2025年3月9日日曜日

富雄丸山古墳を臨む

    わが家から電動アシスト自転車でならサイクリングに行ける近さに五社神(ごさし)古墳がある。宮内庁によって仲哀天皇の皇后である神功皇后陵に治定(じじょう)されている。
 日本書紀は異例のことに巻第九を神功皇后だけに充てている。いうならば天皇扱いしている。
 倭の五王の時代、百舌鳥・古市の巨大古墳時代のシンボル的な天皇である応神天皇のその母である。
 ところが戦前の「神功皇后による三韓征伐」なる軍国神話の反省によるものか、「神功皇后は実在しなかった」「推古天皇をモデルにした伝説である」「斉明天皇の九州での急死と草壁皇子がモデルである」との説が現代の学会の主流というか大勢を占めている。
 だが、潤色が濃いことと「実在しなかった」こととは全く異なるのではないか。
 日本書紀の応神天皇は認めるが、その母である神功皇后の記述は全てが「架空の物語」である・・・だろうか。
 神功皇后が各地の風土記にも登場している事実もある。
 神功皇后の母は豪族葛城氏の出身である。葛城氏に想定されている大古墳も大和南部に少なくない。
 その神功皇后が武内宿祢とともに、先に急死した仲哀天皇と大中姫との間に生まれていた皇子である麛坂皇子(かごさか王)忍熊皇子(おしくま王)と対決し、麛坂皇子は戦の前に死亡、忍熊皇子は戦で亡くなったと記紀には記されている。4世紀末葉のことになる。
 それらのことから、4世紀末葉に、最有力な次期天皇候補でありながら、神功・応神に反旗を翻し戦になる以前に死亡した麛坂皇子とその皇后こそ、前方後円墳を許されなかった富雄丸山古墳の被葬者その人ではないだろうか。
 先日、粉雪の舞う寒い日に富雄丸山古墳を見ながらそんなことなどを思い浮かべてきた。
 ただ、造出しの埋葬施設とはいえ、皇后の埋葬に超巨大な剣と盾というのはなぜだろうか。多分に装飾的ではあるが。
 記紀には、難波宮などで天皇の宮の玄関に大きな剣と大きな盾を立てたという記述があるが、だとすると、富雄丸山古墳を築造した一族は、「本来の天皇の宮」あるいは「黄泉の国での天皇の宮」と言いたかったのかもしれない。謎はまだまだ尽きない。
 以上の論旨は、小笠原好彦先生の講義を踏まえて記述している。

2025年3月8日土曜日

人面墨書土器

    鬼は外、厄は外! ・・節分はとうに過ぎたが大声でそう叫びたいニュースが多い。

 先日は佐紀池ノ尻古墳のことを書いたが、その発掘調査を担当した奈良市埋蔵文化財調査センターの展示室には、平城京で出土した『人面墨守土器』が展示されている。写真撮影可なので撮影してきた。

 奈良時代には、土器に墨で人の顔を描き、何かのまじないをおこなってから川などに流すという風習があったといわれている。
 このときに用いた土器が「人面墨書(じんめんぼくしょ)土器」と呼ばれていて、元々は煮炊き用に使われていた土師器(はじき)の甕(かめ)が多い。
 奈良文化財研究所のレポートなどでは、「ところが、ここでひとつの疑問が生じてくる。人面墨書土器にはいったい誰の顔が描かれているのでしょうか」として、「中には目をつり上げた恐ろしげな顔を描いたものもある。一説によれば、それは疫病神(やくびょうがみ)や鬼神であると考えられる。奈良時代には、しばしば天然痘などの疫病が流行し、人々を苦しめましたが、それは疫病神や鬼神がもたらす病気と考えられていた。人面墨書土器はそうした迷惑な神々を追い払うまつり・まじないに使われたと考えられている」とある。 
 奈良時代の京(みやこ)平城京では、道路の側溝や運河の跡などから人面墨書土器が数多く出土する。疫病の流行をしずめるために、土器に疫病神や鬼神の顔を描き、それを水に流すことで、京から疫病神や鬼神を追い出すまつりがおこなわれただろう。

 そういえば近頃、太平洋の向こうあたりに描いて流してしまいたい顔がある。
 「関税はアメリカを豊かにする」とか何とか、恐ろしい独りよがりと分断と悪態。それに熱狂する信者・・・。
 あまりの無茶さ加減に開いた口が塞がらないが、みんなで甕に決意の息を吹き込めて、流すか埋め込むかしてみたい。人面墨書土器を使った疫病よけのまつりは、京の外でも広くおこなわれていたというから・・・・・

2025年3月7日金曜日

住民の要求

    先日、地元の共産党の町会議員の懇談会に参加した。
 いろんな話題に花が咲いたが、一番盛り上がったのは私が提起した「ゴミの戸別収集の実現」だった。
 私は、理想論でいえば現状のゴミステーション方式は悪くないが、街全体が高齢化していっている現実では、ゴミステーションの数が限られており、つまりは遠くまで出しに行かなければならない人もいて、高齢でかつ足の悪い人、急峻な階段を通らなければならない人など、住民の努力の限界を超えているのではないかと提起した。
 全員近くが、現実に自分が困っている実情、困っておられる方の実情に問題意識を持っておられた。
 主催者側の方々も、これほど話が盛り上がるとは予想外だったのではなかったか。
 
 その外の話題では、わが町を地図で見るとH駅が中心になるが、我々の区域は町の端っこで、二つ隣の自治体のT駅やT駅周辺の商業施設などが生活圏になっているので、「町の中心H駅」というなんとない「常識」みたいな町の都市計画とのズレもいろいろと具体的な要求として出されながら話になった。
 で結局、まだまだ語り合いたいという顔、顔、顔を残して散会になったのだが、主催者側に、懇談会の企画段階で住民要求のマグマを過小評価というか、読み間違っていたのではないだろうかと思われた。時間が足りない。
 ただ感想としては大いに値打ちのある懇談会だった。

 たしかに、世の中ともすれば閉塞感に覆われている感じもするが、「答と出口は現場にある」と再確認した次第。

2025年3月6日木曜日

ミサイルを描くつもり?

