梅といえば菅原道真だが、菅原氏(うじ)は元々は土師氏で、古墳や埴輪を含む葬送を職掌していたところ、 巨大古墳も埴輪も全く斜陽産業になったので、桓武天皇の天応元年(781)古人が改姓を申し出て菅原古人となり、学問を職掌することとなった。その曾孫が菅原道真である。
その菅原という名は大和国菅原邑に因み、わが孫の凜ちゃんはその近くで生まれ、お宮参りは菅原天満宮で行った。
今春わが退職者会は大阪は福島区の『のだふじ巡り』を計画しているが、その地は、古く菅原道真が大宰府へ左遷のため瀬戸内海を下る際、風待ちのために淀川河口のその地に滞在したところ、土地の人達が失意の道真一行を丁重にもてなした。
その折、道真が土地の人に当地の地名を尋ねたところ、『鹿鬼島(がきじま)』とも『葭原島(あしはらじま』とも呼んでいると答えがあったため、鹿鬼は餓鬼、葭は悪しに通じるので、良くない名前なので『福島』と改めるよう勧めたのが現在の福島(大阪市福島区)の地名の由来となっている。
この話、どこかで読んだことがあるようなないような、何れにしても今回の計画段階で改めて再認識した。
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