2023年10月31日火曜日

長谷川テル顕彰碑

   10月30日付け朝日新聞の奈良版のページに大きなスペースを割いて「女性反戦家(長谷川テル)の顕彰碑」のことが載っていた。

 今年の春に建立されたその場所は奈良の般若寺だった。
 えええー。般若寺は24日の『花の寺』で書いたお寺だったが、私は全くスルーしていた。それがあまりに悔しいのでもう一度行き直してきた。
 スルーしてしまったのも当然で、今の入口はお寺の南の駐車場側になっているが、その碑は今は事実上通行止めになっている西側の旧入口前にあった。(お寺に尋ねないと判らない・・)

   さて長谷川テルはエスペランチストだった。
 その評価は私には判らないが、イマジンではないけれど各国・各民族が「俺の言葉だ」というのを乗り越えて、全く新しい世界共通語で話し合えば平和になるという思想でもあったと思う。

 長谷川テルは、治安維持法違反で検挙され、奈良女子大を追われ、エスペラント仲間であった中国人留学生と結婚して中国にわたり、日中戦争下で大日本帝国軍兵士に反戦を訴えたのだった。

 その続きは各自が本などで深めるとして、この日も般若寺は多くの拝観客でにぎわっていた。



2023年10月30日月曜日

10月尽

   ハロウィンで渋谷が規制されているというが、そんなニュースを流すから人が集まるということもありはしないか。皆が無視したらわざわざ繰り出すのも阿保らしいだろうに。

   タイガースのアレのときは、道頓堀も飛び込んでも危なくないよう水位をあげていたらしいが、水位を下げて飛び込めば即ヘドロなら普通は跳び込まないだろうとは、その種の騒ぎに縁遠くなった老人の皮肉なつぶやき。
 
 仏教徒がハロウィンもないものだが、根っこが多神教だから一種のお祭り、フェスだろう。
 かく言う私も孫の凜ちゃんのコスプレに眼を細めている。
 我ながら無節操である。

プラシーボ効果

   以前に書いた退職者会の秋の遠足の際、家を出発してから電車の中もズーッと帽子(バケットハット)に例の「オニヤンマ君」を着けていったが、みんなあまりそのシャレを笑ってくれなかった。
 誰もが「長谷やんのことだから皆のためにも害虫対策に万全を期しているんだ」と、いたって真面目に解釈したようだ。これは私の不徳の致すところだ。

 それはそうとして、先日ショッピングモールの上りエスカレーターで後ろのおじさん(おじいさん?)が帽子にそれを着けていた。(そのとき私は着けていなかった)
 ようやくシャレのわかるご同輩に遭遇したので、「オニヤンマ君ですね」「効果のほどはどうですか」と、全く見ず知らずの人だが話しかけた。

 きっと「ハハハさっぱりですわ」というシャレの続きが返ってくるかと思ったところ、その人は真面目顔で「私、虫に弱いもので」「役立ってます」と返事されたので、「それはよろしいなあ」と答えて別れた。

 以前に書いたが、私の場合、わが家の庭では全く効果はなかった。
 蚊の奴は”同じ虫仲間だ”と喜んでいるようにさえ見えた。
 だから、遠足の際もそれは全くのシャレのつもりだった。

 で、ふと考えた。あのおじさんの周囲の蚊の環境はどういうものなのだろう。さすがにそれ以上の会話はしなかった。
 そして思うに、おじさんの真面目な返答の状況からしてそれは決してジョークでなく、ほんとうにそう感じておられるのだろう。

 プラシーボ効果(プラセボ効果:偽薬効果)を再認識した。
 信じる者は救われる。前向きの自己暗示は悪いことではない。
 人生毎日、プラシーボ効果で楽に生きるのも悪くはない。時には怒りながら。

2023年10月29日日曜日

バッグの輪っか

   どうでもよいことだけれど、自分の使っているショルダーバッグに疑問が湧いた。バッグの表面に付いている(写真の)この輪っかはいったい何なのだろうと。
 
 一番手っ取り早いネットで探してみても解らない。

 それならと、ショッピングモールのそれらしい店に飛び込んで、飾られているメンズのバッグの同類のバッグを指差して、「これは何のためにあるのですか」「どう使うものですか」と尋ねて回った。

 どの店も、先ずは「さあ?」と首を傾げ、ある店の方は「私も知りたかったのです」というありさまだった。

 で、無駄話風に会話をすると、「キーなどをひっかけておくのではないでしょうか」「それはいささか物騒では」「それはそうですね」となったり。
 「アクセサリーをつけるのでは」「それにしてはどれも頑丈だし」「そのために作ったようには思えないし」とか・・・。
 そうするうちに、一人の方が、「私も知らないのですが、私は定期入れのチェーンをひっかけていて、定期入れ自体は通常はバッグのポケットの中に入れています」というので、解らないけどそれが正解のような気になった。スマホでも同じことになる。自宅のキーでも言える。

 ただ私の場合は、スマホはバッグ本体から出し入れするのに不便は感じていないし、ピタパは一番裏側のポケットに入れたままで、バッグごとタッチして全く問題がないから、どこかの店員のように「さあ、輪っか自体がアクセサリーかも」ぐらいでもOK。

 この輪っか、メンズの多くのバッグやリュックサックにもついているが、実際に有効活用しているような人にはお目にかからない。
 この輪っかの名前や用途をご存知のお方は教えていただきたい。

2023年10月28日土曜日

PASD

   過去を懐かしんでばかりで今の不満を語るのは老人の極みだと思うが9月は好かった。
 タイガースは強くは見えないが負けずにアレに向かったし、大相撲の秋場所もあった。9月は好かった。・・と、10月も末になって語るのも間が抜けているが・・。 

   そんな9月が終わり、10月になって私は神経を病んだ。PTSD ポスト トラウマチック ストレス ディスオーダー 心的外傷後ストレス障害 ではなく、PASD 「ポスト あまちゃん」 の喪失感(アマロス)に襲われた。

 NHK BSP で3回目の再放送が半年間続いていたのが9月末に終了した。2020年の一挙放送を数えると4回目。
 なにしろ2013年の作品とはとても思えない。テーマも共演陣の演技も新鮮でハイレベルだった。NHK朝ドラ史上特筆すべき作品だった。

 それに・・、2013年当時視聴していたはずだが大半を忘れていたという当方の事情もあるが、私自身10年の間にいろんな出会いも別れもあった。PASD、なんとなくお判りいただけるだろうか。

 内容を語る気はないが宮藤官九郎はすごいと思う。もう一度言うが、全く古臭くなかった。再々再放送があれば是非ともお見逃しなく。

 全くの蛇足だが、2021年の東日本大震災にほゞ正面から向き合ったのにも驚く。出演者(ピエール瀧)のその後の不祥事で作品再放送が取り止められなかったのもよい。主役の能年玲奈がその後芸能事務所の力で干された件も昨今の旧ジャニーズ事務所の「圧力」問題とダブって見えるし、このドラマ自体がそういう問題を含んでいたこともすごいと思う。

