奈良は古い都であるから当たり前のようにも見えるが、陰陽道(おんみょうどう)は平安期、つまりは京の都で発達したものだから、それがどのように古都(南都)に及んだのか、勉強不足のまま放っておいていた。
さて、奈良市高畑にある奈良労働基準監督署などと道路を挟んで西側は紀寺という地名であるが、そこにバス停「幸(さいわい)町」がある。(幸町という地名は奈良市にはない)
先日そのあたりにお住いの先生からそのいわれを聞いたところ、そのあたり(の一部)は、旧町名が幸町であるだけでなく、現代でも普通に幸町と呼ばれているらしい。まるでタイムスリップしたアンダーグラウンドだ。
そもそも陰陽道・陰陽師のヒーローは安倍晴明だが、その師は賀茂忠行で、安倍晴明の家系は後に土御門家として隆盛を誇ったが、賀茂家の方は少し後方に下がり、その庶流の「幸徳井家」は南都にて南都陰陽師となった。
そのため、その居所が「幸徳井町」と呼ばれ、その後、その簡素化された町名が幸町となって残っていたということだ。(今は紀寺という町名に吸収された)
冒頭に言った陰陽町(いんようちょう)はそこから少し西に行った場所になる。
そういえば、その近くで、中世の庶民信仰の遺物が豊富に残されている元興寺にも、道教・陰陽道の護符等の遺物が多いから、ナルホドと理解が進んだ。
蛇足ながら、賀茂家の祖先は吉備真備と伝えられている。
南都図絵にも吉備塚の前で祈る(南都)陰陽師が描かれている。
それにしても奈良は面白い。古代や中世があちらこちらに顔を出している。
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