にも証明されていることだし、さらに仕事と家庭生活の両立(ワークライフバランス)を阻害し、少子化対策や女性のキャリア形成、男性の家庭参加をも阻害し、社会全体の活力を奪うものだ。
さて、統計は諸条件の違いを考慮しなければならないが、日本の正規雇用の労働時間は、バカンス制度があり、残業を原則として考慮しない西欧に比べて異常に長くなっている。一方、実質賃金は上がらず、かつてゴルバチョフが「ウサギ小屋だ」と馬鹿にしたマイホームさえ勤労者には高嶺の花となっている。
にもかかわらず、アベノミクスの結果、一人当たりのGDPは主要7か国中最低で、OECDの底辺クラスである。

高市内閣は時代を逆走しようとしている。
労働時間の規制緩和を許してはならない。労働者の生活が苦しくなるということは、高齢者を含め社会全体が辛く貧しくなるということだ。

2025年10月24日金曜日

白頭山から

    10月22日に冬が突然やってきた。冬というと雪であるが、雪国金沢には親戚がいる。2024年元旦にスキーを楽しんだ孫の夏ちゃんファミリーがその家で能登半島地震に遭遇した。それはさておき・・

 朝鮮半島の付け根付近、北朝鮮と中国の国境線上に白頭山という標高2,744ⅿではあるが周辺の山脈を含めると全体で九州ぐらいになる孤立した山岳がある。 
 この辺りは歴史的には、濊、貊、高句麗、靺鞨、渤海、契丹(遼)、金、モンゴル、女真、清、満州、朝鮮などの国や民族が覇を争った地で、その戦乱の歴史は、極東の列島人では想像がなかなか追いつかない。
 そして現代では、北朝鮮も韓国も、朝鮮民族の故郷の霊峰として白頭山をあがめている。
 韓国の第二の国歌とされている『アリラン』でも、
 〽 アリラン アリラン アラリよ
   アリラン峠を越えて行く
   あそこのあの山が白頭山なんだね
   冬至師走でも花ばかり咲く ・・と歌われている。

 金沢の話から、なぜそんな遠い?異国のことを書くのか!というと、先日読んだ坪木和久著『天気のからくり』に・・冬季に大陸の寒気が日本海上に流れ出すのだが、寒気は重いので白頭山を乗り越えることができず、東側と西側に分かれて流れ出し、風下側の日本海上でぶつかり合い、「日本海寒帯気団収束帯」(JPCZ)と呼ぶ通常の雪雲の高さ(たかだか3㎞)の倍くらいの5~6㎞の帯状の雪雲、いうならば線状降水帯のような異常な「降雪帯」になり、北陸、能登半島や金沢に記録的な大雪を降らせるのだという。
 豪雪は、単純に「西高東低の気圧配置で大陸の冷たい空気が流れだしてくる」というほど単純ではないらしい。

 そんなことを思うと、遥かアムール川から流れ出た流氷が北洋の豊かな漁業資源の素となったり、評判の悪い黄砂だって、日本海や日本列島を豊かにしていることがあるように、イマジンではないけれど、自然に国境などないんだと気づかされた「天気の本」だった。
 もう一度言うが、地球には国境などないのだ。

2025年10月23日木曜日

熊鈴

    御承知のとおり、クマによる被害報道が連続している。
 
 さて、よく言われる「山の”木の実”などが不作」だからクマは里に下りて来たのだろうか。
 わが街周辺の狭い知見からはあまりそのよう(どんぐり等の不作)には思わないが、この件についてはよくは知らない。もう少し事実を調べてみたい。

 それよりも『知床財団』の動画などを見ると、クマを見るためにクルマからエサを投げ与える人間、写真を撮ろうとクルマから降りて近づく者、そして、食べ物のゴミなどを放置する、・・そんなことが原因で、本来は人を避けようとするクマが里にまで出没するようになったのではないかとの指摘がある。私は一定の説得力を感じている。
 一般論だが、私の感覚的な経験からいうと、一部写真撮影のグループのマナーの悪さには同意する。お花畑に入る、鉄道敷地内に入る、個人宅に入る、・・・

 奈良公園周辺でも鹿害(ろくがい)といって鹿による畑荒らしなどが問題になったことがある。もともとは芝生の芝やどんぐりを食べていた鹿が人間が与えた野菜の味を覚えて畑を荒らしたのだ。だから『知床財団』の指摘に一定同意する。

 クマにとって人間世界は「危険な場所」ではなくなり、「おいしい場所」になったようだ。
 わが家の前をランドセルにカウベルならぬ熊鈴をつけて通学している子どもがいる。実にほほえましいが、鈴の音がクマの方で「危険だ」という警告でなく、鹿寄せホルンではないが「よい知らせ」にならないことを祈る。
 わが街周辺ではクマの被害はと遠いことに感じられてはいるが。熊鈴を聞きながらそんなことを思う。