2023年10月27日金曜日

イナヅマは秋の季語

   25日、谷村新司(冬の稲妻)を悼むかのように雷雨が来た。

 さて、文学(俳句)の話だが、雷は当然のように夏の季語だが、稲妻は秋の季語である。
 そのことを大学の研究室ばりに「プラズマ照射には発芽効果あり」的に語るのでは面白くもなにもない。

 ここはやはり古代の知恵(民俗学)に耳を傾けると、『稲は秋に雷と交わって実を孕む』のであるから、漢字でいえば稲に夫と書いてイナヅマがより正確でないか。

 そんなもので、まさかと思いながら26日の朝にプランターを覗いてみた。3~4日前にウスイエンドウの種を蒔いたものである。
 25日には3つ4つは発芽していたが、雷雨明けの26日朝には多数の発芽が見られた。ちょっとできすぎの話である。写真では判りづらいが小さな緑色がそれ。

 たまたまの一致では面白くない。やはり雷光によって受胎したのだ。(種(豆)になる前に受胎していて種ができていたという正論は置いておいて)

 やはりこれからは稲夫と書きたいが、実際の人名みたいで躊躇もある。

2023年10月26日木曜日

尉鶲


   白髪の老人(尉:じょう
)?が紋付の正装で冬のあいさつに見えられた。 
 火ー火ー火ー 拍子木カチカチカチ で火焚き 尉火焚き。
 鶲(ヒタキ)というのはこのジョウビタキの仲間であるからヒタキ。
 この間まで暑い暑いと言っていたが、確実に冬が近づいてきた。

堺県の奈良

   昨日の記事で奈良県が堺県に合併(後に大阪府に)され奈良・東大寺周辺は寂れたと書いたが、少し補筆しておく。

 明治9年に県庁を失った奈良の今の奈良市周辺は廃れ、商家は堺県の中心地へ移転していった。
 奇しくも私は未だその名残のある堺市の中心地で育ったので、大阪南方の拠点的商店街だった山之口商店街の、有名な奈良鹿呉服店などを知っている。確か奈良から移転してきたはずである。
 戦後すぐ頃の山之口商店街の地図メモでも、奈良忠帽子店、奈良屋呉服店、三笠果物店、楢呉服店などの名が見えるから、当時の移転組ではなかろうか。山之口商店街には奈良農園という大きな園芸店もあり、そこの奈良君は同級生でもあったが、奈良移転組かどうかは聞くことがないままに来た。これらは裏側(堺側)から見た奈良の衰退を表している。

 奈良県発行の『青山四方にめぐれる国』や奈良市のホームページにもあるのだが、当時の様子は次のとおりである。
 🔳 県庁を失った奈良の町は活気をなくしてさびれ始めた。県庁への用事のある人を泊めた宿も客が少なくなって営業を続けることが困難になったので、奈良の町に見切りをつけて堺に移ることが多かったなどと「郵便報知新聞」は伝えている。
 町家の取り壊しも毎日のように行われたという。奈良今小路町の旅館對山楼の主人は、明治11年ころのようすを、「雲井坂から手貝通りを見渡したところ、火影はただわが家の旅館の門灯だけで、そのほかはまっ暗だった」と語り、人影が消え、雑草が生い茂る京街道のさびれようを嘆いたと伝えられている。🔳

 なお、明治20年に奈良県は再設置されたからその後は復興していったに違いないのだが、昨日書いた正岡子規の旅行は明治28年の10月。
 柿を喰いながら東大寺の鐘の音を聞いたはずの子規がどうして法隆寺にしたのかの記録は残されていない。

2023年10月25日水曜日

雹が降った

 天気予報では「急に天気が崩れることもある」と言っていたが、ほとんど晴天が続いていた。
 なので、先日ウスイエンドウの種を蒔いたので、雨は空振りかとたっぷり庭の水まきを終えた。
 とすると、一点俄かにかき曇り、雷雨となった上に当地ではほんとうに珍しい雹まで降ってきた。
 日本の天気予報の精度は確実に上がっていると深く脱帽。



豊作?

   ニュースでは山のドングリが不作のため熊が里に降りてきているのだというが、わが家の柿はまあ豊作と言える。

 一昨年に思いっきり強剪定を行なったので、前年に伸びた枝に実をつける柿は去年は不作だったが、そのまま放ったらかしにした今年はたくさん実をつけた。

 自然摘果に任せたので数は多いが形は小さい。それでもたわわに実った光景は見ていて楽しい。

 わが家の柿はどちらかというと晩熟なのでゆっくり熟すのを待っているが、よし、赤くなってきたと収穫すると実は鳥に大きく喰われていたりする。
 主にはヒヨドリだが、メジロも多い。メジロは何となくかわいいからそのまま眺めているが、喰われた柿を見ると複雑な感情。

 柿の収穫は高いところは木によじ登るが、中以下は私が高枝挟で伐って妻がたも網で受ける。たも網を購入したときレジの人に「どちらへ行かれるのですか」と釣り場を尋ねられて少し恥ずかしかった。

 柿といえば、正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」があまりに有名だが、子規の日記では、昨日の般若寺から南へ行った東大寺転害門近くの奈良屈指の旅館對山楼(たいざんろう)に投宿しサービスの柿が美味かったとあるから、リアルに着想通りであれば「柿くへば鐘が鳴るなり東大寺」であっただろう。

 ただ想像すると、奈良県は明治9年に堺県そして大阪府に吸収され、苦難の奈良県再設置運動の結果ようやく明治20年に再設置されたが、その間、メーンストリートであった京街道の衰退は著しかったという。今でいうシャッター通り。
 子規の旅行の明治28年10月の東大寺転害門周辺はまだそういう詩情に欠ける街だった。そこで子規はもっと長閑な農村風景の中にたたずむ法隆寺にしたのではないか。・・と想像の翼は広がる。

2023年10月24日火曜日

花の寺

   あまりに気候が好いのでふらふらと般若寺を覗いてきた。

 この寺は京の都から南都に入る入口にある。
 南都の興福寺などは単なる寺院というよりも、僧兵などの兵力も持つ大荘園主というか、後の大名のようなものであったから、都から逃げる者、それを追いかける者がここを通り、その結果度々の戦で数度となく炎に包まれたお寺である。
 それゆえ正規の史料はもちろん、平家物語、太平記、宮本武蔵など歴史文学にも登場している。

 今はかつての七堂伽藍は想像もできない規模になったが、近年は「花の寺」として復興しつつある。私が最初に訪れた40年ほど前の本堂は隙間風どころか壁の隙間から外部が見えていたが今はそれほどのわびしさはない。否、この季節は咲き誇る秋桜を求めて拝観客が絶えない。