    テレビでマンホールカードなるものが報道されていた。
 各自治体が作ったユニークなデザインのマンホールの蓋を撮影するという趣味のことは知っていたが、マンホールカードというのは初めて知った。各自治体が作っている。私の趣味ではないが面白いものだ。
 隣の木津川市の旧木津町のは木津川の上荷舟(うわにぶね)で美しい。

 別にこんなところにお金をかける必要もないが、とりあえず精華町も作るとすればどんなデザイン?・・あまりこれといった特徴が思い浮かばない。
 で「何がいい?」と妻に尋ねたら「弾薬庫しかないな」と即答した。
 京阪奈学術研究都市に隣接する弾薬庫。
 後世の史家に嘲笑される話題提供のためには「それもいいか」。

冗談はそれぐらいにして、政府はこの「祝園(ほうその)弾薬庫」を増強することを決定した。
そのことについて、共産党の山添拓議員が参院外交防衛委員会で、■ 自衛隊祝園弾薬庫は、1960年に米軍から自衛隊に移管された際、当時の防衛庁・自衛隊と分屯地が所在する精華町との間で、「貯蔵施設の拡張はしない」など23項目の「確認書」を交わしている・・と追及したところ、木原稔防衛相は「要望と回答を確認したもので、契約的な意味を持つものでなく、必ずしも事前協議は必要ない」などと拒否。言語道断。

 住民が必死につくらせた確認書を簡単に反故(ほご)にして、まともな説明もなく危険な弾薬庫の増設に走ることは許されない。

2025年3月5日水曜日

抹殺された佐紀池ノ尻古墳

    私の住居表示は京都だが、文化圏でいえば奈良文化圏となる。ヨーロッパでいえば、例えばフィンランド人だがスエ―デン語(文化)の地域があったり、現在はややこしいことだがウクライナ東部でロシア語(文化)が現実にあるのに似ている。
 その奈良の北部では近ごろ古墳時代の新発見が続いていて、私のような素人も頭の中が忙しい。
 
 今般奈良市埋蔵文化財調査センターが発表し新聞等でも報道されたのは「平城宮跡の北の端に全長約200mの巨大前方後円墳が見つかった」「平城京造営の際にきれいにつぶされた」という。(仮称:佐紀池ノ尻古墳)(写真のコナベ古墳の下(南))
    場所は、伝天皇陵古墳を含む佐紀盾列古墳群の一角。大きさは天皇陵古墳と言っても遜色がない大きさ。
 平城京造営の際、中小規模の古墳がいくつも壊されたのは知られているが、平城京造営の主導者藤原不比等が、どうしてこんな巨大前方後円墳を壊せと命じたかが不思議である。
 佐紀盾列古墳群には天皇家や皇族の墓と称されている古墳もある中で、不比等はいかなる確信をもってこの古墳の抹殺を命じたのか。反対に言えば、不比等はこの古墳を誰の墓だと認識していたのだろうか。

 天皇陵ではないとしたら、ここの古墳群を作った豪族は誰か。和邇氏?春日氏?あるいは葛城氏?
 今もこの一角には葛木神社があるし、五社神古墳は葛城出身の神功皇后陵と伝えられている。
 また、話は富雄丸山古墳に繋がるが、麛坂皇子(かごさか王)忍熊皇子(おしくま王)を輩出した反逆者の地との認識などもあったか?
 次の写真はコナベ古墳。ここの南にあったが、今は住宅地になっている。

2025年3月4日火曜日

おお ひばり

    国松俊英氏の著書には「関東平野でヒバリが鳴きだすのは3月1日ぐらい」とあるが、ピッタリ3月2日にわが家近くでも鳴き始めた。
 何もかもが「東京標準」に誘導されている昨今、😡ヒバリよ、お前もか!と言うべきか・・・
 乱視のせいでもないだろうが、大音量で鳴いているのに目視できない。で、代わりに庭のカワラヒワの写真で勘弁していただこう。
 『ヒバリが空高く上がると晴天』と同じ著書にあるが、3月2日の天気は小雨に近い曇天。よって、この「ことわざ」の真偽は保留にしておく。

 ヒバリは、天の恵み 地の栄えを讃えて歌っている。


2025年3月3日月曜日

旧暦の絵暦

    空を見上げれば新月(朔)が1日、満月が15日(十五夜)だから、暦(カレンダー)が読めなくても旧暦はその限りでは便利だった。
 
 あとは閏月を知る必要があったが、そのためには絵暦(めくら暦)があり、大刀、小刀で大の月、小の月。人間の股で また→閏月。さらには、半裸の男が涼んでいて土用は年に4回だが典型的な夏の土用の入り。荷を奪う盗賊→荷奪い→入梅。禿げ頭で 禿げ生ず→半夏生となると、読み解くのも難しい。

 長沢工著『はい こちら国立天文台』では、原則として公的には存在しない明治5年改暦以後の旧暦(の換算)についての質問には答えないとあった。(市販の私的な出版物ではこう書かれているという扱い)
 ただし、在日韓国人は自分の誕生日を太陰太陽暦で記憶しているので換算をして回答したという。

 これに関係するともう一つ元号の問題がある。
 その著者は例えばこれまで「1968年十勝沖地震」などとしていたが、政府の指示で「昭和57年浦河沖地震」「平成6年北海道東方沖地震」というように変わっことを「科学の世界に無用なものを持ち込んだ」と批判している。科学的には途切れない年月が良いに決まっている。
 未来になって、今の私が例えば「天平13年、行基、狭山池というのは西暦なら何年?」と迷うように、「平成と令和はどっちが古い?」と迷う未来人も出てくるだろう。(AIが解決するとしても)

    元に戻って「絵文字」だが、これは暦だけでなく絵文字の「お経」なども実際に存在した。下の写真は「摩訶般若波羅蜜多心経」と読む。
 上の写真の暦の左下の、三重塔+琴柱(じ)で「冬至」のような「絵文字の暗号文」はみんな小学生のころよく作ったのではなかろうか。
 この文化の上に各種メールの「絵文字」が日本で発明され、今や世界標準になっているのはナルホドだ。
 ピクトグラムも含めるとすれば、絵文字こそ世界言語にならないだろうか。(しかし釜をひっくり返して魔訶というのは無理だろうね)

