2012年11月29日木曜日

落葉掃き考

  カレンダーの風景写真などを見ると諸外国でも素晴らしい紅葉(こうよう)がたくさんあるが、さて彼の地にも「紅葉狩り」的な風習はあるのだろうか。
  「諸外国には素晴らしい紅葉があまりないとテレビで言っていた」と妻は言うが、カナダ楓、アメリカ楓、アメリカハンノキ、アメリカハナミズキ、ナンキン櫨等々があるのだから「ないことはない」と思う。
  もし「ない」としたら、『枯れ落ちる直前の美』を愛でる感性やそれを許す穏やかな気候(秋)がないのかもしれない。

「紅葉には鹿」が定番でしょう
  と言って、私が紅葉を愛でるようになったのも歳を重ねてからのことであるから、「日本人イコール紅葉狩りをする」的なワンパターンの理解もまた正確ではないだろう。
  同様に「紅葉イコールもみじ」という発想もちょっと薄っぺらな感じがし、諸々の「雑木もみじ」も棄てがたいのではないかと私は思っている。

  「雑木もみじ」の身近なところは街路樹だが、転居前の家の幹線道路の街路樹はプラタナスで、その名が詩的でパリを思わせる情趣があり、私の世代などは「はしだのりひことシューベルツの」と結びついてしんみりするのだが、一転これが落葉となるとどう贔屓目に見ても大量のゴミにしか見えず、幹線道路沿いの方々は毎年この季節にはタメ息をついておられた。
  そして現在の家の裏の遊歩道は中央にケヤキが植えられているのだが、この大木たちが撒き散らす大量の落葉もなんともナカナカに微妙である。
  私は溜まった落葉をザクザクと音を立てて歩いたりして楽しみたいが、ご近所の方が挨拶の際「かないませんなあ」と嘆くのも判らなくもなく、「ええ」とかなんとか当たり障りのない返事をして落葉掃きを行なっている。
  私は、どちらかというとレレレおじさんのように竹箒で落葉掃きをするのは好きであり、公道の落葉掃きが不満というようなケチなことではなく、もっといっぱい落葉を楽しんでから掃きたいと心の中で思っているのである。
  先日、老人施設の家族会として施設の庭や幹線道路の落葉掃きもしたが、ここでも内心ではもうちょっと落葉を楽しめないかなあと思ったりしたのだが、それはあまりに少数意見なので冗談めかして吐露するに止めてきた。(ただし、ここの落ち葉の量は半端じゃない。)
  このように、住宅地と言われる街で落葉を楽しむという発想はかくも論外とされているようだが、そうだろうか。きっとそうなんだろう。
  近頃の子供が『焚き火』の歌でどんなイメージを抱いているのかは、全く想像も及ばない。
  さて、家の近所の幹線道路の街路樹は銀杏(いちょう)並木で、銀杏の黄葉と落葉の季節はこの道路が周辺よりも格段に明るく輝く。これは大袈裟ではなくほんとうにそうである。
  で、歩道橋の上からそれを見ると、決まりごとのように『公園の手品師』を口ずさみたくなってくる。
  フランク永井が歌った『公園の手品師』は名曲だと私は思う。
  「歌は世につれ」と言われるが、近頃はこんな名曲が出てこないということについては妻も同感だと言っている。
  それは、時代が殺伐としてきたためだろうか、それとも現代の名曲にヒットしなくなったほど私の感受性が衰えたためなのだろうか。

  だが、そんな風に達観を装ってもいられそうもない。
  自民党や維新の公約を新聞で読む限り、憲法や民主主義を巡って歴史が大きく逆流する危険が高まっているように私は感じる。
  感覚を研ぎ澄まして、それらに待ったをかける理性的な世論が広がるよう、日本共産党の前進に期待したい。
  「愛情の反対は無関心だ」とは元宇宙飛行士で今フクシマ難民の秋山さんの言葉である。
  ある種の怒りもまたこの時代の大事な感受性であろう。

2012年11月26日月曜日

秋グミは大人の味

  妻がポケットからグミの実をたくさん取り出した。
  家からすぐ近くの、毎日のように歩いているいつもの道で採ったのだという。
  ということは、私も毎日眺めていたはずで、何を「ちょっと秋を撮りにいってくる」だ・・・と、己が観察眼の曇り具合を大いに大いに反省している。

