伏見について、そこには大要次のとおり記されていた。
🔳 伏見では弥生時代から稲作が行なわれ、お酒もかなり古い時代から造られていたと考えられています。 酒造業が盛んになるきっかけを作ったのは豊臣秀吉です。 伏見城を築き、城下町を開き、河川港であった伏見港を造りました。 水陸交通の要衝となった伏見には米や酒樽の材料なども集まってきました。 伏見は大いに栄え、酒造りが盛んな酒処となったのです。🔳
私に何の予備知識もなければ全く違和感のない文章だが、私は6月に立命館大学木立雅朗教授の『歴史都市京都の近現代遺跡』の講演を受けていた。その中には、
🔳 たとえば伏見は豊臣秀吉が造営した伏見城の城下町として発展したが、明治末以降、16師団の本拠地として急速に展開し、16師団が、徴兵された兵士たちを饗応するための日本酒が展開した。一般的に伏見の日本酒や酒蔵群が江戸時代から連続しているとイメージされているが、今の姿は明治末以降の軍部伏見の展開の一コマである。🔳とあった。
伏見の酒が量的にも質的にも飛躍したのは実は近代のことだった。
人は誰でも、優雅な古い歴史に結びつけたがるものだが、善意も悪意も混ざって歴史はしばしば「修正」されるという見本をFBに見た。
それが「俺らが故郷自慢」で済んでいる間は笑えても、戦争や植民地支配に関わることでは冷静な上にも冷静な認識が重要だ。特に侵略を行った国の末裔には大切なことである。歴史は容易く修正される。肝に銘じなければ。
0 件のコメント:
コメントを投稿