2025年3月2日日曜日

水に流す

    3月3日はひな祭り。由来は上巳の節句で、災いを人形(ひとがた)に移して水に流し去る素朴な行事。
 昨日は「陰陽道は平安時代」と書いたが、そもそもは中国の道教で、古墳時代からすでにこの地にも伝播していた。
 飛鳥が世界歴史遺産登録に向けて推薦されているが、飛鳥の石の遺跡は言い換えれば水の文化。
 それらのことごとを「古臭い迷信」と捨て去ると面白くない。
 コロナパンデミックを経験して思うのだが、村の出入り口に勧請縄や道祖神を設置するのは「人的交流の抑制」だろうし、水の祭祀は「手洗い励行」だったかもしれない。
 疫病の大感染は重大な脅威だっただろう。
 写真は平城京出土の人形で、いうならば「流しびな」のルーツのひとつ。

    もう「流しびな」に適する小川などはないから、庭のバードバスに浮かべることにした。
 災いは鳥が「根の国」あたりに運び去ってくれるだろう。

2025年3月1日土曜日

南都陰陽師

    奈良市で以前から気になっていたことの一つは、奈良町の「からくりおもちゃ館」の隣に鎮宅霊符神社があり、そのあたりの地名が「陰陽町」であることだった。
 奈良は古い都であるから当たり前のようにも見えるが、陰陽道(おんみょうどう)は平安期、つまりは京の都で発達したものだから、それがどのように古都(南都)に及んだのか、勉強不足のまま放っておいていた。

 さて、奈良市高畑にある奈良労働基準監督署などと道路を挟んで西側は紀寺という地名であるが、そこにバス停「幸(さいわい)町」がある。(幸町という地名は奈良市にはない)
 先日そのあたりにお住いの先生からそのいわれを聞いたところ、そのあたり(の一部)は、旧町名が幸町であるだけでなく、現代でも普通に幸町と呼ばれているらしい。まるでタイムスリップしたアンダーグラウンドだ。

 そもそも陰陽道・陰陽師のヒーローは安倍晴明だが、その師は賀茂忠行で、安倍晴明の家系は後に土御門家として隆盛を誇ったが、賀茂家の方は少し後方に下がり、その庶流の「幸徳井家」は南都にて南都陰陽師となった。
 そのため、その居所が「幸徳井町」と呼ばれ、その後、その簡素化された町名が幸町となって残っていたということだ。(今は紀寺という町名に吸収された)
 冒頭に言った陰陽町(いんようちょう)はそこから少し西に行った場所になる。
 そういえば、その近くで、中世の庶民信仰の遺物が豊富に残されている元興寺にも、道教・陰陽道の護符等の遺物が多いから、ナルホドと理解が進んだ。
 蛇足ながら、賀茂家の祖先は吉備真備と伝えられている。
 南都図絵にも吉備塚の前で祈る(南都)陰陽師が描かれている。
 それにしても奈良は面白い。古代や中世があちらこちらに顔を出している。

2025年2月28日金曜日

鯛の鯛

    井上ひさし氏の言葉に「・・まじめなことを愉快に・・」という名言があり、その境地に少しでも近づきたいと思っているが・・、鯛の鯛の話・・。

 私は鯛の「おかしら」を食べるのが好きなのだが、先日娘ファミリーが大きな兜煮を土産に持ってきてくれた。尾頭付きの鯛ではなく、頭だけの「おかしら」だ。
 兜煮の土産というのも少々変わっているが当方は嬉しくいただいた。

 「昔は殿様が鯛の頬の肉だけを食べはったもんや」と親に教えられて育ったが、子どもにアラで我慢させる方便だったのだろう。
 おかげで、目玉、唇、頭頂、そして頬、それらの裏側のコラーゲン?をせせって食べるのが上手くなった。(「せせる」という大阪弁お解り?)
 大きいので頭の方を私がとり、カマを妻が食べたが、さすがに我がファミリー、妻はカマにある鯛の鯛を上手く折らずに発掘?した。ご存じのとおり食べ方の下手な人は鯛の鯛の頭と胴を二つに割ってしまう。

 ただそれだけのことだが、鯛や鰤カマなどほとんどの魚にあるから、一瞬でも食卓が賑やかになる。
 「割れずにとれたので縁起がいい」「江戸時代はお守りにもなっていた」・・・そんな話を実用性のないつまらん話とするか、ちょっとした出来事を愉快に語るか。

2025年2月27日木曜日

おんだ祭

    奈良市菅原町・菅原天満宮の『おんだ祭』に行ってきた。ここは土師氏が菅原の名をもらった土地であり、孫の凜ちゃんがお宮参りをした神社である。 
 縁起の割には小さな天満宮だがその日は大勢の参拝者だった。
 (土師氏は元は古墳の築造や埴輪の製造などを担っていたが、薄葬令以後学問の道に変更し、菅原や大江になった)

    境内で、正味1時間もかけて稲作の所作を狂言のように演じるのだが、さすが奈良の地と言おうか、熱のこもった「演技」に引き込まれ、牛役の子どもや出ずっぱりの翁の息切れの音には「がんばれ」と声も出た。

 演者と観客が一体となると、肥まきの場面では観客に頭からぶっかけ(もちろん動作のみ)て、ぶっかけられた観客もリアルに悲鳴を上げるなど、祈り、祈願の神事から笑いの芸能が生まれたことが文句なく納得できた。
 (寄り道だが、以前に見学した某有名八幡宮のおんだ祭は形式的に流れ形骸化していたゾ)

    常連風?の方に教えてもらい、祭場周囲のロープに吊るされていた紙の束から紙をとり、「おひねり」をいくつもポケットに用意し、牛役の子どもの熱演に「おひねり」を投げ入れるのも楽しく、そのことで参拝者もただの観客でなくおんだ祭の参加者を実感した。

 私も、種もみ(これは本物)や肥もたっぷり浴び、早苗である「松葉」をもらって帰った。。
 神事風に言うならば、これで私も参拝者全員も家内安全、五穀豊穣間違いなしということだろう。
 米価高騰とコメ不足のことは、今日のところは横に置いておこう。

    夕方、奈良テレビ(県内のニュース「五穀豊穣などを願う菅原天満宮おんだ祭り」)で報道されたから、詳しい解説は当分の間スマホの動画等で見ることができる。

2025年2月26日水曜日

早春には若ごぼう

    24日の記事はチョッとB級グルメ寄りの話だったので今日はA級グルメでお口直しを。
 季節の食材、大阪は八尾の若ごぼうだ。
 昔は当地のイオンには出されていなかったが、「若ごぼうを置くように」と私などが店員さんに言っているうちにここまで来た‥と、ちょっと感慨深い。
 ・・が、売残つて値引のシールのものもあり、関西人の頭も東京一極集中の情報にマインドコントロールかと心配する。