2025年10月22日水曜日

もずが枯木で

    秋の使者百舌鳥(もず)がキーキキキキと高鳴きを始めた。
 
 サトー・ハチローは昭和10年に『もずが枯木で』の詩を出したが、その詩の最後は「もずよ寒くも泣くでねえ / 兄さはもっと寒いだぞ」で結ばれていた。
 ところで、百舌鳥は小なりと言えども堂々たる猛禽類である。高鳴きは我が縄張りへの進入は断じて許さないぞという威嚇であって、間違っても寒いからと泣いている訳でもない。そんなことはサトー・ハチローも国民もみんな知っていた。でも、ただ百舌鳥は髙鳴きしているだけで「満州に行った兄さ」の「鉄砲が涙で光っただ」で詩が終わるのは許されない時代であった。叱られた百舌鳥は冤罪である。
 近頃は冗談でなく愛国心だとか非国民、それの裏返しの外国人非難、はてはスパイ防止法というおどろおどろしい言葉が飛び交うようになった。その先っちょに総理大臣がいる。
 次に叱られて泣くのは庶民とならないかと心配する。

もずが枯木で泣いている
おいらはわらをたたいている
綿びき車はおばあさん
コットン水車もまわってる
みんな去年と同じだよ
けれども足りねえものがある
兄さの薪割る音がねえ
バッサリ薪割る音がねえ
兄さは満州へ行っただよ
鉄砲が涙に光っただ
もずよ寒くも泣くでねえ
兄さはもっと寒いだぞ

2025年10月21日火曜日

セイヨウカマツカ

    雑事に追われているので短文になるが、いっぺんに秋がやって来て「セイヨウカマツカ(アロニア)」の実も赤く染まった。
 虫か病気でほとんどの幹が枯れてしまったが、新芽?のように株立ちしてきた1本だけが写真のようになっている。
 「食べられる」と書いてあるものもあるが、まったく美味しくない。
 そのうちにジョウビタキあたりがやって来て冬の間に食べつくす。
 日本のカマツカに似ているのでセイヨウカマツカ。しかし、ほんとうに鎌の柄になったのだろうか。

2025年10月20日月曜日

高血圧、目標は

    血圧について友人たちが医師から受けている指導内容は千差万別で、朝起きたらすぐ測る人もいるが、我がかかりつけ医は朝食後薬を飲んで1時間後に2回測って低い方を見るとよいというもので、友人たちに比べると最も基準が緩い指導である。
 普通には、「起きてから1時間以内の食事前」らしいが、かかりつけ医は「あなたの高血圧は解っているのだから、服用後のコントロールの状況を診ているのだ」という理屈。ただ、その医師も代替わりをした。
 そういう測り方でこのひと月(30日)を見ると、140台が2回、135~139が7回で、9/30がちょっと気になる。この暑い期間でこれだから秋から冬になるともう少し(かなり?)成績は悪くなるだろう。
 それでも、これまでは大先生が「時々基準以上になるのは生きてる証拠だ」と笑っていたが、先日は若先生が「高血圧だから薬を引き上げようか」と話された。
 「これまではコントロールされていると言われていたが・・もしかしたら基準が改定されたから?」と尋ねると、「そのとおり」と回答があった。
 『基準が変わったからこれから貴方は高血圧』というのもおかしなものだが、要は『130以下にコントロールせよ』というご指導。
 「基準の改定はテレビで知っていたが、とりあえずは今の薬で・・」とお願いしてそうなっているが、基準が変わったから今日から貴方は病人!というのもなんだかなあ。
 130以上の日となると20/30となるから、気分は複雑。

2025年10月19日日曜日

直木孝次郎遺稿から

    10月16日付朝日新聞奈良版(私は京都在住だが奈良版を取っている)
 に古代史学者直木孝次郎氏の遺稿集「歴史学者と天皇・戦争」(吉川弘文館)が刊行されたという大きな記事が出た。
 定価2,500円+税だから一瞬ひるんだが、前日(15日)に友人たちととった「蕎麦+一寸一杯」が2,600円であったから、ひるんだ心が貧しいと考え直し、史学で有名な奈良大学内の書店に行った。
 未発表原稿などを整理したのは長女夫妻で、その夫東野治之氏は奈良大学名誉教授の著名な古代史学者だから、ここなら置いて無いことはないと考えた。
 例によってこれは書評でも読書感想文でもないが、視力の衰えを乗り越えて271ページを一気に感動をもって読み終えた。
 直木先生は1919年(大正8年)生まれだから、私の親の世代になる。だから戦争時代を含む近代史、そして戦後の現代史を読んでいるようで、寝るのを忘れて読みふけった。本の向こうに、80代90代でも精力的に執筆されている先生が浮かんできた。
 興味深い論文は多いが、一つだけ絞って挙げると、「森鴎外は天皇制をどう見たか――「空車」を中心に――」がある。
 鴎外の原文も載っている。難解だ。その意味するところは、「多年の官職の重荷を下して空になった我身の似姿」とするのが通説らしいが、別の小説「かのやうに」と重ねて先生は鋭く論評され、最後に、「明治・大正の日本では、論理を徹底させようとすると、至る所に危険が待っていた。その危険は昭和の前半期まで続いた。私たちは鴎外のあいまいさや妥協を批判するのでなく、その時代を生きた学者・思想家の困難を思うべきであろう。 そしてそういう不自由な時代が、ふたたび日本にこないように努力すべきである。・・と閉められている。
 奇しくも「そういう不自由な時代」が再び鎌首を持ち上げている。70歳代80歳代で「もう歳だから」などといっている場合でない。
 感想があふれて書ききれないが、この本、購入するか、図書館で借りるか、一読して損はない。いや、多くの人に読んでほしい。

