そんな狐を妖怪に加えてもいいのなら、妖怪は戦後も高度経済成長前まではこの国に「実在」していた。
もちろんそれ以前にはそういう見聞はいっぱいあり、例えば兼好法師や多くの人々の筆にそれは記録されていた。
多くの場合、鬼や天狗や妖怪を誰も見たことがないのに知っていた。ではその情報はどのように生まれ伝わっていったのか。
この本は、実証的な史料であり深いメディア論だった。読んで楽しかった。
2023年6月1日付けの「あとがき」の最終部分には、次のような記述があった。
史料からいっぺんに現代に跳んでいるが、メディア論として内容のある指摘だと感じた。
🔳 マスメディアを通じて「絆」「連帯」といった言葉が踊るが、時に「つながり」が相互監視や同調圧力を生むことで、「つながらない」という選択肢は失われている。夢中で「つながり」を求めて奔走しても、その行き着く先にあるのが全体主義でないとは限らない。
・・・穏やかな日常というものが、決して当たり前ではないということを、この数年で痛感することになった。戦争、災害、疫病——マスメディアでは、深刻なニュースが連日のように報じられている。だが、他者の死が数字に抽象化されて報道される日常に慣れるべきでない。誰も理不尽な暴力などで命を奪われていいはずはない。🔳
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