    若ごぼうは根、茎、葉と捨てるところがない。少し湯がいてアク抜きをしてから、薄揚げと豚肉で炒め煮するのが簡単で美味しい。

    写真は根っこの皮あたりをこそげているところだが、真っ白にこそげてしまうと野趣が飛んでしまうので、あえてけっこうワイルドにすましている。
 若ごぼうは、文句なく早春の味だし、大阪の味である。

    

2025年2月25日火曜日

早春は遠くない

    〽春は名のみの風の寒さや~ などと歌いたくなるが、1936年(昭和11年)2月26日=226事件の東京は大雪だったから、この寒波も腰を抜かすほど珍しいことでもないようだ。 

 近頃は天気予報の精度が上がって雪の予報のシミュレーションがテレビに映されるが、いつもいつも北朝鮮の東海上の全く同じような場所から雪雲が発生しているのが興味深い。
 朝鮮半島東部を北上した対馬海流(暖流)がシベリア高気圧の北西風に水蒸気を供給して、ここが我が国の日本海側の豪雪の発生源になっているらしいことが素人目にもわかる。この場所よりも東北方面の海上は北朝鮮寒流で、大きな雪雲の発生源ではなさそうだ。

 そして福井嶺南敦賀地方から北陸本線に沿って米原・伊吹山をこえて大雪が降ることはご存じのとおり。
 「大野伴睦が進路を変えたから東海道新幹線は弱点を抱えた」という恨み節もあるが、この豪雪が滋賀、京都、大阪の命の水がめ琵琶湖を維持し、濃尾平野の農業を支えている。
 幸いというか、京都最南部のわが地方にはほとんど雪は降らない。
 子どもたちには可哀相だが、高齢者にはありがたい。

 それはさておき草木も春を待っている。
 赤旗日曜版に載っていた牧野記念庭園学芸員の田中純子さんのエッセイによると、「植物採集行進曲」というのがありその5番の歌詞は牧野富太郎博士の手になるものだと書いてあった。
 「草木可愛(かわい)の心をひろめ 愛し合いましょ吾等(われら)同志 思い遣りさえこの世にあれば 世界や平和で万々歳」という。ああ世界中の為政者に教えたい。そして私自身もこのような大きな心を忘れないように。
 春は遠くない。
 この原稿、23日の日曜日に書いた。24日も吹雪の一日だった。25日は暖かくなるようだ。

2025年2月24日月曜日

想い出の味

    ラジオを聴いていると、大阪以外の方が「大阪人の紅しょうがの天ぷらはありえない」というような話をよくするが、それによく似た地方独特の食べ物はいくらでもある。
 それらを大げさに笑うのがテレビのケンミンSHOWだが、食文化というものは甘い辛いを超えた故郷の味だし半自伝のようなものだから、その人にとってはかけがえのないものである。

 先日、朝から妻と買い物に出かけ「昼食は麺類で軽く済まそうか」となり、麺と出来合いの天ぷらを買うことにした。キツネ用の揚げはストックがある。
 そして妻はエビの天ぷらと日本そばを購入した。王道だろう。
 そして私は中華そばとアナゴの天ぷらを購入した。中華そばである。

 実はその昔、私の通っていた公立高校には食堂があった。そしてそこの「タヌキ大」が中華そば2玉と揚げだった。タヌキがなぜ中華そばなのかは知らないが、そこで3年間を過ごした。
 そういう中華そばの和風だしを妙に食べたくなった。そういう郷愁を食べたくなった。

 最後にこれは全く今回のアレンジだが、中華麺の和風だしに庭の花柚子を思いっきり搾って加えた。
 妻もオーソドックスな天ぷらそばに花柚子を搾ったが「これは美味しい」と高評価だった。

 やっぱり人の食文化を笑ってはいけない。それは文化なのだから。

2025年2月23日日曜日

中国の少数民族

    以前にテレビで『関口知宏の中国鉄道大紀行』というのがあったが、どこかの海岸で中国西部あたりからの遠足みたいな子どもたちと関口が「日本人だ」というような会話をしたとき、「日本人は海を知っているか?」と聞いてきた会話が実に楽しかった。そしてあの大きな大陸ではさもありなんと納得した。
 先日、『民族がわかれば中国がわかる』という中公新書を読んだが、中国には公的な定義で56の民族が住んでいる。さらに未識別の民族が80万人以上いるらしい。それらの多くは南部にいる。
 この本は、各民族の歴史的な立ち位置のようなものに重心があったが、文化や習俗でいうと日本人、日本文化のルーツのように見える事柄も少なくない。
 荒っぽく言うと政治の北方に対して文化の南方で、傾向としては南方人は北京の政治に対して批判的な傾向があったが、近年、特に習近平体制になってからは、香港を見るまでもなく均一化の押し付けが強まっている。
 ただ、日本でさえケンミンSHOWみたいに県民性の特徴があるのだから、ほんとうは大きな違いがあるのだろう。ただこの本ではそれほど紹介されていない。

 若い頃、労働組合の本部にいたが、例えば北陸ブロックで酒を飲むと「あの時信玄と信州は・・・」とか、東北ブロックでは「戊辰戦争の時に伊達は・・・」というようなちょっとした恨み節が語られたりしたが、その伝で行くと中国大陸では、民族や地方間で大虐殺などが繰り返された訳だから、表面には出ていないが多民族国家の「経営」は難しいだろうなあと変な同情も湧く。
 中国にしてもインドにしても、ヨーロッパ全体に匹敵する広さと民族を抱えている。
 我々日本の多数派には民族問題などの関心が薄いが、そのままでは世界が正確には見えてこないのではないか。
 四川料理は辛い! 茅台酒は貴州だ! から一歩踏み出そうと。

カラー印刷の目途たつ

    退職者会の会報が100号を迎えるので、少しばかり記念号らしくしようと話してきた。
 その一環で、少なくとも第一面ぐらいはカラー印刷にしたいということで、私もネットの印刷などを検討したが、200部までの少部数ではあまり安くはならなかった。
 となると、カラーコピーになるが、これだと1枚60円ぐらいが相場みたいで、ダイソーのコピー1枚30円が最安値だった。
 そういうことで1月26日のこのブログ記事「カラー印刷を安く」を書き、大阪市内に強い方々に「安い印刷&コピー屋」をキョロキョロと探してほしいと頼んでいたところ、中心メンバーの世話人が某労働組合書記局が紙代別格安で印刷させてくれるという話をつけてきてくれた。破格の想定外の「大正解」。
 私は30円コピーで「万策尽きたからみんな探してみて」と言っただけ。やはり3人寄れば文殊の知恵で、求めよさらば与えられんという感じ。
 LINEグループで情報交換して生まれた「大正解」。
 雑談でもよいから語り合うことの素晴らしさを実感。LINEグループを大事にしよう。

