スノウさんに「鳥の声はどうして覚えるの?」と聞かれ、「私の場合は“聞きなし”で覚えることが多い」と答えたが、鳥にも相当な訛があるし、そもそも“聞いたそのとき”に名前が解らないと、その声と名前を記憶装置の中にマッチングさせてインプットしようもないから、これは“回答”にもなっていなくてスミマセン。
アンマッチのついでに話も跳ぶが・・・、山口仲美氏著「ちんちん千鳥のなく声は」(講談社学術文庫)は、古典を紐解きながら“聞きなし”に触れた名著と思っている。
購入しないまでも図書館ででも読まれることを広く皆さまにお勧めしたい。(趣味の押し売りかも?)
妻と散歩していると、「あっ、〇〇が鳴いた!」と私が言っても、「えっ、どこに!」と返ってくることが多い。これは“聞きなし”以前の聴力の問題だが、人間ドックなどで妻の聴力が劣るというような指摘はないし、私の聴力が優れているという検査結果もない。
しかし、実際にはフィールドで明らかな差が出ている。
そこで考えられるのは『耳たぶ』だった。
昭和29年に公開されたディズニー映画「ダンボ」は日本国中を席巻し、小学校に入学したての私の渾名は「ダンボ」に決まった。
その当時は比較的耳たぶが大きく迫り出していたからである。
それがこの歳になって、「耳たぶは偉大なり」と初めて肯定的に喜ぶことができるようになった。
「福耳はお金が貯まるよ」と何回も言われてきたが、この方は全く当たらなかったが、「声の探鳥」には有効だったようである。
私の好きな“聞きなし”は、
ホオジロ 札幌ラーメン 味噌ラーメン (全くそのとおり)
コジュケイ ちょっと来~い ちょっと来~い (これもそのとおり)
オオヨシキリ 仰々しい 仰々しい (ほんとうにその声は仰々しい)
ホトトギス 特許 許許許 (許可局とは聞こえないし、そもそも聞きなしにしても言い難い)
「これはそのとおりだ」と感心した“聞きなし”の体験があればどうかご教示を願いたい。
バードウィークは“聞きなし”の絶好のチャンスと言われている。
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