  これは秋グミで、夏グミや、もちろんビックリグミと比べると相当小さくて丸い。
  植え込みの中に生えているのだが、どう見ても人が植えたというよりは野鳥が運んできて自生したものと思われる。(もしかしたら植栽されたものかもしれない。)
  昔、庭にビックリグミを植えたことがあったが原因不明で枯れてしまった。
  その一方でこのように自生し大きくなって実をつけているのだから、自然界は偉大である。
  去年の秋は楝(おうち・せんだん)の有毒の実を食べて失敗したが、これならそういう心配はない。
  タンニンの渋みが後に残るが、渋みは大人の味である。
  そう、甘いだけの果物は面白くない。こういう酸味や渋味という雑味を好まないお方とは友達になれない気がする。

  さて、「大人の味」とは言ってみたが、やってきた孫の夏ちゃんは秋グミが気に入ったらしく、茎だけ器用にむしり取ってパクパクと口に放り込んだ。なかなか渋い趣味である。
  アッアッと言って私が口の中から取り出そうとする前に・・・、実の中の小さな種は出さずにすべて食べてしまった。
  まあ考えてみるとトマトも種を出したりしないから、「これもありか!」とその後は全部見過ごすことにした。
  秋グミはなかなかに楽しく味わい深い草木である。

  余談ながら、私より少し上の世代が歌声喫茶全盛の世代になる。
  そして、ダークダックスなどによって私達の世代も何となくそれを知っている。
  その中に「ウラルのグミの木」という歌もあったが、原詞はナナカマドだったらしい。
  こんな訳(やく)ってあり? と、いつか新進気鋭のロシア文学翻訳者に尋ねてみたいと思っている。

2012年11月23日金曜日

ダンドリ君のパパ (Ⅱ)

  私は現役時代、業務をマニュアル化するのに努力してきた。
  それは、頻繁に行なわれる人事異動でどんなアクシデントがあっても、最低限の業務の水準を維持し次に継承したいという気持ちからだった。だから、私はマニュアル全般について否定しているものではない。
  だがしかし、一旦マニュアル化されてしまうと、制度の主旨や精神を考えることを止め、改善の意欲が停止してしまうかのようなこともあり悩ましかった。
  そして現役を卒業し、間髪を入れず老朗介護に突入したのだが・・・・・・・、
      (以下の問題意識は過去のブログと重複する)

  先日、音楽療法の勉強会を行なった。
  近頃の講演はほとんどがパワーポイントを使ったプロジェクターとスクリーンで行なうものだから、レジュメもなく、正確な理解が記録できない・・・・と、機械のせいにして己の不真面目さを責任逃れする。あはは
  つまり、私の非常に不正確な理解であるのだが、それは、音楽はもちろん心理学などを修めた音楽療法学科卒的な音楽療法士による、極めて計画的な非薬物的療法であるらしい。
  確かに、その実践は非常に巧みで参加者全員が心地よく会場を後にした。
  しかし私は思うのである。
  歌といっても千差万別、被治療者も千差万別、いろんなアレンジがあるはずのものを「音楽療法」という定義が幅を狭めていることは実際にないのかと。
  現に、これまで幾らかの音楽療法を見てきたが、その歌は圧倒的に唱歌のようなものだった。
  高齢者の想い出の歌はほんとうに唱歌なのか。わらべ歌なのか。
  現在80歳の方が38歳の時は1970年(昭和45年)。「知床旅情」も「女ひとり」も私の訪れていた部屋の皆さんは大好きだった。唱歌よりも恋の歌の方が顔が輝いた。
  かくして、「音楽療法」と“構えたもの”に、私は若干違和感を覚えるのである。

  高齢者介護の中には「回想(療)法」というものがある。
  これも基本的には私は門外漢である。
  だから六車由実氏が「驚きの介護民俗学」で批判的に書かれている部分を孫引きすると・・・、
  1クール8回の場合、1回目「ふるさと」、2回目以降「昔の遊び」「学校」「結婚」「子育て」「仕事」「お正月」「今、やりたいこと」というテーマに沿って、メモをとらずに計画どおりに傾聴していくものらしい。
  だから、私が実母や義母とやってきたものは全くの別物なのだろうが、私は「あんなん教えて、こんなん教えて」とメモをとり、少し面白かった話はブログに書いて、「おばあちゃんの話を全世界の人が見やはるねんで」と見せてきた。
  あるときは、実母がそれを見てワーっと泣き出したのでスタッフの皆さんが驚いて駆け寄ってきたことがあったが、それは感動のうれし泣きだった。
  私流の回想法で介護してきた・・などとおこがましく言うつもりは毛頭ないが、マニュアルの外にも素晴らしい介護があるのではないかと思ったりするのである。

  と、ダンドリ君のパパは偉そうに悩んでいる。

2012年11月21日水曜日

ダンドリ君のパパ (Ⅰ)