2025年2月22日土曜日

ジェネレーションギャップ

    先日、退職者ばかりの、言い換えれば高齢者ばかりの酒席で、私が詠んだところの「・・乗除(じょうじょ)はタイガー計算機・・」という短歌について盛り上がった。
 「さすがに長谷やんは短歌が上手い」と言って盛り上がったのではない。短歌の巧拙以前の「タイガー計算機って何?」という話で盛り上がったのだ。
 タイガー計算機は写真のようなもので、仕組みや使用方法など判らない方は別途検索されたい。

 そこで・・、同じ高齢者といえども結構なジェネレーションの差のある事(ジェネレーションギャップ=世代間のズレ)を、それぞれの20代頃の経験を披露しながら笑いあった。
 ただし、こういうテーマの勝者は必ず「より高齢者」になるのは理の当然である。
 古い時代を経験しているということは何のエライことでもないが、酒席では絶対的に勝者となる。

 1970年代の社会運動を知っている(経験した)者からすると近年の「若い者」には数々の不満があるが、それはきっと、直接的に戦争を体験してきたもひとつ上の世代からすると、我々世代も「頼りない異星人」だったのと同じである。まったくもってエラそうなことはいえない。

 「正しい老後の暮らし方」的な本では「昔はこうだった的な自慢話はするな」というのが鉄則らしいが。変な遠慮をして「世代は乗り越えられない」と言い切るのも「逃げ口上」のような気がする。
 高齢者も若い頃はいろいろ悩んで間違いも重ねてきた。若い世代も軽薄そうに見えても人生のあるべき姿を模索しているに違いない。
 たまたま退職者会の会報第100号を作っているところだが、昔話、大いにすべし。それはただの懐古趣味ではない。

2025年2月21日金曜日

ゲーテ曰く

    小説を読み終わってもそれほど心が躍らなくなったのはアンテナの感度が鈍ってきたためだろうか。
 この1月に芥川賞に決定した鈴木結生著『ゲーテはすべてを言った』。
 博覧強記には同意するし推理小説的な読みごたえもあるが・・・・
 なにしろゲーテであるからベースに西欧人の、キリスト教の思想というか「癖」があるのだろうが、私は教条主義という言葉を思い出した。
 学問とは何か、その真贋のお墨付きは偉人の名言によってしか証明できないのか。
 まあ息子に「読むなら読むか」とあげることにする。
 相当なレベルの小説であることは間違いない。

2025年2月20日木曜日

カワラヒワ

    野鳥が好きな漫画家・岩本久則氏の本を読むと、「都内の庭を訪れる鳥の中で、美形、気品ともに№1はジョウビタキだろうが、続いてはカワラヒワ」とあった。おおむね異議はない。
 写真は窓ガラスの内側からスマホで撮ったものでピンボケだが、ルッキズムではないがスズメよりは美形である。
 ほんとうは頭の上を飛び立った時の羽の黄色い透かし模様だが、スマホではなかなか撮れない。
 嘴は特にピンボケだが、如何にも「木の実を割ってでも食ってやるぞ」という嘴だ。
 わが家のヤマガラ、シジュウカラ用のバードテーブルのヒマワリの種も好物らしい。
 ビーン ビーンというかジュ―ン ジューンというか囀りキリキリキリと鳴く。
 少し暖かかった日、庭木の剪定をしているとカワラヒワ、ヤマガラ、シジュウカラがやって来て「早く庭から去れ!」と言わんばかりに飛び回ったりして、文字どおり癒される時が流れた。

2025年2月19日水曜日

ウイスキーボンボン

    2月15日にチョコレートのことを書いたが、その後お嫁さん(息子の配偶者)からウイスキーボンボンをもらい、ウイスキーボンボンのことを2012年の早春にこのブログに書いたことを思い出した。
 ブログに書いたことで私の確かな記憶として残っていた。
 そこで、おさらいの意味も込めて妻に「ウイスキーボンボンはどのようにして作るのか?」と聞いてみたが、12年当時は語っていたのに、「まずチョコレートで型を作って・・」と模範的な誤答をしてくれた。
 正解は、コーンスターチ(トウモロコシの片栗粉みたいなもの)に型を押し付けて窪まし、そこへ113℃の砂糖と水とウイスキーで作ったシロップを流し込んで、その上にコーンスターチでカバーすると、翌日以降シロップの表面が砂糖の再結晶で覆われるという(私には)予想外の製造方法だった。
 そういう卸売メーカーが大阪市内にあり、それを買った菓子メーカーがチョコレートでコーティングして売り出しているという。
 12年当時それを新聞で読みブログに書いた。
 そして、『ウイスキーボンボンが好きだった母の「旅行」のお供に入れておいた』と書くと、小中学校の同窓生から悔やみの電話があったので、「よくそこまで読んでくれたと感心した」のを思い出した。
 ウイスキーボンボンは大好きなチョコレート菓子である。

2025年2月18日火曜日

ああ酷税

    2月17日朝、確定申告書を提出してきた。 今年は定額減税がらみの還付額が生じることもあるから、「どうせ還付などないわ」と決めつけずに、国税庁HPのe-taxからシミュレーションしてみることをお勧めする。
 申告会場の「相談」は混んでいるが、「仕上がっています。提出だけです」というと数秒で終了した。

 奇しくもその確定申告初日の17日、しんぶん赤旗のトップ記事は「半導体企業に税金投入2兆円」「自民に献金4.1億円」で、先日国会でたつみコータロー議員が追及した内容のものだが、半導体企業「ラピダス」にこの3年間で2兆円超という巨額の税金を投入し、ラピダス出資企業は自民党に4.1億円の献金をしているという問題だ。
 ちなみに中小企業対策全予算は25年度予算案で1695億円だから桁が違う。
 税金を迂回させて私腹を肥やしている以外の何物でもない。言い方を変えれば、4.1億円の袖の下で2兆円儲けたことにもなる。
 こういう上に政党助成金を懐にし、さらにはパーティー券名目の裏金を得ていたのだから犯罪者集団ではないかと私は思う。
 天井知らずの軍事費予算と大企業へのバラマキを追及せず、103万円だ授業料だと宣伝に余念のない「ゆ」党も「ゆ」党。
 ここは本当に日本共産党を伸ばさなければ暮らしも政治もまともにならない。