 よく鎌倉仏教が庶民の仏教を始めたというような言葉があるが、正確には旧仏教宗派内でも大きな改革の動きがあって、当寺の真言律宗などは北山十八間戸というライ病患者の福祉施設をつくるなど積極的だった。
 その伝統かも知れないが、当寺には「平和の塔」も建立されていて、原爆の火が今も灯され、原水禁平和行進などの中継地にもなっている。
 古い歴史に安住していない仏教寺院として私は敬服している。

 体調がすぐれず外出を控えられている友人たちの快復を祈ってきた。
 それは本尊文殊菩薩の管轄外かもしれないが、「そこはよろしく」と・・
 文殊菩薩のご真言 オン・アラハシャ・ノウ


2023年10月23日月曜日

応援団

   孫の夏ちゃんの小学校で、半日開催だが4年ぶりに運動会らしい運動会が行なわれた。 
 と考えると、やっぱりコロナの3年間は残酷な3年間だったと思う。

 さて、高学年の児童は放送や用具や点数係などなどを行っていたが、夏ちゃんはというと応援団だった。
 少し恥ずかしがりやに見える孫にしては意外だったが、のびのびとパフォーマンスを繰り広げていて祖父ちゃんは感心した。
 小学校というと高学年と低学年では雲泥の差があるが、きっと低学年の児童にとっては、頼もしいリーダーに映ったことだろう。

 祖父である私は堺市内の小学校対抗運動会で当校の応援団をしたから、隔世遺伝かとにんまりした。
 その私の時代は、〽〇〇名物数々あれど数あれど、名物中の名物は・・の三三七拍子的なものだったが、夏ちゃんのそれはというと旗を振り回したりタンバリンを打って飛んだり跳ねたり・・楽しそうに格段に進歩していて驚いた。出藍の誉れ。トンビが鷹。・・と久しぶりの爺バカ日誌。

2023年10月22日日曜日

原発と先入観

   21日付け朝日新聞の『オピニオン&フォーラム』のテーマは『そこにある先入観』で楽しかった。

 ジョン・レノンが「想像してごらん国境などないんだと」と作詞したように、国と国があり、その国のために人を殺したり殺されたりするのが未来永劫の真理のように信じ込むのも先入観だし・・・それはさておき、

 樋口英明さんは福井地裁裁判長として大飯原発3,4号機の運転差し止め判決を下した方。
 その方が、少なくない裁判官も含めて多くの人々が「原発問題は難しくて専門家以外には口が出せない」という先入観を持っていないだろうかという主旨の問題提起をされている。

 その主張を勝手に摘んでみると、・・・そして、そうではなく、「原発訴訟は複雑困難だと頭から決めつけないで、「原発を稼働しても住民の安全は確保されるのか?」と考えればよい。
 そうすると、原発の本質は、①人が管理し続けない限り事故になるということ、②事故が起きたときの被害は想像を絶するということだ。

 裁判では、それぞれの原発敷地ごとに将来到来するであろう最大の地震動が予知予測できるのかが問われた。
 現在の地震学では、将来にわたって基準値振動を超える地震が来ないという予知予測もできないのに、政治家や一部の学者が安全だというから安全だという先入観しか出てこなかった。

 さらにいえば、原発の本質は国防問題で、ロシアはウクライナ侵略直後ザポリージャ原発を攻撃し、ウクライナはここが攻撃されれば過酷事故が起こるとしてここを明け渡した。
 原発が戦争の標的となれば日本が壊滅する。つまり原発は「自国に向いた核兵器」だ。
 敵基地攻撃能力を説く自称保守派が原発の危険性について見て見ぬふりをしているのは理解に苦しむ。
 豊かな国土を守り次の世代に引き継いでいく。そんな本当の保守の精神があれば脱原発には容易に踏み出せる。

 先入観のことといい、非常に論旨明快で私は納得した。
 

2023年10月21日土曜日

拒否権にうんざり

   国連安保理は18日、ガザ地区の戦闘中断決議案を採決したが、アメリカ1国の拒否権発動により否決された。
 私はアメリカの拒否権発動の真意を確かめたくて新聞やネットで決議案の案文(全文)を探したが見つけられなかった。そのため、検索の中で一番解りやすかった毎日新聞のネット記事を次に引用する。

 🔳 今月の議長国・ブラジルが提出した決議案は、民間人に対する「全ての暴力」とハマスによるイスラエルへの「凶悪なテロ行為」を非難。 すべての民間人の即時かつ無条件の解放を求めた。 さらに水や食料、医療品などの支援物資を搬入したり、住民を避難させたりするための「人道回廊」設置への協力を要請し、戦闘の激化と地域への波及を防ぐことの重要性も強調した。 イスラエルの名指しを避けながら、ガザ北部の住民ら110万人に対する退避勧告の「撤回」も求めた。🔳

 採決結果は、日本を含む12か国が賛成、ロシアとイギリスが棄権、アメリカだけが反対で拒否権発動となった。拒否権発動がなかったら採択・成立していた。
 アメリカの国連大使は「イスラエルの自衛権に言及していないことに失望している」と表明したが難癖に思われる。この結果、アメリカはイスラエルの地上侵攻を含む過剰な報復攻撃にお墨付きを与えた。

 私は病院爆撃についても証拠をもって事実を知りたい。ざっくりした印象ではイスラエルだとしたら彼らの技術力からして誤爆などは考えられないから、事実が明らかになれば世界中から非難されるそんな戦術をとるだろうかという疑問を持っている。
 そういうこともあり、一連のハマスの態度には賛成できないが。今はこれ以上の犠牲者が出ないよう世界中から良識ある世論が巻き上がってほしい。 

2023年10月20日金曜日

白タクは危険

   維新の吉村大阪府知事が、無資格の一般人が有料で乗客を乗せる「ライドシェア」を来年秋に導入を目指すと表明した。早い話が「白タク解禁」である。
 2025年4月開幕予定の万博の「交通需要」というのだが、いくら車を増やしても橋が増えなければ着くことができない場所。
 それに、そもそもプレハブパビリオンに行きたいという「需要」はそんなにあるのか。

 ジャニーズ問題でマスメディアの「癒着による報道姿勢」が話題になったが、大阪万博の問題点を「自粛」して「70年の夢をもう一度」みたいなヨイショ記事に担がれているだけではないのか。
 ほんとうにタクシーが足らないのなら、労働条件を向上させれば常用雇用を求める求職者は増えるに決まっている。なぜそれをしないのか。