2025年10月18日土曜日

豪華客船

    退職者会のレクリエーションで大阪港の天保山界隈を散策したとき、ちょうど豪華客船『MSCベリッシマ号』が寄港していた。
 幹事作成のメモによると、総トン数は171,598㌧という。ちなみに戦艦大和が65,000㌧。
 全長315㍍、最大乗客数5,568人、乗組員1,536人、客室2,201室、レストラン12か所、バーラウンジ20か所、プール4か所。
 クルーズの費用は私の興味を超えているので記憶にない。日本寄港の客船としては最大という。
 クルーズの途中である。
 乗客はUSJにでも行っているのか、それとも京都や奈良に出かけているのか??
 写真は天保山渡船の船上(海上)から撮影した。
 岸壁側からだと、船というよりも巨大なマンション群に見える。
 「鉄ちゃん」の参加者は車輪がないせいか大感激はしていなかった。
 「鉄ちゃん」でもない私も別世界のこととして、海上保安庁のバカでかい外付けエンジンのゴムボートの方が、「これで密輸ギャングを追いかけるのか」などと想像しながら観察した。

2025年10月17日金曜日

椋鳥の出勤

作詞 門倉 訣  作曲 関 忠亮   の『桑畑』という名曲がある。          
    桑畑の しげる葉は
  亡き母の 背におわれ 苗植えた 昔から
  とぶ鳥さえ なじんでたが
2 桑畑は 今荒れて
  爆音は ワラ屋根に さける程 たたきつけ
  桑畑は 吹きさらし
    桑畑は 握りこぶし
  振り上げて ならび起ち 畑守る この私と
  芽ぐむ春を もとめうたう
    春になったら 枝を刈り
  かおる葉を カゴにつもう むく鳥よ 高く舞い
  このよろこび 告げてくれ

・・この歌を先に知っていたものだから、4番にあるムクドリには何となく好意を持っていた。
 ところがこの鳥は秋になると大集団をつくり、かえって天敵の少ない都会の駅前広場の街路樹などを塒(ねぐら)にする。
 何十年も前、枚方市内に通勤していたときには駅に近い遊歩道がねぐらになり、糞公害と騒音?で大問題になっていた中を通勤した。

 先日の早朝、わが家の周辺が突然騒がしくなった。「ムクドリだ」と思ってベランダに出ると、わが家周辺の電線に、千羽を超える大集団が朝の「出勤」の一時休憩に留まっていた。
 駅周辺の街路樹を飛び立ち、田畑へでも向かうのだろうが、千羽を超える集団はもう可愛げも何もない。
 愛鳥家である私だが、布団叩きでバン!と鳴らした。
 相手さんは「何を!爺さん一人が!」と近くの電線に引っ越した。ご近所には申し訳ないことをした。

2025年10月16日木曜日

奈良の鹿と外国人

    10月9日の『総裁のモラル』という記事で、高市自民党総裁が一部の外国人蔑視のフェイクニュース(虚偽報道)におもねるように「外国人が奈良の鹿を蹴ったりしている」と述べたことを批判し、「近日中に奈良公園に行く用があるのでじっくり観察してみたい」と書いたが、先日、特別監察官のような眼で、奈良公園のメーンストリートに行ってきた。
 もちろん、限られた時間の限られた場所の見聞でしかないが、「外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと傷めつけようとする人がいる」というような事実は見当たらなかった。
 もし仮に、何らかのトラブルがあったとしても、高市氏のように特殊個別的な事象を針小棒大に語るのは、明らかにフェイクニュースである。排外主義である。
 戦前のアジア侵略戦争を支えた精神が、日本人自画自賛、アジア人蔑視の排外主義であったことを思えば、高市氏の「演説」は極めて悪質である。
 上の写真は幹線道路の中央分離帯で草を食む風景。
 下の写真は何ということはないが近鉄ラッピング電車の「つり革」。長閑という言葉が一番似合う。
    今はスマホの翻訳機能も長足の進歩を果たしているから、
大仏殿の「柱くぐり」のところで「せっかくだからチャレンジしたら」と大いに勧めて、多くの外国人と楽しく交流できた。奈良公園の特徴を一言でいえば交流・友情だと思う。
 情緒的ではあるが、奈良は「シルクロードの終着駅」を標榜している。
 そのココロは国際交流である。どうかフェイクニュースに踊らされないように! 奈良公園に来てください。
 10月25日~11月10日には正倉院展もある。