  息子は「ダンドリ君」という漫画を揃えて持っている。
  そんな本を持っているぐらいであるから、息子も結構ダンドリ君のようだ。
  娘も同窓会などの準備を見るともなく見ていると、結構いろんな趣向を準備している。
  妻は「二人ともお父さんの背中を見て育ったんや」と言う。
  例えば、同じ行事をするなら、つい、ありきたりのものでなく楽しんで喜んでもらえるものを!と考えてしまうのは大阪商人の血なのかもしれない。
  だから反対に、一参加者としてダンドリの悪い行事やズボラな企画を目の当たりにすると、少しイラついてしまうのがよくない・・これは良くないことだとは重々承知している。

  ところで、巷間では、ダンドリ君とマニュアル人間が混同されている向きもあるが、臨機応変に判断できないダンドリ君は失格であるし、誤差や「遊び」を読み込まないダンドリは失敗する。ダンドリ君はマニュアル人間ではできないものである。

  さて、寒気の天気予報とともに自治会の餅つき大会の準備が始まったが、私はその「大会顧問?」に招聘されている。
 そこでのやりとりは・・・・・、
    〇「もち米2升は2.8kgとあるが、去年の実績と計算が合わないが?」
    私「多すぎたら臼からはみ出るし少なすぎたら搗きにくい。ただそれだけだ。2升でよいのだ。」
    〇「蒸し時間用のタイマーは購入すべきか?」
    私「美味しい匂いがしてきたらチョット摘まんで食べたら解る。日本人なら必ず解る。」
    〇「薪コンロに着火材が必要では?」
    私「頭と斧を使えばすぐに点く。」
    〇「大根おろしのためにフードプロセッサーが要る?」
    私「おろし器を持ち寄って子供たちに卸させよう。」
    〇「綺麗な舗装で傾斜した土地に薪コンロをどう据える?」
    私「レンガの数でレベルをとり鉄板を置いてマサ土を乗せて微調整をする。そんなことはどんな本にも書いていない。私が考えただけ。」
    〇「危険だから子供達をどう離れさせようか?」
    私「危険と隣り合わせの大人の行事の中で子供達は成長するのだ。(そして大人も)」
・・・・・・と、言ったところで、これが私のダンドリの程度である。
  誤解しないでほしいが、他の役員がマニュアル人間だなんて言っているのではない。
  それだけ「餅つき」が一般市民には遠い存在になっただけのこと。
  でも、この国の未来を少し心配している。

2012年11月19日月曜日

猿石は嗤っている

明日香村
  私の散歩先である「石のカラト古墳(奈良市と木津川市の府県境にある)」と、明日香のキトラ古墳、マルコ山古墳、高松塚古墳の横口式石槨が極めて似ていることから、その各古墳の出土品や史料と照らし合わせて高松塚古墳の被葬者を特定しようとする研究がある。
  その内容を書き始めると一冊の本になるので書かないが、私などはA先生の講義を聴くとナルホドと思い、B先生の説を読むとナルホドと思ってしまう。
  著名な学者の見解だけでも、天武天皇、蚊屋皇子、百済王善光、高市皇子、弓削皇子、忍壁皇子、紀麻呂、葛野王、石上麻呂・・・と言ったところである。
  そんな折、明日香村、保存財団、関西大学、朝日新聞社の主催による「高松塚古墳壁画発見40周年記念講演会」が明日香村で開催されたので、40年の研究の成果が聞けるぞと、非常な興味を持って参加した。
  内容は朝日新聞25日朝刊に掲載されるはずであるが、今回の私の関心事であった被葬者の部分だけを言うと、猪熊兼勝大先生が記念講演で「忍壁(刑部)皇子」と発言されたため、二部のパネラーの田辺征夫、米田文孝、森岡秀人各先生が、先の4古墳の石槨の変化や土器や史料を挙げて異説もあるというようなないようなムニャムニャムニャという言い方だったので大いに失望した。がっかり・・・・。
  これでは学問というよりも、古くは親分子分、新しくは物言わぬヒラメ社員ではなかろうか。
  40年というと、当時20歳で網干善教先生の手伝いをしていた森岡秀人大学生がその後就職をしてすでに定年退職したという長さである。
  問題は見解の適否ではなく、大先生であろうが誰であろうが「私はこう考える」と言わない現役先生方の姿勢である。
  だけど・・・胸に手を当てて考えてみると、何事によらず堂々と理性的な議論を行なうことを避ける内向き傾向は、私を含め現代日本の世間一般に蔓延しているように見える。
  そして、そんなうちに東西の品のない「(元)首長」等の弱肉強食の声高な主張だけがマスコミによって拡散していっている。これでいいのだろうか。
  あの明日香の猿石は、そんな現代人を嗤っているのではないだろうか。