 現行の個人タクシーとは違う、野放しの白タクは絶対に交通事故を増加させる。
 自動車運転者の労働条件規制が甘かった当時、ほんとうに交通事故が多かった。
 私が住んでいた堺市中心部でいえば、ダンプカーがよくチンチン電車をはね飛ばしていた。

 知事の発想は「建設労働者や運送労働者の労働時間規制の不適用」と言った万博協会と同じもので、何が「いのち輝く未来社会」だ。
 全国的にもオーバーツーリズムが問題になっている今、カジノ万博は中止がよいとAIも言っているらしい。

2023年10月19日木曜日

種子よ目を覚ませ

   目を覚ませと蒔いたる種に秋気満つ 

 木犀の香りが降り注ぐ中、プランターにウスイエンドウの種(豆)を蒔いた。
 これから、ブルブル震える冬が来るというのに、その寒風の下にあえて芽を出すはずの植物の生存戦略よ。歳を重ねたインチキファーマーはただただ脱帽。

 家庭菜園。ほんとうは毎年植える場所を替えて輪作障害を予防すればよいのだが、猫の額のような家庭菜園のためそうもいかず、それでも来春のそこそこの収穫を夢見て種を蒔く。

 「農」の良いところは、このように常に未来を考えて暮らすところだと思う。

 過ぎた今春は真桑瓜(まっか)を一苗だけ植えて放ったらかしにしていたが、ビギナーズラックみたいだが、一苗から20個近いまっかが採れ、非常に美味しく戴いた。
 経験からいうと、それに気をよくして翌年も臨むとだいたいが失敗する。

2023年10月18日水曜日

イマジン

   ガザのニュースを聴きながら、とりとめのない事々を考えた。
 
1 パレスチナ問題を遡れば第一次世界大戦中のイギリスの三枚舌外交に行き着くが、第二次世界大戦の有力な当事者で、ユダヤ人のホローコーストを進めたナチスと組んだ大日本帝国の後裔たちが現状を「よそ事」のように見ていて良いのだろうか。

2 元々普通に人々が住んでいる街にイスラエル人がやってきて銃を突き付けて追い出したのには正当性はないが、そう考えれば、アイヌを村から追い出した明治政府も基本的には知らん顔だ。

3 とはいえ、時の積み重ねは無視できず、パレスチナも北海道も共存の道しかないのではないか。長いスパンで世界史を見れば、他民族による征服、被征服は「当たり前」であったが、また世界史はその種の憎悪を乗り越えてきた歴史でもある。

4 パレスチナの指導者が来日したとき、日本共産党はその種の平和的共存を訴えたが、当時の社会党や部落解放同盟などはそれを「生ぬるい」と非難した。南アのアパルトヘイト反対闘争のときも同じようだった。

5 ウクライナにしてもパレスチナにしても、「時の氏神」が必要だ。アフガンで斃れた中村哲医師は「9条の国であることで助けられたことが多々あった」と語っていたが、日本政府を変えることが世界を救う道でもある。

 想像してごらん  国家なんてないんだと  そんなに難しくはない  そのために殺す理由も  そのために死ぬ理由も  ない

2023年10月17日火曜日

秋の蝉

   今年はカメムシが大発生しているが、セミがカメムシ目というのは大きさの違いから少し意外な感じがする。 

 13日の金曜日は残暑に近い晴天だったからか、わが庭でツクツクボウシが鳴いた。
 オイオイオイ、今ごろ鳴いてもフィアンセは見つかるのかい・・と心配したが、ツクツクボウシは晩夏から初秋といわれるからギリギリセーフだろうか。

 ただ夜には気温も相当低下したからどうなのだろうと思った翌朝14日、写真のようなセミを見つけた。
 図鑑で照合してツクツクボウシだと思うが、普通はセミは道路にあおむけで死んでいるものだが、これは木につかまったまま凍死?したのだろうか。あるいは気温の上昇を待っているだけだろうか。そうであれば可哀相なので静かにそのままにしておいた。

 

2023年10月16日月曜日

うつぼかずら

   「戦前」は靭葛
(うつぼかずら)に閉じ込めよ

 咲くやこの花館に大きな「うつぼかずら」があった。 
 有名な食虫植物で、とっくりの底に落ちた昆虫は出られない。
 これだけ大きいのだから、ハエやハチといわず、大きな害虫も溶かしてしまってほしいものだ。

 世界中では歯車を巻き戻したかのような戦争が起こっている。そして、それを奇禍としてというときれいごとで、「これ幸い」としてこの国(の為政者)は「戦前」の道を歩んでいる。
 大きな「うつぼかずら」を見ていて、この「戦前」というやつをどうか飲み込んで溶かしてほしいと思ったが、己が行動せずに他人任せでは「うつぼかずら」もはた迷惑だろう。
 (咲くやこの花館 吟行)

木犀の香

   木犀は木の肌が犀の皮に似ているからというのだが、古代中国でよくも観察して名付けた人のいたものだ。
 一昨日に、もうそろそろかなと思って蕾を確認していたが、13日にはちらほら咲きながら庭中を芳香で満たしている。
 写真は左側が銀木犀、右側が金木犀。
 下の写真は、まだ蕾の金木犀。蕾でも香っている。
 その香りのために窓を開けて本を読んでいる。

   さて、木犀はかわいそうな被害者だ。
 その芳香ゆえ人間がトイレの芳香剤に採用し、その結果人間は、その香を嗅ぐと先ずは「トイレかな」と推理してしまう。
 ハイキングなどで少し田舎の住居の横手などで嗅ぐとほぼ全員がそう思う。

 ただ実際に満開になると、芳香も過ぎてムッとむせかえるほどになるときもある。

 街路樹の金木犀が真っ盛りのときは、少し花を摘んでポケットに忍ばせると、微かな芳香がいつも漂って気分がいい。

2023年10月15日日曜日

パロボラッチョ

   天高し植物園にメタボの樹
 

 大温室(咲くやこの花館)にアケボノキワタという樹があった。
 スペイン語ではこの類をパロボラッチョといい、訳すとヨッパライノキというらしい。
 幹周り約5m、重さ約3t。

 遠足の交流会では、ドクターから体重を減らせ、禁酒をせよとの厳命を受けているという話も少なからず。
 でも、この樹を見ていると、皆さん己が肥満も可愛く見えてひと時の清涼剤。
 超メタボの樹、憎めないし笑えない。

スベッた吟行

   昨日は「退職者会の遠足で吟行を試みたが大いにスベッた」と書いたが、
 そのスベッた企画というのは次のようなものだった。
 「遊ぶときはホンキで遊ぼう」という主旨が伝わらなかったかな。