2025年2月17日月曜日

西域の夢の抜け殻

    昨日の記事で「西域の夢の抜け殻よなぼこり」と詠んでみた。
 「よなぼこり」は季語「霾(つちふる)」の傍題で、黄砂のことを「西域の夢の抜け殻」ではないだろうかと感じたものを詠んだ。
 古来、玉門関の西のシルクロード沿いのオアシス地域は中華文明とは別の文明であったが、文明の主人公は度々変わり、中華人民共和国建国前後から彼らは「ウイグル族」と呼ばれるようになった。

 民族問題の根底に経済格差(差別)があり、ひとつの事件が大きな暴動に発展したりすることはアメリカの黒人問題(ブラックマター)やヨーロッパの移民、さらにはパレスチナ問題にも共通することで、2009年のウルムチ騒乱などは漢族の女性がウイグル族の男によって強姦されたというデマから出発して数百人規模の衝突事件に発展したもので、関東大震災時の朝鮮人虐殺さえ思い起こさせる。
 その前には2001年の9・11によって「イスラム教徒=過激派」のイメージが非イスラム国で広まっていたから、詳細はいろいろ不明ながら中国政府によるウイグル族への人権侵害は疑えない。

 ただし、「反中」の一点でネット右翼や自民党の右派が「ウイグル民族主義運動」と結びついて煽っている事実も見ておく必要がある。
 以上が、私が「中国政府は少数民族への差別と抑圧をやめよ」という立場から、黄砂を「西域の夢の抜け殻」と感じた所以である。

 ※ 写真はネットにあった「世界遺産の自転車事情を巡る旅日記」さんにあったもの。

2025年2月16日日曜日

霾(つちふる)

    来週いっぱい寒波が居座るというニュースにもうんざりするが、それが明けると大阪近辺では花粉が史上最悪レベルに「非常に多い」と予測されていて今から気が滅入っている。
 春の大気汚染を霞だとか朧月とか言っていた時代は良かったが、実は黄砂だとかPM2.5と解ると詩心もへこんでしまう。
 それでも先人は「霾(つちふる)」とか「胡沙」とか「蒙古風」という言葉を使っていたからなかなか知識は深かった。

    さて、朝のBSの国際ニュースを見ているとドイツの大気汚染がひどく、ドイツ政府は「あまり屋外に出るな」と呼び掛けていて少々意外だった。
 しっかり見ていなかったので環境先進国と思っていたドイツの大気汚染は想像外だったが、画面は薪の暖炉の煙を映していた。そして続いてポーランドの火力発電所の煙突の煙だったから、当然と言えば当然に環境に国境はない。人類はいつになったら地球家族になれるのだろう。

 西域の夢の抜け殻よなぼこり

2025年2月15日土曜日

義理チョコ

    バレンタインデーに娘がチョコレートを持ってきてくれた。
 義理チョコの極みだが嬉しい。
 
 さて先日来、夫婦別姓の話題が喧しいが、自民党の右派と言われる人々は「家族の中に別姓がいると家族の一体感が損なわれる」と言っている。
 そこで思ったのだが、わが娘は世間の多数派のように夫の姓を名乗っている。つまり、私とは姓が異なる。それでもこうして年老いた父親に義理チョコを持ってきてくれる。

 さて右派の人々は結婚して姓が変わった娘たちとは親子の情愛もなくなっているのだろうか。きっとそうなのだろう。
 世間には諸事情で親と異なる姓の家庭もある。「そんな家庭には一体感がないはずだ」というのも失礼な話である。

 12月20日に書いたが、世界中では法律で夫婦同姓を決めているのは日本だけである。
 日本では、1975年(明治8年)に「平民苗字許可令」が出されたがその翌年の太政官指令では、妻は「所生ノ氏を用いるべし」と、生家、実家の姓を称することとされた。夫婦別姓である。その理由を述べた法制局議案には、それが慣習で一般的であり、急に制度を変えては混乱を生じるとある。
 このように、明治よりも前の日本の伝統が夫婦別姓であったことは明らかだ。
 私は、だから一律に別姓にせよと言っているわけではなく、「日本の伝統は夫婦同姓だ」という主張は歴史的事実=学問に反すると言っておきたい。もちろん同姓を希望する人は同姓でよい。

2025年2月14日金曜日

光の春

    「気温の春」はまだ遠い気がするここ1~2週間だが、「光の春」は全くそのとおりだと実感する。
 
 それもその筈で、一年365日を四つの季節で割ると91.25日。冬至から数えればそれは春分になるが、その半分、立春をもう通り越したのだから当たり前だ。
 二十四節気は日本の現実に合わないという批判もあるが、いやいやなかなか侮りがたい。

 〽早春賦ではないけれど、立春の次候『黄鶯睍睆(うぐいすなく)』は当地では早すぎるが、植え込みの中をチャチャチャチャと動き回り、もう50センチほど先まで来てもスマホで撮影は適わない。
 そんな季節の進行を肯定的に味わうと同時に、恐ろしいほどの時の速さに恐怖感さえ覚えている。
 写真はウグイスではなくメジロ。橙を輪切りにして置いたらすぐに突きに来た。

2025年2月13日木曜日

山城国分寺

    過日、山城国分寺(やましろこくぶんじ)発掘調査(第106次)現地説明会に行ってきた。場所は木津川市加茂町の恭仁宮跡(くにきゅうせき)である。
 一言でいうと「山城国分寺の食堂(じきどう)と考えられる建物跡が見つかった」ということになる。
 写真は10時開始を前倒しして出発した第1班だから盛況だった。それにしても考古学ファンの平均年齢は高い。御多分に漏れずそのうちの一人だった。

 恭仁宮(きゅう)、恭仁京(きょう)は、天平12年(740)聖武天皇によって造営され、平城京から遷都したが、天平16年(744)には難波京へ、さらには平城京へ移った短命の京(みやこ)だが、その間に「全国に国分寺建立の詔」が出され、「墾田永年私財法」が定められるなどちょっとした歴史の舞台となっている。

