その関口さんの訃報を先日ニュースで知った。
広島の小早川さんの訃報は何年も前に届いた。長崎で被爆した福田副委員長も。
時間(とき)は冷酷に流れていく。
手をこまねいていては、歴史は瞬く間に風化する。
風化させない方法はないことはない。愚直に語り伝えることだ。
そんなつもりで書いておく。
わが労働組合は1976年3月、広島で全国1000名分会長会議を開催し、原爆慰霊碑に献花し、平和公園に記念植樹をした。
慰霊碑前では、・・・・再びあなたがたが受けた苦しみと悲しみを繰り返さないために、私たちは戦争に反対し、真の平和と民主主義の実現を・・・たたかい抜くことをここに誓います。 どうか安らかにお眠りください。合掌。と誓ったのだった。これが平和行進の原点だった。
また私個人としては、広島の被爆者の大先輩(中国地協山下議長)と同じ部屋に泊まったとき、夜中に心臓病かと驚くほど先輩がうなされたときのことを終生忘れない。
「夕べ脅かせなんじゃったかの。昼間に原爆の話をした夜は必ずうなされるんじゃ」と言ったそのときのうなされようは文字では表せない。そのうなされようで、1945年8月6日の地獄絵図の欠片は私のものにもなった。あんなにうなされた人を私は見たことがない。
【追記】 テレビで広島の平和祈念式典を見た。市長も知事も国連事務総長もこぞって核抑止力論を鋭く批判していた。ただ一人、岸田首相を除いては…。小選挙区制もあり国会では核抑止力論が幅を利かせている。それを報じるマスコミも同様に思える。しかし、市民レベルでは核抑止力論の破綻は明らかだし、核兵器禁止条約への参加こそ正論であることを祈念式典は明らかにした。そのことに自信を持ちたいと再確認をした。
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