ヨーロッパでは毒蛇がほとんどいないのに、各種知識や情報蓄積がない乳幼児が蛇の絵に忌避反応を示したという論文があるらしい。
その大学や京大の見解では、はるか以前ホモサピエンスの祖先が樹上生活をしていた時代の最大の脅威の一つが蛇だったので、その記憶が遺伝子に反映しているという。この話はけっこう広く知られている。
写真は、つり橋の途中で火野正平がへたりこんでいる。
そこで私は考え込んだ。遺伝子レベルにまで擦り込まれた樹上生活なら、ホモサピエンスは高所を懐かしく快適に思うはずではないかと。
事実、通天閣は言わず、日本でも世界各国でも、やたらに高い建築物を人は建てたがっている。
ならば、「多様性」ではないが、樹上生活時代に落っこちた記憶を引きずっているグループがあるのだろうか。
進化論もそうだが生物学など自然科学も解らないことばかりだ。
社会科学もしかり。
なのでこんなブログを書いて楽しんでいる。
(おまけ)キリスト教文化では蛇は人間に原罪をもたらした悪の権化(聖書)であるから、知識の蓄積のない乳幼児でさえも蛇を忌避する先の理由はすんなり納得されているのではないか。
しかし、蛇の脱皮に「不死や再生」を見、米穀の敵ネズミを食べてくれるため益虫のジャンルに加えている極東の先人は、「巳(みい)さん」だとか「宇賀神さん」として神にまで祭り上げたのだから、このギャップもまた楽しい。
生駒山宝山寺の奥の院横に「白龍弁財天」の祠が有り白蛇が卵をくわえている一対の置物が有ります。時々卵のお供えがされています。
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