2025年10月15日水曜日

バーゲンセール

    近くのショッピングモールでは時々バーゲンセールと銘打った催しがあるが、昔の「バーゲン」のイメージと何かが違う。ただ理由をつけての売り出しセールでしかないみたい。
 昔のイメージの、季節が終わって季節ものの売り尽くし・・というのはほとんどなく、事実、9月の頭頃に夏の下着を探しに行ったら「もう夏物は終わりました」という感じだった。
 その後も、まだ30度を超える日々が続いているのに誰が買うのだろう・・と思うが、まるで木枯らしが似合いそうな秋物で売り場は埋め尽くされている。
 ショッピングモールとなると、大きな図体では小回りが利かないのだろう。
 そんな中珍しく片隅に夏物の帽子が値引きされていたので、典型的な季節終わりのバーゲンだと嬉しくなって鏡を覗いたりして、もう少しで買うところだったが、よくよく考えると、この夏にほとんど被らなかった帽子がいくつもある。
 ボルサリーノの自慢の夏用ハンチングは汗で汚れるのが嫌であまり被らなかったし、結局そのまますぐに洗濯できる比較的廉価であったディッキーズのバケットハットを多用した。典型的な貧乏性プラス安物買い根性である。
 安い買い物を自慢する、ある意味典型的な大阪人気質が抜けきらない。

2025年10月14日火曜日

台風のエネルギー

    台風22号23号が八丈島を襲った。結果論だが自然もまた弱い者いじめをする時代になったのかと思ったりする。能登にしても八丈にしても、同じ地域に自然災害が重なる不条理に心が痛む。

 さて、台風が「発生」するしくみは、海水が暖められて水蒸気になる→水蒸気が上昇しはじめ上昇気流が発生する→ある箇所に集中してきた水蒸気は反時計回りに渦を巻きながら上昇をはじめる→上昇した水蒸気は上空の冷たい空気で水滴になり雲ができる→強い上昇気流が発生するとそこに湿った空気が続々と流れ込み、雲はやがて積乱雲へと成長→台風の卵・・・という。

 そこで今日は、10月5日『地球の不思議』で『天気のからくり』という本を読んだことを書いたが、そこで解ったようで解からない「台風が「発達」するメカニズム」を少し復習しておく。

 🔳 海は春から夏にかけて太陽によって表層部が暖められていく。
 この海洋の表層部に蓄えられた熱エネルギーが台風のエネルギー源。
 だが熱帯や亜熱帯の海に接している大気はもともと暖かいので、熱伝導だけでは海からあまり熱エネルギーをもらえない。
 そこで台風は普通の熱ではなく、水蒸気という形で海から熱エネルギーをもらう。
 しかし、このとき空気は湿るだけで、まだ暖められていない。海上の風が海の熱を水蒸気という形で奪い取る。
 その水蒸気は下層の大気に蓄積され、風によって運ばれる。
 台風(の卵?)は中心に眼を持つ大きな渦で、風は眼のまわりを大きく渦巻きながら、少しずつ眼に近づく。眼をドーナツ状に取り巻く壁雲にその風が到達すると上昇気流となり、運ばれてきた水蒸気が雲となる。このときはじめて海から奪ったエネルギーは熱として放出され空気を暖める。
 暖まった空気はさらに上昇気流を強め、台風は発達して海上の風が強くなり、その強くなった風でますます多くの海水が蒸発して、より多くの水蒸気が眼の壁雲に供給され、さらに台風が発達する。これが繰り返されて台風はどんどん強力になる。
 ただし・・風が強くなると海面とのまさつが急速に大きくなり、逆に台風から風のエネルギーを奪う。この損失が釣り合うとき、台風は発達の上限(最大地上風速で毎秒80~90ⅿ)に達するが、最近、上限はより高い可能性も出てきている 🔳

 八丈島では瞬間最大風速50ⅿ/sとか。「上限」になると生命が危ない。
 地球人は戦争なんかしている場合ではない。

2025年10月13日月曜日

吉野本葛

    秋の七草にデンとおさまっていることに、いつも首をかしげている。葛(くず)のことである。
 空き地の草刈りが済んでもひと月もしないうちに生い茂る。
 最寄りの駅のプラットホームの向こう側は以前は立派なツツジの生垣だったが、もう葛がツツジを覆いつくしてしまった。
 宮崎駿監督のアニメでは人間が何かに敗れた先にはその土地を蛇のようなツタが茂っていくが、あの種の絵を、乾燥したヨーロッパあたりの人はどう思って観ているのだろう。
 どう見ても雑草の雄である。
 この雑草の根から本葛が作られる。京都や金沢の高級和菓子に使われたり漢方薬の材料になる。
 吉野本葛黒川本家の御主人の講演を受講した折には、本葛の料理や、谷崎潤一郎の執筆余聞や、昭和天皇最後の料理のことなどの質問の中で私は、「葛の根を掘るのに縄張りはあるのか」と質問して多くの人を驚かせた。他人の土地で勝手に収穫してもよいものか、もしそうなら葛掘りに挑戦してみたいなどと思ったからだった。しかし実際には挑戦していない。

