それは奈良県に限らず、三重県の伊勢南部、和歌山県沿岸、大阪府泉南の南、四国の南側などに共通している。
一般に「敬語がない」イコール「田舎」というマイナスのイメージが強が、見方を変えると、都会、つまりコミュニティーの崩壊イコール「敬語の発達」だとの指摘は少し目から鱗であった。
それはさておき「蝸牛論」のゴキブリである。
私の小さい頃はアブラムシともよく言われていたから、バラの花などによくついてアリとの共生関係で有名な小さなアブラムシと「同姓同名」で混同することもあった。
そういう風にアブラムシとも言ったが、同時にゴッカブリとも言っていた。
この種の方言も急速に変化、消滅しつつあるから、ゴッカブリと言っていた年代と土地を記録しておきたいものだ。教えてほしい。
千年の昔からの食器の古称「御器」に齧(かぶ)りつくから「ゴキカブリ」と松本修氏の本にもあった。氏の通信調査?では島根県東出雲町からだけ「ゴキカブリ」があったというが、大阪でも少し前までは「ゴッカブリがいたぞ」とここで叫んでおきたい。
「ゴッカブリなんか知らん」という方も育った土地と年代を教えてほしい。
松本氏の調査ではないが、声をあげなければ「ない」ことになる。
という教訓は、方言のことだけでなく歴史の継承、歴史の修正問題にも通じるように思う。
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