1 遠足中にひらめいた感情を575に捻って提出してもらう。
2 提出された俳句は名前を伏して清書をしてT宗匠に送って選句してもらう。
3 入選句は会報正月号に掲載する。
4 それらの趣旨を書いた投句(提出)用紙を開会時に配付する。
5 そこには参考になる季語も書いておく。
6 用紙は遠足途中に書きやすいよう厚紙で裏打ちしておく。
7 遠足中邪魔にならないようにリボンで手提げを作っておく。
8 ボールペンも用意しておく。
 主なところはそういうところで「請われれば一差し舞ってくれないか」と臨んだが大いにスベッた。

 ということでT宗匠による選句は断念して、提出のあった俳句を一人1句正月号に掲載しようと思い直している。
 ついては参加した会員には、今からでも遅くないので、記憶と感情が薄れないうちに送ってもらえれば加えたい。既提出分の修正も可。
 番外編では、参加していない会員からも、この私のブログ(レポート)を読んでチャチャを入れる俳句などが生まれれば歓迎したい。

 ちなみに、昨日のブログで、 バオバブの秋の夜長の物語り と拙句を載せたが、これは私の3句の中から岡目八目の妻が2席に採ってくれたもの。

2023年10月14日土曜日

バオバブの物語

   鶴見緑地の大温室『咲くやこの花館』に退職者会の遠足で訪れた。
 スイレンをはじめ美しい花々や変わった実が順に登場して、少しだけ異次元の感覚。
 そこで、せっかくだからと「皆で吟行のマネゴトをしよう・・」とお願いしたが、これは大きくスベッた。ハハハ、苦笑い。

 拙句のひとつは、 
 バオバブの秋の夜長の物語り で、もちろん 物語はサン・テグジュベリ 『星の王子様』。
 絵本の世界が”生きていて”目の前にあり感動。さすがの大温室。

 さて、大温室には冷室?もある。 
 もう何年も登山には行けていないから、冷室のコマクサは白馬を、クロユリは白山を登った記憶を引き出してくれた。

   熱帯に戻ればそこはちょっとしたトトロの住む世界。
 トトロの雨傘はフィロデンドロン・ギガンテウムというらしい。
 孫への土産話のためにと館のスタッフにシャッターを押してもらった。
 じいちゃんは実はトトロとおともだち は無季俳句にならないか。 

2023年10月13日金曜日

萩の花

   秋の七草のうちの一つ萩の花が東大寺の大仏殿境内にたくさん咲いていた。
 白花もあったが赤い方が萩らしい。
 萩は風情もあって好もしいが、よほど広い庭でないと土地を占拠されてしまう。
 だから、お寺などに見に行くのに限る。
 
 先日ニュースで大阪ミナミの路上の植木鉢を大阪市が工事をするために強制撤去したことが報じられていた。
 植木鉢だけでもひとつ1万円としても合計100万円はかかっているから前のラブホテルが置いたに違いないが「知らない」というので強制撤去したらしい。

 このニュース自体はそんなものだが、その報道の中で「道路の不法占拠だ」的なコメントを繰り返していたのは如何なものか。
 大阪市内などでも玄関わきに植木鉢が置かれている風景はザラにある。ほとんどは通行の邪魔などにはなっていない。
 江戸期に来日した外国人はそういう風景を見て、日本人、日本文化の穏やかさに感心している。
 そういう精神でコメントしてもらいたいものだ。

   さて萩の花に似て非なるものにヌスビトハギがある。
 名前の由来は、果実が泥棒の足跡に似ているからという。牧野富太郎博士によると、古来の泥棒は足音を立てないように、足裏の外側だけを地面に着けて歩いたとのことで、その時の足跡に似ているかららしい。
 また、フジカンゾウの別名がヌスビトノアシであることからの類推という説もある。

   私などは、盗人が気づかないうちにその種子が人に取り付くので、しらを切った盗人に「え~い 神妙に致せ その種が動かぬ証拠じゃ」と桜吹雪の片肌を脱いだような気がしたが・・・ネットに「そういう説もある」という文言を見つけて少し気分を良くした。

 少し近くを通っただけで写真のような失敗をした。

2023年10月12日木曜日

新之助

   新潟は魚沼の遠戚から新米『新之助』をいただいた。
 以前にたまたま聴いていたテレビかラジオでは、近年の猛暑で従来の品種の成長に異変が起こっているという。
 そういう中で各地(の県やJA)で地球温暖化に対応した新品種の改良が進み、同時に味の改良も格段に進んだらしい。
 番組では「結局どの品種がより美味しいか」との質問に専門家は「新しい銘柄が好い」と答え、その中の一つとして魚沼の『新之助』が推薦されていた。

 そんな記憶があったものだからこの頂き物は大歓迎だ。だいたい日常の買い物先のイオンや近商では見なかった。
 ここ近年は専ら北海道産『ゆめぴりか』を購入していたが、通販を使ってでも切り替えるのもアリのような気がする。

 だいたいコシヒカリの故郷新潟で栽培品種の交替が進んでいるというから、これは単なるコマーシャルでなくホンモノだろう。 「魚沼産コシヒカリ」で十分売れるのに「新之助」に替えているらしいから、

 大粒で艶というか色が好い。香りがよくいらぬニオイがない。もちろん味、粘りも合格点だと思う。
 一度どこかで見かけられたら試しにでも一度味わってみてください。
 食の好みはいろいろだから、感想も大歓迎。

2023年10月11日水曜日

黄色い彼岸花

   黄色い彼岸花リコリスがわが庭に咲いている。なかなか美しいと自分に自慢している。
 『らんまん』に出ていたキツネノカミソリもリコリスなのでこれに近い種のようだ。
 確か白い彼岸花もわが庭にあったと思うがいつの間にか消えてしまった。

 赤い彼岸花・曼珠沙華に話は移るが、この花は中国原産で、そもそもが雌雄異株で、日本で咲いているのは皆雌株だという。雄株はない。

 ならば、このように種のできない彼岸花がどのようにして全国に広まって咲いているのかは謎中の謎らしい。

 そこで私の想像だが、今でも四天王寺さんの沿道には有名な赤松種苗店があるように、かつて有名社寺周辺には種苗店があった。
 奈良東大寺の勉強をしていて知ったのだが、全国から社寺詣りのときには自慢の種を持ち寄りまた買って帰っていったという。

 その流れの中に、田圃の畔を護る彼岸花の球根があって皆が「これは便利だ」と土産に買って帰ったのではないだろうか。彼岸花の球根は有毒なため、畔を壊すモグラ、ネズミなどが穴を掘って畔を潰すのを防いだ。
 
 冬の間は旺盛な葉が茂って小さな雑草を防ぎ、田植え時にはなくなり、夏の草刈りのときは全くなくなり、秋の収穫時期に花を咲かせる。米農家にとって理想的な畔の植物でないだろうか。

