ドラマの中で、穂高を偲ぶ場で桂場が酔っぱらって、権力にすり寄る守旧派をなじり、司法の独立を叫び、尊属殺人に関わって「法と道徳の分離」を語るのも新鮮だった。
そこで統一協会問題を想起した。
世界基督教統一神霊協会(統一協会)は合同結婚式や霊感商法で世間から批判を受けていた90年代後半、看板だけ変えて生き残ろうと「世界平和統一家庭連合」に名称変更を画策し、下村博文文科相がそれを認めた。
2000年を越えてからは、その家庭連合(統一協会)が「家庭教育」なる主張で社会への浸透を企て、その結果自民党や維新の議員が手足になり、地方自治体では少なからず「家庭教育支援条例」なるものが制定され、2006年には安倍政権が教育基本法を改定して「家庭教育」を新設した。
伝統的家族観が崩壊したから非行や不登校が生まれたとするその主張は、男尊女卑の家父長制の復活であり、強権力で道徳、ひいては思想を取り締まろうというもので、寅子や桂場や多岐川が唾棄した権力に群がる者どもの主張と同じだ。
朝ドラを見ながら、統一協会やその手先になった政治家の主張が、ドラマの時代、何十年も前に克服された法制度の「引き戻し」・・「戦後レジームからの脱却」であることが浮かび上がった気がした。