 さて新聞で知ったことだが、「高校生ビジネスプランコンテスト」で奈良の吉野農業高校の生徒が葛の栽培法を確立して、応募297組の中、優秀賞・地域部門賞を受賞した。
 あの葛である。有害雑草の代表みたいな葛を栽培しようと考えたのは驚いた。
 既成概念しか思い浮かばない凡人では面白くない。この農高生に拍手を送る。そこで一首。

   雑草の王者葛の根栽培す農高生の挑戦実る

2025年10月12日日曜日

銀木犀

    大阪市内よりは少し遅れて、わが家と周辺には秋の香りが漂い始めた。
 写真は銀木犀。金木犀に負けじとけっこう芳香を放っている。
 「うん、芳香剤?」などと野暮な質問はなし。

リンゴの唄

    10日の朝ドラ再放送『チョッちゃんが行くわよ』では黒柳徹子さんの父親がシベリア抑留から引き揚げて帰国して、知り合いみんなが『リンゴの唄』の下で楽しく歓迎のお祝いをしていたが、どうしてか、すぐに私は以前に読んだ『なかにし礼』さんの自伝を思い浮かべた。

 リンゴの歌は一般に、戦争が終わって日本が新しい希望の時代に向かう底抜けに明るい曲調と評されていたりするが、満州で父を亡くし、生きるか死ぬかの旅の末の引き上げ船の中で、船員が歌うこの歌を聴いた当時8歳だったなかにし礼さんは、幼いながらに、私たちがまだ着の身着のままで苦しんでいる最中だというのに、なぜ平気でこんな明るい歌が歌えるのだろうと悲しくなり、「リンゴの唄」を歌いながら泣いたという。
 そのときの私の読後感だが、「戦後ニッポンという国は、結局、この種の棄民、戦死、戦争関連死、そして侵略先の死者、犠牲者に“見て見ぬふり”をして、明るくリンゴの唄を歌い続けてきたのだな」ともやもやとした気分を感じた。
 かつて、自民党の政治家だって、戦争を知っている世代は戦争の現実についてその記憶と反省があったようだが、先だっての選挙で目立ったヘイトスピーチに同調する現代の人々は、さっそく、スパイ防止法だ、いよいよ憲法改正だと声をあげている。
 朝ドラから連想して、リンゴの唄を「残酷な歌だった」と記したなかにし礼さんの気分などを振り返るべき時が来ていると感じた次第。

2025年10月11日土曜日

詩人の国

    大手新聞はほとんど週に1回は、読者が投稿した短歌や俳句つまりポエムに、ほゞ1ページを使っている。
 こんな国は世界中に外にないと読んだことがある。日本は詩人の国らしい。
 朝日新聞の場合は日曜日に「朝日歌壇・朝日俳壇」というのがある。
 さらに「朝日川柳」というのは1ページではないが、その代わり毎日掲載されている。
 素人だがここのは主には時事川柳という性格が強い。
 そこで自分なりに「内外の政治の変化が速すぎるので時事川柳が追いつかない」という趣旨の川柳を某新聞に投稿したところ、ガザでは一時停戦が合意され、国内では自公連立が崩壊し、文字どおり追いつかないので、俄か川柳子としては大いに弱っている。 

 さて、近年の選挙ではSNSが大きな影響力を示している。
 品のない切り抜き動画などではあるが、別の角度から見るとそれもまた言葉のバトルと言えよう。だから「メッセージの伝え方」は馬鹿にできない現代人のテーマである。
 そんな漠とした問題意識があったので数日前に書店にあった俵万智著『生きる言葉』を購入した。解らないところもあったが頷くところも少なくなかった。
 読書感想文を書く気もないが、*殺人をかくも丁寧に裁きつつ戦争をする国家とは何* というような短歌に出逢うと、ハッと目が開く。

2025年10月10日金曜日

有害生物

    ニュース報道というものも不思議なもので、近頃は「生きた人間がクマに食われた」という凄惨な現場が想像されるからだろうか、比較的大きく報道されている。人家や商店に現われた熊はテレビニュース上「絵になる」という側面もあるだろう。それは、
警鐘を乱打する意味で無意味なニュースではない。
 最新の報道では、2025年の熊による死者数は7人を突破し、これは過去最高の2023年の6人をすでに超えたという。

 そこで本題だが、野生生物による被害でいうともう片方に蜂(主にスズメバチ)がいる。
 検索してみると2023年の蜂刺されによる死者数は21人で、過去には1984年に73人というから、客観的には熊以上に恐ろしい。
 わが家から駅や買い物に行く、さらには散歩のメーンストリートに写真のようなコーンバーが設置された。詳細はわからない。
 私は何回も蜂に刺され、近年は症状が重くなっているようだから、アナフィラキシーショックに気をつけなければならないが、スズメバチの「蜂の子」を捕ってみたい衝動を覚えている。