2012年11月17日土曜日

まっちゃまちの買い物

  まっちゃまち(松屋町)は大阪の人形と玩具の問屋街で、「ぶらり散歩」が楽しい街である。
  どちらかと言うと、夜店(屋台)の景品用の安物の玩具をウィンドウショッピングするのが懐かしくて楽しい。
  紙風船と吹き戻しセットなら10円か20円。
  そんな中に野菜を包丁で二つに切ることのできる「ままごとセット」のようなものがあったので買ってみた。税込み200円。
  帰ってから孫にもできるだろうかと思ってテストをしてみると、野菜の切れ目がマジックテープのようになっていて、それが結構強力なものだから「これはチョット失敗した」と後悔した。
  しかし、やって来た夏ちゃんは天才で、教えもしないうちから野菜を包丁で力いっぱい切り始めた。包丁は横に倒れていたが、少なくとも「爺ばか」にはそう見えた。
  どうしてこれが包丁で、そして切るものだと判ったのだろう。
  「まなぶ」とは「真似ぶ」からきた・・・というのが語源学的に正しいかどうかは知らないが、教育学的にはよく使われる例え話である。
  大人の真似をするというのが楽しくて、それが知恵の始まりであるというのは納得できる。
  夏ちゃんは食事の時に何回も「・ぱ~い」と言って乾杯を繰り返し、お茶を飲んでは「ぷはぁ~」と言って「爺ばか」の真似をしてくれる。「真似んでいる」のだ。
  そう・・・チョット洒落た言葉を選んだ乾杯の音頭って結構難しいものなのだ・・・。
  だから、そういう夏ちゃんの乾杯を見ながら、「この子はきっと好い社会人になって洒落た乾杯の音頭をとるに違いない」と夢見てニンマリしている。

2012年11月14日水曜日

木雲雀

  ビンズイは『タヒバリそっくりさん』のため、木の枝に留まることもある習性からタヒバリに対して木雲雀(キヒバリ)とも言われている。
  識別は目の後ろの白い斑と、Olive backed Pipit(背中がオリーブ色のセキレイ)という英名のとおりのオリーブ色だから写真はビンズイに100%間違いない。
  和名の由来は「ビンビンズイズイと鳴くから」と本にあった。「ほんまでっか」と言いたいがそれ以上に説得力のある説にお目にかかっていない。
  ビンズイは夏は高地にいて冬には平地に降りてくる。
  こういう鳥の場合季語はどうなるのかと思ったら、歳時記では『夏』に載っていた。
  私の感覚では『冬』なのだが、粋な俳人は避暑地の夏にビンズイを一句読んだのだろうか。
  「それはチョット庶民感覚とズレてまっせ」と感じたが、土地によってそれぞれだから、全くの誤解かもしれない。
  まあ、私(わたし)的には「秋の使者到来」と思っている。
  こんな秋も見つけました。

2012年11月10日土曜日

こんな秋も見つけました

  ならまちでビハーラ僧の講演とシンポジュウムがあったついでに秋を探しに奈良公園を散策した。
  すると、春日奥山への入口でシロハラが集団で食事をしているのに出くわした。
  今冬初の出会いだと思ってシャッターを押したが、帰ってからよく見ると胸が赤いので驚いた。きっとアカハラだと思う。(背中の感じや大きさからマミチャジナイではなさそうだ。もし間違っていたら指摘してください。)
  私としてはシロハラよりも出会う機会の少ないアカハラだったので「得をした」気分になった。
  そのすぐ先でクサギの花(??正確には実)が満開で、モミジの紅葉と競っていた。(花は夏に白い花らしい花が堂々と咲くのだが、この実の美しさはどうだろう!)
  この木、「臭木」などと言われるものだから 不当に低い評価をされているように思われるが、星型のガクの先っちょに貴石にも似た藍色の実がとても美しい。
ちなみにクサギの花(ネットから)
  もっともっと晩秋の風情として讃えられてもいいのにと、彼女の薄幸に同情する。