 天平18年(746)恭仁宮跡は山城国分寺とされ、恭仁宮大極殿は山城国分寺の金堂とされた。このため全国屈指の国分寺が誕生した。
 今回の発掘場所は金堂の北東に当たることから、総国分寺である東大寺や各地の国分寺跡から見て食堂だろうと推定されている。

    次の写真は食堂とは関係ないが山城国分寺七重塔跡(1300年前から移動していない礎石群)で、あまりに立派なことに驚かされる。

 最後に恭仁京は、左京と右京が分れており、宮は左京にあり、さらには京の真ん中を東から西へ木津川が流れていて、藤原京、平城京、難波京あるいは後の平安京などから見ても特異な条坊となっている。
 それは前者が隋唐の長安城を模しているのに対して、恭仁京は隋唐の洛陽城をモデルにしたと小笠原先生は、副都制、三都制にも触れて論述されている。

 今は長閑なその地に立つと、それらの歴史が嘘のように感じられる。

2025年2月12日水曜日

使いづらい

    妻が姉から「使い難いので・・」と言ってほゞ新品の電動爪切りをもらってきたが、妻も娘も使い難いと言って捨てるというので、外傷によって小指に障害の残っている私に回ってきたが、正直なところ私も「もひとつ」だった。
 私の小指の障害というのは「曲がったまま」というもので、整形の医師からは「洗顔の折に目を突かないように注意」と言われている。
 その治療の最終段階で心臓の治療を優先したので、それがそのまま固定してしまっている。このため副次的にはこの指の爪が切りにくい。
 幸い目を突く怪我はないが、洗顔の際に鼻の先を爪で掻いて出血することは度々ある。
 そんなもので私に回ってきたのだが、切れ味が悪いうえに変なギザギザが残り、返って顔を傷つけた。

    そこでいつものとおり「シンプルな爪やすりはないか」と考え、いつものとおり百均を探した。
 女性の化粧品関係の棚を「物色」するのは恥ずかしかったが、それらしいあたりに目星を付けて瞬時に単純なやすりを購入した。
 ヨミどおり、私の「後遺障害」対策としてはこれが一番フィットした。
 それにしても100円である。Made in China である。
    製造業の衰退したアメリカではトランプが怒り狂っているが、日本も全く同じ道を歩んでいないか。
 安くて便利な百均を利用しながら、「これでいいのか」と思っている。

 なお、発想を変えてわが家の木賊(トクサ)でこすってみたら、爪なら見事に研磨ができた。さすがに「砥ぐ草」である。

2025年2月11日火曜日

川柳を募ったが募集はしていない

    孔子先生の「學びて思はざれば則ち罔(くら)し」(論語)を私は、「本で読んだりしてナルホドと思ったことは単なる知識にしておくのでなくホンのチョットでも自分もそうしようとやってみなければならない」という風に理解している。
 そこで井上ひさしさんの次の文である。
  「むずかしいことをやさしく
   やさしいことをふかく
   ふかいことをおもしろく
   おもしろいことをまじめに
   まじめなことをゆかいに
   そしてゆかいなことはあくまでゆかいに
」。
 この名言はけっこう有名で誰もが一回は聞いたことがあるだろう。
 以前にこのブログに書いたが、NHKeテレの幼児向け番組「にほんごであそぼ」でも幼児に教えていた。

 そして私はこの言葉を単に文章の技術のことにとどまらず、心の持ち方、社会の見つめ方にも通じることではないかと思っている。もちろん、いろんな原稿を書く場合の教訓にもしている。(しかし「お前のブログは難しい」とのお叱りは多々ある・・それはさておき)
 そんな気持ちで今般、担当している「会報」に「川柳募集」とお願いしたら、早速10句近くが集まって喜んでいる。反対に、日頃、口では「重要な」問題を語る方ほど投稿のないのはどうしてだろうと考えている。
 「老人は請われれば一差し舞え」という言葉もある。何をどう舞うかと考えるか、舞うことをしないですむ尤もな理屈を考えるか、人生、詰まるところ二者択一かもしれない。

2025年2月10日月曜日

ヒヨドリはグルマン

    1月22日に『花盗人』を書いたときの写真が上の写真。
 香りだけでも甘さが伝わってくるロウバイの蜜を吸ったり花を食べにくる。
 テキストに「ヒヨドリの大好物は花の蜜や果実」「甘いものを特に好む」と書いてあるとおりだ。

 さて、いま作業中の退職者会会報に投稿した私の川柳の柳号は「長谷皮蛋」。皮蛋(ピータン)は癖があるが食べれば美味しい。それはさておき・・

    ヒヨドリの中にもグルマンがいるようだ。
 あるいは季節は厳冬期。食糧事情が悪く背に腹は代えられぬというのだろうか。
 まさか鳥害などあるまいと思っていた菊菜(春菊)を食う野菜盗人がいるとは思わなかった。
 それが下の写真で、バックの菊菜と見分けが困難だが嘴に葉っぱを加えている。そして食べている。

 菊菜は各種鍋料理も引き締める。私は好みでもある。
 だから菊菜盗人には腹が立つが、それ以上に「事実はテキストよりも奇なり」と、グルメヒヨドリに感心している。

2025年2月9日日曜日

かかりつけ医

    薬も切れるので、かかりつけ医に行ってきた。
 妻も行っている近所の内科はいつも混んでいることもあり、私は少し離れた医院に行っている。
 アブレーション手術などもした病院からかかりつけ医に戻るとき、ドクターから「あなたの場合は元のかかりつけ医がいいでしょう」となったこともあるが、そもそもその話の前提となる情報は私がドクターに話したことにある。

 さて今回、看護師さんによる血圧測定をすると160を超えていたので「測りなおしてください」と言って測りなおしてもらったら170をさらに超えてきた。朝食後降圧薬を服用していたにもかかわらずだ。
 そこから医師と対面したのだが、その数字を見ても全く動じず、「今日は寒いからなあ」で終わり、問診で「近頃息切れがする」と言っても「歳やしなあ」で終了した。
 ほんとうは名医かもしれないし、そんなことを心配する方が体に悪い・・ということかもしれない。

 病院のドクターが「あなたにはその先生があっているでしょう」と言った思いもそこにあったのではないか。
 ドクターショッピングという言葉があるが、体の不調ばかりに注目して暮らしても辛いところがある。
 どこまで続くかわからないが、当面は「高齢者には不調があって当たり前」と居直って生きていこうと思う。