2025年10月9日木曜日

総裁のモラル

    高市自民党総裁は、総裁選の922日の演説会で「奈良のシカを足で蹴り上げるとんでもない人がいます。殴って怖がらせる人がいます。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと傷めつけようとする人がいるとすれば、何かが行き過ぎている」などと述べた。
 これに対して24日の日本記者クラブの共同会見で、記者に、外国人がシカを蹴ったことの「根拠はあったんですか。確かめたんですか」と質問されると、高市氏は、「こういったもの(奈良公園のシカの被害など)が流布されているということによる、私たちの不安感、そして怒り、というものがある。これは確かだ」などと答え、根拠は示せなかった。
 このように、根拠もない典型的な排外主義の主張を公然と述べたわけで、モラルの低さでいえば、鹿を蹴り上げる(事実かどうかは知らないが)以上にそのモラルは低劣だと私は思う。
 私は、月に数回、最低1回は奈良公園のメーンストリートあたりを散策している。月に数回だから100%「監視」しているわけではないが、その散策は四半世紀を超えている。
 日本テレビ(読売テレビ)の『一撃解明バラエティ ひと目でわかる』で私の鹿の写真(ディアライン)が放映されたこともある。
 その限りで実際に体験した感想を言うと、「外国人が鹿を虐待している」という実感はない。
 あえて言えば鹿を追い回したりしているのは修学旅行か遠足のいたずらっ子だと思う。
 鹿を叩くということでいえば、鹿は人間の弁当を食べに来たり、カバンの中の鹿にとって有害なビニール袋を食べに来るから、そんなときには私は人に注意するとともに、鹿に「駄目!」と教えるために口の周りを叩く。外形的には「鹿を叩いている爺さんがいる」ことになるかもしれないが。
 残念ながら鹿に「駄目!」と言っても通じない時がある。そうか、今や彼らの標準語は中国語か! 不好(ブハオ)不好(ブハオ)(ここはジョークです)。
 結論的には「多くの外国人が鹿を虐待している」という事実は認識していない。
 例外的なことはもしかしたらあるかもしれないが、そうだとしても、それを公式な席で針小棒大に語る姿勢は怖い。トランプと重なる。
 近日中に奈良公園に行く用があるのでじっくり観察してみたい。

2025年10月8日水曜日

黄色い彼岸花

    彼岸花の園芸品種がリコリスで、わが家では「黄色い彼岸花」と呼んでいる。今年は開花が少し遅れていたが、赤い曼殊沙華と揃っていま咲いている。
 白い花もあったはずだが、花も葉もない季節に球根を掘り出して捨ててしまったようだ。

 連想ゲーム的に話すと、よく似た花にノカンゾウやヤブカンゾウがある。昔は空き地によく咲いていた。
 山登りをするとユウスゲやニッコウキスゲのお花畑に出くわす。こちらは地理というか高度が変わっただけで「高山植物」の仲間に入って愛でられる。

ラジオのBGM

    話せば大昔のことに遡るが、ラジオでFM放送局ができたころから、AM局との大きな違いの一つに「ニュースのときにBGMが入る」というのがあったように思う。けっこうアップテンポの音楽を流しながらニュースが読み上げられていた。
 それが昨今では、ごく普通にAM局でも、さらにはテレビでもBGMがついてくることが少なくなくなった。
 そして私は、昔も今も、その種のBGMが嫌いである。

 仕事の現職の頃、ラジオCM(広報)を実施したことがあり、スタジオに出かけてCMテープのBGMの選曲をしたことがあるが、大層な設備の下で、「いや、もう少しこんな風に・・」というとすぐに別の曲を選んで作ってくれるのに驚いたことがある。
 そしてそのときも、私が最後に下した結論は、「BGM抜きで女性アナの一人語りで」だった。
 右脳人間と左脳人間の違いかもしれないし単なる嗜好の違いかもしれないが、私はニュース番組や果ては普通の会話の場面にまでBGMが入るのには不快感があるのである。
 これは個人の感想だ。早い話が時代に取り残された老人の戯言かもしれない。ご同輩の皆さん、如何。

2025年10月7日火曜日

月見団子

    「日本語は難しい」という文脈でよく出される例は「数の数え方が無数にある」ということで、その中にもさらに例外があって「ウサギは一匹二匹でなく一羽二羽」というのがよく出される。 
 その「ウサギの一羽二羽」の根拠については諸説があって、バカバカしいが面白いのには「鵜鷺だから鳥なんだと主張した」というのもある。
 通説では、主には哺乳類の肉食が避けられていた近世以前に「これはウサギ肉でなく鳥肉だ」という嘘を信じたふりをして食べていたときの風習」というのがあり説得力がある。
 言霊の思想なら、それをひっくり返して「一羽二羽と数えるから鳥だ」という説も成り立つ。