 お伊勢参りなどを純粋な信仰や旅行・レクリエーションの側面で研究している話は多いが、実は、非常に実利的な種苗の入手、新しい農業技術の導入という現実的な利益も大きかったのではないだろうか。
 そんな想像をしないと、種(たね)もないのに全国に広まった「原因と実際」が判らない。
 ただこの説、根拠があって語っているものではない。
 他の説、ご存知の方は教えていただきたい。
 当たり前のようなことでも解らないことは限りない。

2023年10月10日火曜日

スポーツの日に

   9日は祝日『スポーツの日』。・・いつ『体育の日』が『スポーツの日』になったのか記憶にないが、10月10日を第2月曜に変えたときだろうか。(※実はそれ以降)

 自分の体力のことだが、先日ショッピングモールで前から来た人がトトトと躓いたので妻と顔を見つめてこっそり笑った。
 その人を「年寄りだなあ」と嘲笑したのではなく、「私と全く同じだ」という笑いだった。つまり、私も同じように躓くことがしばしばなのである。

 足があがっていない。気がついたら手を腰にまわして歩いている。カウンターウエイトというらしい。一言でいって「老人」そのものである。

 先日NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』に山田洋次監督と吉永小百合さんが出ていたとき、監督が「吉永さんは体幹がしっかりしているからお婆さん役になりにくい。宮本信子さんはそれができる』と呟いていた。演技の話としてではなく「年寄臭さ」として私は記憶した。体幹がしっかりしてないと老けて見える・・と。

 武道家でもある思想家内田樹氏が著作の中で桂二葉さんのことを書いているのも少し意外だったが、それは次のようなものだった。
 🔳 私は武道家なので、身体の芯がすっと通った身体を見るとなんだかうれしくなる。二葉さんは細いけれども、体幹が強い。・・・
 構造が安定していると逸脱することができる。これは文学でも武道でも芸能でも建築でも理屈は同じである。・・・
 『近日息子』を聴いて、「ここまで走れるって、すごい」と思ったが、それは構造が安定しているからできることなのである。🔳

 反省多々。スポーツもせずパソコンに向かってこんなことをいくら書いていてもだめである。再び反省多々。写真はおもちゃのバットを持ち出してのマネゴト。

2023年10月9日月曜日

牽牛子塚古墳

 
   秋空の下の土曜日、飛鳥の牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)に行ってきた。
 2010年12月の発掘調査時に、これが八角墳であり、そのすぐ前のところにもう一つ古墳(越塚御門古墳)があることが発見された際に、その現地説明会に参加して以来13年ぶりの訪問だった。

 上記のことの発見後は、小山全体が土砂崩れする可能性もあったので、周囲全体を補強・固定した後、復元作業が進められたので、現在、築造当初の形態を見ることができる。
 13年前は八角形にしても実際には解り辛く、前にある古墳(越塚御門古墳)との位置関係も土砂の崩壊で解り辛かったが、それが現在は一目瞭然になっていた。石室も二部屋あることがはっきりと解る。

   日本書紀天智称制6年2月条に「斉明天皇と妹の間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬し、娘の大田皇女(おおたのひめみこ)を陵の前の墓に葬った(改葬?)」とある記述と見事に一致している。

 ただ、白石太一郎先生によると、「石室の年代観からして当初の墓は近くの岩屋山古墳であろう。それを、続日本紀・文武3年(持統太政天皇)に、斉明陵、天智陵を『修造』したとある、その斉明陵が今の姿だ」とされていて、私は説得力を感じている。

 つまり、宮内庁はここを陵墓指定していないが、真の天皇陵、斉明天皇陵と言って間違いないと私は考える。

 現地のガイドは「八角というのは四方八方見渡す意味だ」と他の人に語っていたが、そんな思い付きのような話ではなく、これは道教に間違いない。
 特に斉明天皇とこの時代の天皇権力を見るとき道教は外せない。反対に道教を学習しておかないと、とりわけ飛鳥の古代史は正確には理解できたことにならない。

 考えれば、有名な高松塚古墳などは小山の中腹の解り辛いところにあるが、この牽牛子塚古墳は小山の頂上にあるし、そして臨めば飛鳥の京(みやこ)がほゞ一望できる一等地といえる。

 13年前は、説明を聞いてようやく理解できたという程度であったものが、今回訪れてみて「斉明天皇陵に間違いない」という実感を強めた。
 もう少しいえば、この、まるで近代モダン建築のような威容は、古墳を「修造」させた持統太政天皇の作品として納得した。
 そんなことをあれこれ思い。古墳を背にして飛鳥を一望しながら柿の葉寿司を頬張って、歴史のロマンを胸いっぱいに吸い込んだ。

 【余談】飛鳥駅で近鉄特急『青の交響曲(シンフォニー)』と出会った。窓の外からすばらしい内装をいろいろ眺めているうちに発車した。しまった、写真を撮って鉄ちゃんに自慢できたのに。

2023年10月8日日曜日

鯛は頭から

   芸能ネタ、特にジャニーズなどは最も不得手とするジャンルなので深入りはしないが、ジャニー喜多川による少年凌辱は、あ
れが我が子や孫にされていたならばと考えると、許しがたい人権問題だと思う。

 そこで少しだけ想像を許してもらえば、そのことはそのムラの中では昔から相当知られていたことではなかったか。
 とすると、単に個人の犯罪に留まらず、周囲の多くの『見て見ぬふり』が犯罪を助長・拡大させていたと言える。その『見て見ぬふり』は言葉を変えれば、先日来度々触れている『同調圧力社会』という問題であると見ることもできる。
 そういうことも率直に認めて、変な言い方だが過去の至らなさは率直に反省して、前向きに議論してほしいと願う。

 そういう立場であることを前提にして論を進めると、2日の記者会見で主催者側(あえてジャニーズを含めて主催者側という)が、質問の挙手があっても指名しない「NGリスト」を作っていて現に発言を拒んだ問題がある。
 咄嗟に私は「鯛は頭から腐る」という諺が頭に浮かんだ。それは内閣広報官が取り仕切る記者会見で何度も演じられた芝居であったから。
 形式だけ「開いた」「聞いた」「時間です」という不誠実というかアンフェアは嫌というほど目にしてきた。それが「頭」だとしたら「身」の芸能事務所が腐っていても不思議でないというのは言い過ぎだが・・・。
 民主主義を望むならば、こういうことに「それは許せない」と皆が声をあげるべきだろう。

 この問題では、テレビや新聞など大手メディア(マスコミ)が、これも同調してタブーにしてきたことにも大いに大いに責任がある。
 一般に、「この問題を取り上げたりしたらタレントを引きあげられるからメディアも手を出せなかった」と論じられているようだが、私は「この種のハラスメント、出演等の可能性と引き換えに性的関係を迫り、黙らせておく」体質はテレビなどのメディア側も含めて芸能界共通の腐敗構造があったのではないか。故にほんとうに問題を検討すると自分たちの問題にも飛び火するから黙っていたのではないかと思っている。