2025年2月8日土曜日

印綬と玉杖

    日本書紀崇神10年9月6日条「九月丙戌朔甲午、大彦命を以て北陸に遣し、武渟川別を東海に遣し、吉備津彦を西海に遣し、丹波道主命を丹波に遣したまふ。・・・既にして共に印綬(しるし)を授ひて将軍と為たまふ」・・いわゆる四道将軍のことで、桜井茶臼山古墳は大彦命の、メスリ山古墳はその子である武渟川別の古墳である・・というのが小笠原好彦先生の主張。
 その講義の折、時間がなく質問ができなかったが、その根拠をもっと知りたい。

 先生は両古墳から出土した玉杖こそレガリア(王権の象徴)であり、これまでの学者が「単なる儀仗用の杖」と解していたので被葬者にたどり着けなかった」と・・。
 だが、「しるし」とルビがあるが「印綬」は「印綬」ではないのか。
 書紀編纂時には印綬がレガリアとの理解が広まっていたからそう書いたのか。
 仮に水戸黄門の印籠にするには印璽の文字を相手側が読めずに効果を生じないからというのであれば、美しくはあるが「玉杖」であっても、相手側がそれを大王の将軍の身分証明書と理解できたのだろうか。

 四道将軍を派遣して国を広げたという崇神を事実上の初代大王(後の天皇)であり、書紀の記述が歴史を一定反映しているということに同意はするが、もう少し考古学的な証明が欲しいものだ。

2025年2月7日金曜日

日本書紀について

    戦後は「日本書紀は後の為政者が捏造した内容だから研究に値しない」との主張が広まった。・・しかし 、本当にそうか。
 「考古学などで一つひとつ検証するのが学問だろう」というのが小笠原先生のスタンス。
 先日の「富雄丸山古墳の被葬者は麛坂王」という提起もそういうことで、私も大いに納得している。
 先日の講義ではそのことに関連して私の名をあげて「麛坂王ではなかったが長谷やんの忍熊王でないかという意見は理論的には大いに的を射ている」と説明があって恥ずかしかった。

 さて、詳細は別にして、5世紀に「倭の五王」と呼ばれる大王がいたことに異論を唱える学者は一人もいない。
 それらの「天皇」の陵墓が主に百舌鳥古市古墳群にあるというのにも異論は少ない。
 その巨大古墳のどれかの被葬者が、第15代応神、16代仁徳、17代履中というのも同様。
 そして真の初代天皇と目されている崇神天皇が第10代だから、応神の時代からしてそれはほんの少し昔と言える。それらが日本書紀に記されている。

 どちらかと言えば「文献史学」は苦手だが、だからと言って「史料のない時代の歴史は語らない」というのもどこか逃げているように思う。
 少し宗旨替えをしようかと思っている。

2025年2月6日木曜日

この本自身がクイズ

    小川哲著『君のクイズ』という本を読んだ。
 
 推理小説なのか青春小説なのかジャンルは知らない。短編小説ではない。
 「息子が置いていったから」読んだだけのことで、途中いろんな本を読んだので読み終えるまでに長い間を要した。
 というように適当に読み進んだのだが、後半面白くなって、けっこうハマった。2023年本屋大賞ノミネート作品だ。
 
 テレビのクイズ番組は嫌いではないがそれほど見ない。
 それでも、自分がクイズをしているような気持になった。
 そして、対戦相手と出題者が不正=ヤラセではないかという推理に引き込まれていった。

 乱読バンザイ!

2025年2月5日水曜日

定額減税

    少し気が早いが住民税を申告する準備をした。
 収入は公的年金のみで、控除される医療費も幸いなことに一昨年以下であったから、国税の確定申告は不要で、住民税のみの申告となるだろうというのを前提に作業をした。

 その後、自分の勉強も兼ねて念のため国税の申告書を作ってみると、なんと還付が生じたではないか。
 放っておいてもよいぐらいのものだが、定額減税の影響でそうなった。これは想定外だった。
 こんなケースもあるから、私のような方々は、頭から「還付などないだろう」と決めつけず、国税庁HPの確定申告書作成フォームで一度計算されることをお勧めする。

2025年2月4日火曜日

3日は立春

    2日の節分の話はいくつか書いたが、その翌日の立春については目新しい話はない。
 写真は立春というよりも「節分の翌日」の風景で、庭にキジバトがやってきたという写真。お察しのとおり、豆まきの後始末をしてくれている。

 駅にいる鳩はドバトといって野鳥にはカウントされていないが、キジバトは野鳥とされている。
 野鳥とは、家禽(家畜の鳥版)やペットでないという概念だから、そういう意味ではドバトも野鳥としてやってもよいように思ったりするが、一旦は伝書鳩として人に飼われたところの、野良犬、野良猫並みの野良鳥とされている。そういう意味では学術的な定義ではなさそうだ。

 ドバトを見てどう思うかは人それぞれだろう。
 オリンピックや原爆慰霊祭などで放たれる鳩を思う人もあれば、糞公害に眉を顰める人もいる。私自身ターミナルで被害にあったことがある。
 なお、古い話で恐縮だが、アグネス・チャンが来日近くに語っていたが「日本の公園や駅前にたくさんいる鳩を見ると、どうしても≪美味しそう≫と思ってしまう」というのには「世界の多様性」をつくづくと感じさせられた。
  

2025年2月3日月曜日

続麛坂王説

    1月27日の『被葬者は麛坂王』のコメントに書いたとおり、1月31日に朝日新聞が奈良版で当該講演をけっこう大きく掲載した。
 そもそもだが、NHK出版新書『新・古代史』(2025年1月10日第1刷)でも「富雄丸山古墳に葬られたのは誰か」という小節が設けられているが、その結論は、奈良市埋蔵文化財センター職員の言葉を引用して「・・この時期の最高権力者である大王の墓のつくられた佐紀古墳群から離れており、なおかつ前方後円墳でないということは、佐紀古墳群の勢力と少し距離を置く人物の可能性がある」という「謎」で終わっている。
 そういう意味でも、小笠原先生の提起した説は画期的と言える。

2025年2月2日日曜日

焼かがし

焼かがし。
わが家の節分行事終了。



節分で一献

今夜使う『ぐい呑み』 
外は鬼。 内側には福の文字。
陶芸作家の作品だが、お名前は失念した。
刻印からブログを遡れば判明するかも?