  ムクロジの老大木の前の、・・・土産物屋というほどのこともない小さな小さな店の夫婦が人懐かしげに出てこられたので、「ここに昔はアオバズクがいましたね」と話しかけると、その昔は白いフクロウなどいろんなミミズクが来たと言う。
  「それはそれは可愛い声やった」と目を細められた。
  私の経験からも、アオバズク、アカショウビン、サンコウチョウ、オオルリ等々は近年奈良公園でほとんど見なくなった。これは奈良公園の方ではなく渡り先の東南アジア等の乱開発のせいだろうが、そこにはきっと日本人と日系企業が介在しているのだろうなあと想像すると胸が痛む。
  「ムササビもいるのでしょ」と聞くと、「毎晩眠ろうかなという時間になると天井裏を走り回りますねん」とのこと。
  聞いている私は大いに微笑ましく笑ったが、当事者はどうだろう?(まあ、それほど深刻そうでもなかったのでホッとした。)
  家の前の道路上のムクロジの老大木も近々伐採され道が広げられるらしい。
  まったく幹線でもないこんな道を広げる必要もないのにと思ったが、「そろそろ何時倒れてくるかも判らない」という夫婦の心配も判らなくはない。
  しかし、「若草山にケーブルカーまがいの施設を造りたい」という、まったく古都に似つかわしくない非文化的な知事のことだから、そこへのアプローチの道路拡幅なのかも知れない。そんなことを考えると背筋が寒くなるがそれは立冬のせいかもしれない。

2012年11月6日火曜日

蛙は止揚する

  ゲーム時代の若者は、現実問題にチョット躓くと、青春や人生(というほどの年月でもないが)をリセットしたいと願望するらしい。(その辛さが解らないわけでもない。)
  しかし、それが「その後に身に着けたノウハウでもう少し上手い生き方をしたい」ということだとしたら少し寂しい。
  若者達には、リセットではなく「無駄」な失敗を重ねて「螺旋状の発展」をしてほしい。
  ということを「縄文の世界像」の展示を見ながら考えた。

  さて、縄文土器には蛙の絵がしばしば登場する。
  それは何故かという解釈には百家争鳴の感がある。ほんとうに百家争鳴だ。
  私は、・・・卵からオタマジャクシになって蛙になって土の上に上がってくる。・・・縄文人は、そこに、ある種のアウフヘーベンを感得したのだと思っている。
  これは、博物館の縄文土器のエネルギッシュな文様に圧倒されながら見学する中で、学術的・論理的ではなく、感覚的に感じとった我が珍説である。
  古代人も、変身願望があったんや。己がレベルアップを目指していたんや・・と。
  とすると、アスナロがスギになるよりも、オタマジャクシがカエルになるのは目前の驚異的出来事で、そこに、及びもつかない、信じられない力を感じ畏怖したのだと思う。
  それをカミだとかアニミズムだとか精霊だとかに分類したがるのは後世の人間で、古代人は素直にそんな蛙にアヤカリタイと念じたような気がする。
  それぐらいの感動がなければ、あんなエネルギッシュな(カエルの)文様は誕生するはずがない。
  縄文の展示には、弥生にない“わくわく感”があり、岡本太郎が乗り移ってきたような昂揚を感じる。
  こういう感情は、本やテレビからは湧いてこない。

2012年11月3日土曜日

グレイトグランマ コレクション

  再生可能エネルギーが脚光を浴びているが、『再生可能衣服』の王様なら毛糸だろう。
  その上に、今冬などは節電、省エネということで、『ワコール男性用毛糸パンツ「ふわふわ」』が注目されているらしい。
  テレビの初期のCMに「カンカン鐘紡 カンカン鐘紡 赤ちゃんの時から鐘紡毛糸」というのがあって耳に残っているが、半世紀を経た今も、このように堂々と毛糸が闊歩しているのには脱帽する。

  義母は一時期などはほとんど寝たきりだったが、老人保健施設に入所してから確実に改善されている。
  それは、施設のリハビリもあるが、少し心に余裕のできた妻や私などが、昔の縄ない等の農作業のことを聞いたり、あやとりを教えてもらったりという、いわば「試行錯誤の家族介護」もプラスに働いた結果だと思っている。
  そして今回、「曾孫にマフラーを編んでくれたら嬉しいけど・・」と言ってみたところ、「そうか」と言って動き始めた手は自動運転のように進んでいった。
  「雀百まで」というか、こういう能力は全体的な要介護度とはまったく別の箇所で不滅らしい。
  で、これまで妻と私が編んで貰った作品の一部を上の方にアップした次第。

   ブログの下書きを見せて、 「お祖母ちゃんの作品を世界中の人が見るねんで」と言ったら、「そら、えらいこっちゃな」と嬉しそうにまた少し元気になった。そして、すぐに「疲れた」と言って寝転んでしまった。写真は一瞬の元気を捉えたもの。