 さて、10月6日にあった仲秋の名月の月見団子のことである。
 関西の多くの月見団子は細長いダンゴに前後を残して餡を巻いたもので、この不思議な形にも諸説がある。
 私の実母などは「あれは”月に叢雲”を表しているんや」と言っていたが、通説では元もと名月に里芋(衣かつぎ)をお供えしていたのを模したものと言われている。
 上等な菓子で下等?な里芋を模する必要があるのか?という疑問がないわけでもないが、これも「ダンゴみたいな奢侈(贅沢)を食べるものではありません。これは里芋です」と言えば奢侈禁止を破る確信犯でなくなったのではないだろうかと想像する。
 子どもの絵本などでは三宝に丸いダンゴがピラミッドになっているから、関西の大人は意識的に関西風月見団子をお供えしないと、次代、次次代に地域の伝統は継承できなくならないだろうか。

2025年10月6日月曜日

空間能力

    だいぶ以前に『話を聞かない男、地図が読めない女』というベストセラーがあったが、空間能力に自信のある私は、「ふむふむ地図はわかるわかる」と少し得意だった。
 ところが、娘の声出しナビで、京奈道路→新名神→第二京阪→久御山ジャンクソンから京滋バイパスに行ったときには、東西南北が頭の中でぐちゃくちゃになった。ただそれは、娘まかせでハンドルを切っていたからだろうと自分を納得させたが・・・
 だが先日、大阪市内の何度も歩いた場所で、いつもどおり地上出口から南東に目的地目指して歩いたが思いどおりの風景に出逢えず、行ったり来たり道に迷ってしまった。手にはプリントアウトしたマップを持ってのことである。最後に人に尋ねると、私は北西に歩いていた。天気が悪かったので太陽の方向もわからなかったこともある。それにしても、空間認知能力・・認知症に黄信号が点ったかとショックである。
 妻に言わせれば「思い込みが激しいからだ」と断言。
 老いては子に従えとの至言もある。無駄な抵抗は止めよ!かな。

2025年10月5日日曜日

地球の不思議

    けっこうな大書で面白かったが読み終えるまでに日にちを要した。視力が悪くなったせいもある。
 
 面白いというのは、いわゆる気象の解説書や教科書ではなく、気象学者の興味に沿って書かれていたから。
 例えば、直径8㎝の丸いおにぎりを作ってそれを地球とすると大気の厚さは0.1㎜でラップを10枚重ねた厚さ。膜のようなもの。その中で台風が起こったり、真夏日になったり、あげくは人が死んだりしているが、反対にいうと、その膜の中で多くの生物は奇跡的に生きることができている。
 毎年台風シーズンになると思うのは、「世界中で戦争なんかやめて台風を消し去ることはできないのか」ということだが、それは遺伝子操作と同様の社会問題、言い換えれば神の領域に触れることかも・・・。
 実際、「台風の進路を北の方の国に向けられないか」などという戯言はすぐに思いつくが、そうなると気象戦争にもなる。
 その種の減災はどこまで許されるのだろうか。
 そんなことをあれこれ考えながら読むと、ページが進まず、爺さんは居眠りを繰り返すのであった。不眠症の方にはお勧めする。
 

2025年10月4日土曜日

赤旗サンデー

 ショート動画3本をご紹介。
 池澤夏樹氏、やくみつる氏、望月衣塑子氏の短いメッセージ。
 上手く再生できるかどうか???
 下記の一つのアドレスを反転させて「・・・に移動」してください。

https://www.youtube.com/shorts/td_1p7J9KgQ

https://www.youtube.com/shorts/r90azbs8jJw

https://www.youtube.com/shorts/SPgydAGYGZg




























2025年10月3日金曜日

秋の行楽の第1弾

    朝の空気が「秋だ!」と叫んだので、春ごろからズーっと籠っていた家を出て秋の行楽気分を味わいに外出した。
 長い間ドライブらしいこともしていなかったので、運転感覚や高速道路感覚を思い出そうと、滋賀県にある叶匠寿庵寿長生の郷を訪れた。
 ついでに、瀬田の唐橋近くの御霊神社に寄り、「壬申の乱 勢多橋の戦跡碑」※を妻たちに説明した。石山寺は山門前で頭を下げてきた。
 寿長生の郷は自然のままの野草等が美しく、そういう季節を表現した和菓子もけっこうでした。
 見事な青柿を模した生菓子?がリアルすぎたので店員さんにそれを誉めたら、「それはホンモノの柿を飾っているのです」と答えられた。
 秋の行楽の第1弾。よかった。

