その名前の的確なのに感心している。
わが街周辺では田植えの準備が進み「水鏡」が生まれている。
ただこの茱萸、、もしかしたら苗代とは別の夏茱萸かもしれないが、棘の鋭さや季節からいうと苗代茱萸のような気がしている。
名前は別にして、ここ何日もゆっくりした散歩をしていなかったので、人の手の届くところはすっかり収穫されていた。残念。
さてウクライナ民謡に『小さなグミの木』というのがある。ウクライナ独立前はロシア民謡とされていた。
キーウ(キエフ)はロシアの古都、故郷のようなものだから、侵略は全く肯定しないが、少なからずロシアの民衆がプーチンを支持する感情の底にはそういうものがあるのかもしれない。
ただそれをいうと、大陸の国家やその国境線についてはみんな言い分があるだろう。
トルコだって、後漢から唐にかけてその(中華の)すぐ北にいた突厥が故地だと言えば収拾がつかなくなる。
そういう意味で、イスラエルの現職の大臣が「ここは旧約聖書で明らかな国土である」と主張している論法は論外だと思う。
しかしながら、この列島にいてはそういう機微がもうひとつ分からない(分からなすぎる)ことがある。
ともあれ、ウクライナ民謡を足掛かりに彼の地に思いをはせて、「プーチンは侵略止めよ」の声を上げ続けようと思う。「微力ではあるが無力ではない」の言葉を信じながら。
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