2017年2月27日月曜日

象徴天皇

   人品骨柄卑しからずという言葉があるが、右派であれ左派であれ真面目で品格がある人は好ましいが、いわゆる右翼の人々の中には羊頭を掲げて狗肉を売る類の人も少なくない。
 例えば話題の森友学園の理事長は右翼団体日本会議の大阪の支部長か幹部らしいが、幼稚園児に「共検己レヲ持シ(自分の言葉を慎みましょう)」とか「常ニ国憲ヲ重シ国法ヲ尊ヒ(法令を守り国の秩序を尊びましょう)」等の教育勅語を朗誦させる一方で、疑惑の土地契約や工事を行った。

 一昔前にはいわゆる戦闘服を着て街宣車を横付けして脅迫行為を行っていた右翼が、神社本庁や旧生長の家信奉者(現生長の家は日本会議と絶縁している)を手足として、草の根の署名活動等で地方・中央の議員を獲得し、ついには安倍内閣の絶対多数が日本会議所属議員となっているのが今日の現状である。
 このあたりの時代の変化についての理解は社会一般に深くない。

 羊頭狗肉の続きを言えば、日本会議はイの一番に「尊皇」を言っているが、昨年8月の天皇のお言葉を素直に理解しようとすれば特例法などという「既定事実」はあり得ない。
 現天皇だけの特殊事情ではないのだから皇室典範の改正で対処するのが筋だというのが国民多数の世論でもあると思う。
 結局のところ、日本会議等の右翼の主流は、現憲法を前提とした「象徴天皇制」の安定を嫌い、何時かは戦前型の憲法と天皇制に戻したいというのが本音で、そのためには天皇の「苦悩」など知ったものかという立場だろう。
 天皇制が未来永劫続くとは思われないが、神でもなく権力でもない象徴天皇はあっても悪くはないというのが世論だろう。
 それゆえに共産党も「いまの天皇制を含めて憲法の全条項をを守る」立場に立っている。

 私としては、民主主義を守る運動に携わっている人々の中の少なくない人々に、「皇室典範を改正して象徴天皇制の維持を」という声の小さいのが気になる。
 天皇制も含めて自由闊達に語られることこそが民主主義でないか。
 日本国憲法第1条は、象徴天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものとしている。

   多喜二忌の入選句あり話題あり

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