建国神話では、天孫ニニギはオオヤマツミの娘サクヤビメと結婚し、サクヤビメは海幸彦、山幸彦ら3人の子を産んだ。
山幸彦は兄に借りて失った釣り針を求めて海中のワタツミの宮殿へ行き、王女トヨタマビメと結ばれた。
トヨタマビメはウガヤフキアエズを産んだが、出産の折、本来の姿である大鰐となったことを夫に見られたので恥じて海の国に帰った。
ウガヤフキアエズは母の妹のタマヨリビメと結婚してカムヤマトイワレビコを生んだ。
カムヤマトイワレビコは高千穂を経って東征し、ついには大和の畝傍の地で天皇に即位し建国が成った。時に紀元前660年2月11日のことであった。
以上は神話であるから多々矛盾しておろうがそんなことはどうでもよい。
問題は、昭和20年の敗戦までの大日本帝国ではこれを「神話」ではなく「歴史的事実」として教育し、異論を暴力でもって弾圧し強制したことである。
今日は、そういう教育や学術の統制の近代史を振り返り、歴史の修正や反動を許してはならないと決意する日でなければならない。
そうでないと、死んで天国や浄土・極楽に行くと考える奴は売国奴だ。靖国に行くのだ!との強制が復活する。
「そんなあほな」と考えるなら、そんなあほなことが昭和20年までどうして実在したのかという近代史を考えてほしい。
故半藤一利さんの本などは非常に判り易い。
どなたか、「建国記念の日」にふさわしい年月日とその理由を考え出していただけないでしょうか?
百人一首の序歌〽難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花の歌の件ですが、昨年年金者組合の楽しみ企画で「日韓友好は猪飼野の街めぐりと鶴橋の焼き肉パワーだ」を取り組みました。コリアンタウン通りの一画に御幸森神社があります。句碑がありました。前述と同じの序歌「難波津に咲くやこの花・・・・・」が刻まれていました。この歌、諸説あると想いますが、応神天皇の死後、大雀命と菟道稚郎子とがお互いに皇位を譲り合って3年間ほど空位となり、結果的に大雀命が跡を継いで仁徳天皇となったさいに、その治世の繁栄を願って王仁博士が詠んだ歌とされています。また、御幸森天神宮は、仁徳天皇がよく訪れたという鷹狩の森で、また古代にはこの辺りは猪飼野・猪飼津(猪甘野・猪甘津)と呼ばれた渡来人の大集落がありました。さらに猪飼野は、現在は日本最大のコリアタウンになっていて、1500年の時を越えて、日韓交流の歴史が現在進行形で積み重なっている・・・という実に不思議な、奇跡のようなまちとも言われています。友好の歴史を育んでいきたいですね。建国記念日無くてもいいんじゃないですか。鶴橋にいって焼き肉にビールを痛飲して考えましょか(笑)
返信削除古代史でいうと摂津も河内も和泉もほぼ渡来人による文化の地でした。楽しいコメントありがとうございました。
返信削除新建国記念の日でいうと、戦後平和憲法下の日本が世界中で賞賛された日、あの温水洗浄便座発売の日などが良くないかと考えた次第です。
温水洗浄便座発売の日とは、「先見の明」の発想ですね。拍手喝さい!
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