『らんまん』に出ていたキツネノカミソリもリコリスなのでこれに近い種のようだ。
確か白い彼岸花もわが庭にあったと思うがいつの間にか消えてしまった。
赤い彼岸花・曼珠沙華に話は移るが、この花は中国原産で、そもそもが雌雄異株で、日本で咲いているのは皆雌株だという。雄株はない。
ならば、このように種のできない彼岸花がどのようにして全国に広まって咲いているのかは謎中の謎らしい。
そこで私の想像だが、今でも四天王寺さんの沿道には有名な赤松種苗店があるように、かつて有名社寺周辺には種苗店があった。
奈良東大寺の勉強をしていて知ったのだが、全国から社寺詣りのときには自慢の種を持ち寄りまた買って帰っていったという。
その流れの中に、田圃の畔を護る彼岸花の球根があって皆が「これは便利だ」と土産に買って帰ったのではないだろうか。彼岸花の球根は有毒なため、畔を壊すモグラ、ネズミなどが穴を掘って畔を潰すのを防いだ。
冬の間は旺盛な葉が茂って小さな雑草を防ぎ、田植え時にはなくなり、夏の草刈りのときは全くなくなり、秋の収穫時期に花を咲かせる。米農家にとって理想的な畔の植物でないだろうか。
お伊勢参りなどを純粋な信仰や旅行・レクリエーションの側面で研究している話は多いが、実は、非常に実利的な種苗の入手、新しい農業技術の導入という現実的な利益も大きかったのではないだろうか。
そんな想像をしないと、種(たね)もないのに全国に広まった「原因と実際」が判らない。
ただこの説、根拠があって語っているものではない。
他の説、ご存知の方は教えていただきたい。
当たり前のようなことでも解らないことは限りない。
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