 かつて私たちの労働組合はある法律の研究活動を行い、それがテレビのワイドショーにも取り上げられ、組合員も出席したことがあったが、その打ち合わせなどでテレビ局に出入りした組合員に聞いた話では、その種の下品な話が大ぴらに語られていて驚いたと聞いている。

 テレビでいえば、朝夕の「情報番組」でまるでニュースのようなふりをして「こんな新製品が出ました」とかというコマーシャルが流されているのもメディアの根幹の歪みではないだろうか。

 商売をしている親戚がいるが、「金を払えば番組に登場できる」とか「ニュース記事にできる」というセールスも来るという。そういう目でテレビを見ると、「どこそこに美味しい有名店がある」というような内容なのに「開店はつい2~3か月前」というのも結構ある。何が有名店だ!と思うが、それ等はその種のセールスだろうと私は想像している。

 言いたいことはジャニーズもジャニーズだが(それを決して軽視はしないが)、現代のこの国で腐り方の酷いのはマスメディアの方ではないか。その傾向は政治面でも同様であり、それゆえにこそ政権や大阪府市政の現実があるように思っている。
 見て見ぬふりはジャニーズの上層部だけの問題でなく、広くこの国の市民の弱さだろう。
 この話は、いわゆる芸能ネタ、スキャンダルでなく人権や民主主義の試金石でもある。
 そういう意味では会見の場での新会社の発言はまだまだ甘い隠蔽体質ではないかと感じた。 

 なお、この原稿を書いて後、7日夕方、この問題を特集した『TBS報道特集』を見た。
 非常に真摯な態度が伝わってきた。見逃し配信を見ることができる方は視聴をお勧めする。他局にもそういう真面目な反省を求めたい。

2023年10月7日土曜日

女性初の新人王

   権威などという言葉はあまり好きではないが、「老舗の風格」というイメージで語りたい。

 将棋と囲碁の話である。断っておくが私は「へぼ将棋・へぼ碁」以前の腕であるので、その内容についての話ではない。

 将棋では史上最年少の藤井聡太七冠が有名だが、その七冠とは、七冠を取得した順にいうと、竜王、名人、王位、叡王、棋王、王将、棋聖で、八冠に、残るは王座のみとなっている。

 囲碁では、棋聖、名人、本因坊、王座、天元、碁聖、十段が頂上クラスのタイトル戦となっている。

 そして、将棋は1970年から新人王戦というタイトル戦が行われ、現在第54期新人王戦が戦われている。ちなみに藤井聡太七冠は2018年の第49期新人王を獲得している。

 囲碁は、1976年から新人王戦が始まり、今年は史上初めて女性が新人王に輝いた。第48期新人王上野愛咲美さんである。
 上に掲載したのは朝日新聞で、その世界では画期的なニュースである。

 そして本日の主題だが、この将棋と囲碁の新人王戦の主催者は、あまり知られていないことかもしれないが『しんぶん赤旗』だということで、日本将棋連盟、日本棋院、関西棋院と共にこれを54年、48年継続して開催してきたということである。
 
 私は「へぼのへぼ」だから大きいことは言えないが、日本の伝統文化でもある知的ゲームのタイトル戦を長期にわたって開催してきた政党機関紙はもちろんほかにない。
 そして日本共産党自身が、そのことをつまらぬ宣伝手段としてひけらかすのでなく、ただただこの文化の応援に徹しているのも私は立派だと思う。

 よく保守だ革新だという単純な議論があるが、こういう風に日本文化という物差しで測ってみると、日本共産党は日本社会の良質な保守の代表とも思える。面白いことだ。

2023年10月6日金曜日

忘れ草

   4日の『鬼の醜草』で萱草(かんぞう)のことを忘れ草と書いたが、 この草の仲間は、平地ではこのように半ば馬鹿にされているが、高山に行くとニッコウキスゲというように、手のひらを返して讃えられる。モノゴトの評価や印象などというものはそんなものである。

 さて、庭の茗荷に花が出てきた。秋茗荷だ。
 スーパーでは現在は3つ160円ぐらい。
 茗荷は食べるのも大好きだが、このように観賞していても好い。
 忘れ草といえばこちらの方が本家筋にあたる。

 「茗荷を食べるともの忘れをする」説の由来は、釈迦の弟子に物忘れも極まった弟子がいて、彼の墓から茗荷が生えてきたという説が有名で、自分の名前さえ忘れるので名札(名荷)を着けていたからとか、名札を背中に背負ってもののそのことさえ忘れたからとか・・・。

 そんな彼が釈迦の弟子だというから、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」的な幅の広さを感じさせる。

 私は縦に3~4個に切って熱湯をかけた後、水気をきって甘酢に漬けておく。いろんな薬味としても使えるし、そのまま食べても好い。

2023年10月5日木曜日

赤色比べ

   ここ数日雑用に追いまくられて気力が萎えているので簡単な記事で許してもらおう。

 上はわが家の彼岸花。各地の棚田などもニュースになっている。
 この花、何となく負のイメージがあるが、素直に見れば美しい。
 美しいだけでなく、球根に毒があるので、モグラやネズミが田圃の畔を壊すのを防いでいる。益虫に模して言えば益草ともいえる。

   二枚目の写真は近所の研究施設の(たぶん)吾亦紅(われもこう)。
 彼岸花に対抗したわけでもないだろうが、「吾も亦(また)紅だ」とは愉快なり。

2023年10月4日水曜日

快気祝い

 心臓手術の友人が退院した。ヨシ快気祝いの企画を始めなければ。

鬼の醜草

   紫苑(しおん)の異称に「十五夜草」というのがあるが、今年でいえばピッタリ十五夜の時期と重なって大いに頷く。
 さらにもっとスタンダードな異称に「鬼の醜草(おにのしこぐさ)」があるが、その由来には諸説がある。

 私としては要旨次の今昔物語集由来が気に入っている。
 🔳 その昔、父を無くした兄弟があったが、兄は次第に多忙になり墓参に行けなくなり、せめての慰みにと墓前に「忘れ草」(萱草・かんぞう)を植えた。
 一方弟は「お兄さんは父を忘れても私は絶対に忘れない」と墓前に「忘れな草」=紫苑を植え墓参を欠かさなかった。
 ある年、墓前の弟の前に、墓を守る鬼が現れ、弟の父を慕う慈悲の心に感じ入り、弟に予知能力(予知夢を見られる力)を授けた。🔳 なかなかの説話である。

