音楽療法の場などでよく童謡が歌われることがあるが、何か高齢者等が嫌に子ども扱いされているようで違和感が残る。
それでも、唱歌の中で好きな歌のひとつに『夏は来ぬ』がある。
散歩道の卯の花はハコネウツギなどいくつかの種類があるが、あまり花らしい花は卯の花としては風情に欠ける。
写真のは散歩道に出るまでのわが家の花だが、忘れてはしまったがサラサウツギだと思う。卯の花はこれぐらいの地味さがよいと感じている。
『夏は来ぬ』のもう一方の主役のホトトギスは、20日に奈良市の佐保の地で聞いた。
佐保は奈良時代の天皇や皇后の奥津城(墓域)であり、ホトトギスは多くの民話などで死出(冥途)の使いとされている。
あまりにぴったりの取り合わせに情趣さえ覚えた。
去年は楝の花が「豊作」だったから今年は少し少ないかもしれない。
しかしこの歌詞は知っていても楝というのを知ったのはけっこう歳をとってからである。私が「もの知らず」であっただけなのだが。
そういえば童謡や唱歌の中にも格調の高い文語の詩が少なくなく、小さい頃は訳など考えも理解もせず歌っていた。
そして現代、歌のジャンルはハードロックかなんか知らないが、というかレゲエ、ラップ、ヒップホップなどの違いも知らないが、現代の歌はやたらにテンポが速くて歌詞など頭を素通りしてしまう。
人はそういう愚痴を「年寄り」と笑うのだろうか。
「佐保(山)は皇族の奥津城(墓域)だ」と書いたが、3月15日に書いたとおり、大宝律令の喪葬令などで墓(古墳)はどこにでも造れるものではなくなってきた。
返信削除だから、飛鳥の檜隅(ひのくま)や奈良時代の佐保(山)は皇族の墓域で、高官といえども貴族は墓(古墳)を造れなかった。
これが有力な説とされている。大事な観点なので覚えておこう。