   ※ 1353年前の672年(天武元年)722日、近江大津宮の大友皇子と後の天武天皇が対決した古代史最大の内乱、壬申の乱で、両軍が雌雄を決した『勢多橋の戦い』があった。結果は天武軍の勝利に終わり、大友皇子は翌日自害した。
 ところが、日本史の中でも特筆される歴史的な土地(橋)であるにもかかわらず、そのことを偲ぶ記念碑等が全くなく、歴史を学ぶ人々の間では静かな不満があった。
   そういう声に応えて、歴史学者小笠原好彦先生に学ぶ近江や奈良の有志があい寄り、『壬申の乱 勢多橋の戦い跡』の石碑を建てようということで、勢多橋のふもと近くの御霊神社境内に建立することとなり、石碑の裏側には建立者の氏名の内の一人として私の名前も刻まれた。石碑であるから、よほどのことがない限り何百年以上は残ることだろう。
 願わくは、孫や曾孫やその孫が、こんな祖父ちゃんが居たということで、何らかの勉学の励みになってくれたらうれしい。(昨年7月23日のブログ記事から)

2025年10月2日木曜日

選択的夫婦別姓

    選択的夫婦別姓問題について、そもそも夫婦が別姓を”選択”した場合には別姓を認めるというものであるから、”選択しない”場合は当然同姓でもよいのに、他人が別姓でいきたいというのをどうして駄目だ!と宗教右派などの反対論者はいうのだろう。
 「子どもがかわいそう」という一見優しい理屈も聞くが、現に離婚に伴ういろんなパターンもあるし、圧倒的な諸外国でかわいそうな事件が頻発しているわけでもない。
 「別姓でいきたい」という人を駄目だ!というのはおかしくないか。
 
 世界平和統一家庭連合(旧統一協会)という団体も強力に反対を主張し、金品や選挙運動の大きさから多数の自民党員も選択的夫婦別姓反対という政策を推進することを「誓約」している。
 ただ、旧統一協会の本部は韓国にあり、韓国の強固な夫婦別姓制度を容認し、現に旧統一協会は文鮮明氏によって創設され、現総裁は文鮮明氏の妻である韓鶴子氏であるから、そのロジックは理性ではついていけない。

 虎に翼の朝ドラで有名になったが、戦前の民法では結婚した女性は「無能力者」、戸主の下僕であった。
 だから家族は、親父の命令一下、従順に従うという「家制度」が目標なのだろう。
 それならそれと主張すればよいのに、家族の絆だとか、家族の一体感などというわけのわからない修飾の言葉でごまかしている。
 別姓なら壊れるという絆などナント薄っぺらいものだろう。

 関学の冨田教授の指摘では、いろんな修飾の言葉を剥げば、詰まるところ「ここで引けば、女性天皇、女系天皇が生まれてしまう」という一点に尽きるだろうとのことで、大いに説得力がある。
 男系男子と定めている皇室典範は憲法の精神に沿って改正されるべきであるし、平等な男女によって構成されている日本国の象徴が女性であっても何の不思議もない。あえて屁理屈を足せば、日本国民の過半数は女性であるから、象徴が女性というのは何の何の不思議もない。
 不思議なのは、宗教右派の主張である。

2025年10月1日水曜日

かんてき

    日本では子どもに「人に迷惑かけたらダメ」と教えるが、 インドでは、「あなただって人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるというのは有名な話だ。
 ほんとうかどうかは知らないが、きっとほんとうのことなのだろう。私はそういう感覚が好きである。
 昔、毎日放送テレビの夕方のニュース番組の中に「憤懣本舗」というのがあった。
 確かに「自転車が歩道をスピードを上げて走っている」などという投書を追いかけるのは悪いことではないが、世の中の巨悪には一切触れず、隣の小悪をつるし上げる雰囲気を私は好きでなかった。
 それが近頃のラジオを聞いていると、例えば「マナーの悪い年寄りがいた」的な投書を募るコーナーがけっこうあったり、その種の証拠動画をネットで拡散して罵倒するようなSNSも少なくない。
 事案は確かによくないことでも、「そこまで言うか」というのが私の感想だ。

 PRESIDENT Onlineに面白い記事があった。ごく一部だけ紹介すとこうだ。
 【勤勉な日本人が、なぜ貧しくなったのか。労働生産性はG7最下位、ジェンダー平等も最低水準にとどまる。フランスで暮らす作家・林巧さんは「毎日利用しているパリの地下鉄やバスで目にする『車内風景』に、その答えのヒントがある」という。現地からリポートする――
 さて、パリのメトロに毎日乗っていて、車内の空気に馴染んで思うのは、パリには自由がある、あるいは禁止と強制がない、ということだ。みんな自分の好きなスタイルで乗り込み、それぞれ好きなことをやっている。乗り合わせた他人がどんな格好をしていようが、何をしていようが気にしない】
 ほんとうに日本はつまらない国になりつつある。学校が悪いのか、企業が悪いのか、そもそもは中央、地方の政治が悪いのか。

 先日、”かんてき”で秋刀魚を焼いた。
 これも昨今なら香害かもしれないが、孫の世代に伝承しておくのも祖父母の責任ではないだろうか。
 やっぱり近所迷惑だろうか。どう思う?