 次いで「醜草」の「醜」の意についても諸説あるが、私は、「もう忘れたいのに忘れられない、忘れな草は役立たずの嫌な草だ」説が好きである。

 さて皆さん、嫌なことの多い昨今、それでも少しでも好くしたいと思うあなたは、萱草(かんぞう)を植えますか、紫苑(しおん)を植えますか。

 (注) もちろん紫苑は、春に咲く「忘れな草」とは別のもの。

2023年10月3日火曜日

この国の同調圧力

   やっと書評が出た。10月1日付け9面『読書』の『ほんだな』で次のとおり紹介されていた。

 🔳 日本社会に根深い「同調圧力」を多角的に分析します。「空気を読む」との強制や、心身を萎縮させる「マナー」など、生活の中で遭遇する小さなものから、大日本帝国やナチス・ドイツの同調圧力による国民支配まで考察。同調圧力が発生する仕組みや、積極的に圧力に従おうとする人間の心理を読み解きます。抵抗力になるのは、「自分は個人であるという意識」だと強調。集団と衝突せず、同調圧力から心身の自由を守る方法や考え方を提唱します。(山崎雅弘著SB新書)🔳

 大きな章は次のとおりになっている。
 第一章 同調圧力・・心や身体にからみ付いて自由を邪魔する見えない「力」
 第二章 誰が何のために同調圧力を生み出しているのか
 第三章 安心感を得るために自分を「集団や組織」に埋没させる罠
 第四章 間違った道に進んでも集団が方向転換できない恐ろしさ
 第五章 集団や共同体の「みんな」と衝突せずに心身の自由を取り戻すために

 この本、相当以前に読み終えた。そして、大いに共鳴した、その共鳴の大きさ故にこのブログに感想を書けずにいた。

 私がこの本を読んでみたいと思ったきっかけは、ひとつは関東大震災の時の朝鮮人(中国人も社会主義者や労働組合役員もいた)虐殺のことである。そんな非道なことを、子供まで含むごくごく普通の市井の庶民が、自警団を組んでそんな虐殺行為を行ったのである。想像するに、それができたメンタルは「みんなしている」ではなかったか。

 ふたつは、特攻作戦である。夢も希望もある青年があんな無茶な作戦に「志願」させられたメカニズムの怖さである。形式的には「志願」というが決して抜け出させない「力」は何だったのか。外地や沖縄での集団自決もある。

 あえて極端なことを言えば、この夏も、自分で考えた結論として装着しているのなら良いが、「みんなしている」だけの思考で真夏の屋外でもマスクを着けている人が多かった。
 あえて言えば、この人たちが一旦ことあれば「虐殺」に手を貸し、そして自殺行為ともいえる作戦に「志願」を拒否できなくなるのではないだろうかと私は感じた。

 あの時代の人々も、平時には「そんな無茶なことには同調しない」と思っていただろうが、多くの場合、それは出来なかった。という話は「遠いあの時代」だけのことだろうか。「現代は違う」「私は違う」と言い切れるだろうか。
 
 あまりに紹介したいことが多すぎて、結局この本の感想を書けないままここに来てしまった。
 定価900円。この本は現代人が必ず購入して熟読すべき本だと私は思っている。

2023年10月2日月曜日

律儀な奴

   リビヤやパキスタンでは、日本では想像がつかない規模の大洪水が起こっているし、少し前には北米やハワイでこれも桁違いの山火事が起こっている。 

   そのような地球規模の異常現象に比べると他愛ないものだろうが、日本の各地でカメムシが大発生しているらしい。
 ニュースでは、街路灯の周りを「ウンカのごとく」飛び回っている映像が流れていた。確かに異常な量に見えた。

 さてわが家では、毎年カメムシが中発生している。大発生ではないがそこそこ発生するので、先のニュースもさほど驚かない。
 それどころか、毎年の中発生の時期にもかかわらず、今年はいやに少ないと感じている。
 先日は、青じそ畑にオンブバッタがやけに少ないと書いたが、不思議なものである。虫よけ薬的なものは散布していない。

 片やニュースではカメムシの大発生が報じられ、此方では例年の中発生どころか少発生にもなっていない。
 地球規模の温暖化の議論の中には「地球は基本的に寒冷期に入っている」とか、冬の大寒波こそ問題だという主張が出てくるが、広い地球のどこを見て感想を言うかで大きな差が出てくる。

 さてさて、わが家では洗濯物は日光と外気に当てて干している。
 乾燥機や部屋干しでは干した気がしない。
 ということで、この原稿を書いていた途中で洗濯物の取り入れを行ったのだが、畳む前に広げた洗濯物の中から珍しいカメムシがひょこひょこと這い出してきた。
 ニュースのカメムシは緑色のカメムシだったが、今回のは子ども用の図鑑ではキマダラカメムシのようだ。
 
 私の「少発生だ」という声を聞きつけて、「それならどうだ」と現れた律儀な奴。
 京都府も非常事態を宣言しているから、彼奴は先遣隊?
 わが家の柿が危ない。

2023年10月1日日曜日

ほんでな「よろしゅうおあがり」

   奈良テレビの「街ぶら」のような番組に『ほんでミーゴ』という番組がある。
 インタビューが終わると二人の女性アナがマラカスを振って住民と一緒に「ほんでミーゴ」と発声して終わるのがパターンである。
 小物(小道具)であるマラカスからするとスペイン語のアミーゴに掛けているのかも知れないが、より基本的には奈良盆地の方言『ほんでミー』に掛かっているのだと思う。

 大阪弁だと、ほんでナー、あのナー、の「ナー」や「ナ」の部分が「ミー」となっているもので、奈良の住人であった義母などは「ミー」を多用していた。

 先日、奈良の方言について講義を受けたことを書いたが、そのテキストの中にこの「ミー」もあり、それを見て驚いたのは、その「ミー」が大阪の北河内の一部や南河内の一部にもあるという資料だった。

 私は長年大阪に住んでいたし、さらには長く大阪で働いてきたが、大阪で「ほんでミー」とは聞いたことがなく、労働組合の近畿レベルの役員をしていた頃から「ミーは奈良の方言」と思い込んできた。
 大阪で「ほんでミー」「あのミー」という方言をご存知のお方は教えていただきたい。

   さて、方言と言ってよいのかどうか知らないが、残しておきたい大阪弁(関西弁)というと、「よろしゅうおあがり」がある。

 こういう言葉(少し古い言い方)は、私の経験からいうと、親から子へ伝わるよりも、孫が祖父ちゃん祖母ちゃんから聞いた思い出の方が強いように思う。
 つまり、ここは年寄りの出番である。

 で、わが夫婦は孫たちが来て食事をしたときには必ず、「ごちそうさまでした」「よろしゅうおあがり」を欠かしたことがない。

 語り伝えること・・は、非常に大事である。こんな言葉は文字で伝わるものでもない。
 語り伝えないと、その内に、「いただきます」「よろしおあがり」(食べてよろしい)というような馬鹿げた誤解が大手を振って歩くことになる。
 写真は一昨日の記事の成瀬國晴画伯のもの。